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エリザベス女王は、イギリスと英連邦の君主であるだけではありません。英国での宗教においても…“16世紀にローマカトリック教から分離した英国国教会の最高権威者であり、「信仰の擁護者(ラテン語で Fidei defensor、英語ではDefender of the Faith)」である”、という補助的な称号があることをご存じでしたでしょうか?

われわれ日本人にとって、「信仰の擁護者」という言葉は理解しにくいことでしょう。まずは、この称号の発端を知ることから始ましょう。そのためには、カレンダーを1521年まで戻さなくてはなりません…このことは英国王室の公式サイトにも記されています。

この時代のイングランド王はヘンリー8世で、熱心なカトリック信者でした。そして、ちょうどそのころ起きていたルターによる宗教改革に対し、批判を込めた著作『七秘蹟の擁護(Assertio Septem Sacramentorum)』を世に出したのです。すると、同時代のローマ教皇であるレオ10世はその功績を認め、1521年10月にヘンリー8世に対して「信仰の擁護者」という称号を授けたのでした。これが現在まで続く称号、「信仰の擁護者」における歴史の幕開けとなります。

その後、「信仰の擁護者」の称号は国教会の成立後もヘンリー8世とその後継者に代々用いられ、現在のイギリス女王エリザベス2世の称号の一つにもなっているのでした。

そこでもうひとつ、疑問を抱くことがあるかと思います。それは「英国国教会」または「イングランド国教会」とは何か?ですね。

この「英国国教会」とは、もともとはカトリック教会の一部であったのですが、これもまた前出のヘンリー8世がこの分裂の発端となっています。エリザベス1世の時代にかけて、イングランドの宗教はローマ教皇庁から離れ、独立した教会となったのです。

ヘンリー8世の最初の妻であるキャサリン・オブ・アラゴン王妃は、たび重なる流産と死産に見舞われ、後継ぎとなる王子を授かることができませんでした。そこでヘンリー8世は、キャサリン王妃との婚姻を無効にしようと試みるのですが、これを1523年からレオ10世に変わりローマ教皇法王となったクレメンス7世がこれを拒否するのです。そこには、単なる離婚問題というより、キャサリンの甥にあたる神聖ローマ皇帝のカール5世の思惑なども絡んだ複雑な政治問題へと発展していたのでした。

それでもヘンリー8世は、1529年までに繰り返し教皇へ働きかけていました。

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1835年の作品で、中央がヘンリー8世。その向かって左が、再婚したアン・ブーリンとのこと。

それでも婚姻の無効化に失敗を重ねたヘンリー8世は、ついに態度を変えます。

さまざまな古代以来の文献を基に、「霊的首位権もまた王にあり、教皇の首位権は違法である」という論文をまとめると、教皇に送付。続いて1531年にはイングランドの聖職者たちに対し、王による裁判権を保留する代わりに10万ポンドを支払うよう求めることで、ヘンリー8世自身が聖職者にとっても首長であり、その保護者でもあるということをはっきりと示すものだったのです。

こうして以後、擦った揉んだを繰り返しながら(さらに細かく知りたい方はご自身でお調べください)、1532年5月にイングランドの聖職者会は自らの法的独立を放棄。完全に王に従う旨を発表したのでした。そして1533年には、教皇上訴禁止法が制定され、それまで認められていた聖職者の教皇への上訴が禁じられることとなり、カンタベリーとヨークの大司教が教会裁治の権力を保持することに。

そしてヘンリー8世は、当時の右腕であったトマス・クロムウェルの助言を受け、当時ケンブリッジ大学の教授であったトマス・クランマーをカンタベリー大司教に就任させると、国王の言いなりであったカンタベリー大司教トマス・クランマーは国王の婚姻無効を認めることに。そうしてヘンリー8世は、アン・ブーリンと再婚したのでした。

すると、教皇クレメンス7世がヘンリー8世を破門に。これが決定打となり、ヘンリー8世は1534年に国王至上法(首長令)を公布し、自らを“Anglicana Ecclesia”と呼ばれる英国国教会の最高権威者の地位に就けたのでした。1553年から在位する女王メアリー1世(ヘンリー8世とキャサリン・オブ・アラゴン王妃の間に生まれた)のときには、一時、英国にローマカトリック教を復活させようという動きをみせたのですが、その異母妹のエリザベス1世が1558年に戴冠すると、自分が英国国教会の最高権威者であると再び宣言。それ以来、英ロイヤルファミリーはずっとキリスト教の一派である「英国国教会」の教義を信仰しているのです。

そして現在も、エリザベス女王が「英国国教会」の最高権威者として認知されているわけ。そして、その教会聖職者のトップにいるのがカンタベリー大司教になります。

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話を現在に戻しましょう。とは言っても、現在の女王エリザベス2世が戴冠式を行った1953年へ。

この戴冠式では、カンタベリー大司教が彼女を国王に任命し、女王は「英国国教会の安定と、礼拝の原則、規律、政府を、英国で制定された法に則り、神聖に維持し、保護する」と宣誓しています。

なお「英国国教会」は世界中で信仰されており、国によって異なる名称で呼ばれています。そうした異なる教会の連合組織は、「英国国教会派(Anglican Communion)」として知られていますが、組織のトップはカンタベリー大司教であり、「英国国教会」が母体であることには変わりはありません。

アメリカで「英国国教会」は、「米国聖公会」として知られています。

そして現在、米国聖公会大主教(総裁主教)であるのがマイケル・ブルース・カリー。ハリー王子&メーガンのウエディングで、説教をしたのはそういうわけなのです。そして式を司宰したのがカンタベリー大司教であるジャスティン・ウェルビーというわけです。

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左がジャスティン・ウェルビー大司教、右がマイケル・ブルース・カリー総裁主教。

ちなみにメーガン・マークルは去る2018年3月、ロンドンのセント・ジェームズ宮殿で行われたプライベートな式典で、ジャスティン・ウェルビー大司教によって正式に英国国教会の洗礼を受けています。

ITVニュース』に対しジャスティン・ウェルビー大司教は、「式は非常に感動的なもので、メーガンに洗礼を施すのは大変な名誉なことだ」と語っていました。

「中心にあるのはお互いを愛する2人の人間で、神のもと、最も美しい言葉と深い思いやりをもって、人生を誓い合うのです」と大司教がおっしゃるとおり、今回のロイヤルウエディングも間違いなく、実に愛らしく美しいものでした。

From Good Housekeeping
Translation / Mitsuko Kanno