記事に移動

ジュスティーヌ・トリエ監督インタビュー『落下の解剖学』を解剖する

2024年米アカデミー賞脚本賞獲得。2023年カンヌ国際映画祭を制した監督にアカデミー賞脚本賞受賞後、単独インタビューを実施。世界中を虜にした夫婦の物語に込めた情熱について訊ねました。

By
ジュスティーヌ・トリエ監督 落下の解剖学
Yann Rabanier

2024年第96回アカデミー賞脚本賞を受賞した『落下の解剖学』。パートナー、アルチュール・アラリと魂を削るように完成させたジュスティーヌ・トリエ監督にインタビュー。さんざんされているであろう「受賞の歓び」的質問を避け、映画人としての情熱と闘争、そして次回作の構想について訊(き)きました。

『落下の解剖学』(公開中)
公式サイト

共同脚本アルチュール・アラリともっとも言い争ったシーンは3つ

ジュスティーヌ・トリエ監督 落下の解剖学
© LESFILMSPELLEAS_LESFILMSDEPIERRE

この激しくも繊細なミステリーを書きあげるのに、2年ほどかかったと言います。パンデミックの1週間前に書き始め、ロケに入る1週間前まで書いていたため、伴侶(コンパニオン)のアルチュール・アラリとずっと一緒の作業づくめ。濃密ではありましたが、毎日毎日すべての生活がいいシーンを書き上げるために費やされたと語るトリエ。

彼女いわく、この作業でアラリと激しい論争を繰り広げたシーンは3つ。それは、「冒頭の2人の女性のインタビュー」、「終盤の息子の証言(画像)」、「夫婦の口論のシーン」。

とりわけ口論のシーンに関して無数の改稿を行ったのは、「言い争いはフランス映画において、一種のクリシェ(使い古された定番)になっている」ため。「それをどうしたら新しいものにできるか苦慮した結果、言い争いの最後の最後に暴力に訴えるという形になったのです」

こうして映画史上に残るであろう、あの壮絶な“夫婦喧嘩”が完成しました。

(画像)『落下の解剖学』より

画家として挫折から始まった映画監督への道

ジュスティーヌ・トリエ監督 落下の解剖学
© LESFILMSPELLEAS_LESFILMSDEPIERRE

トリエはすんなり、映画の道に進んだわけではありません。決して文化的に恵まれているとは言えないノルマンディの港町で生まれた彼女は、エリート中のエリートが居並ぶエコール・デ・ボザール*の試験をパスします。ところが、画家としての道は2年で挫折します。入学し、「自分の才能では画家としては成功しないだろう」と自覚したとか…。

そうして美術学校に用意されていたドキュメンタリーのクラス(フィクションとしての映画のクラスはなかった)で学び、編集から映像制作のキャリアを始めた彼女は6年間の学生生活の間、 フレデリック・ワイズマンの手法などを学びながら、取材も続け、その中で実際の法廷をたびたび訪れることもあったそう。

「とりあえず、ひと通り自分でできるようになりました。私は独立独歩で映像の世界に触れてきたので、構図も決められるし、音声も扱えますが、何よりドキュメンタリーを通して学んだのは音の大切さでした。映像がイマイチでも、音さえよければなんとかなる。『落下の解剖学』でも、ゼンハイザーの高性能集音マイクを使いました」

こう語るとおり、本作は音も重要なポイントになっています。

*グランゼコール(国立高等専門学校)のひとつ。グランゼコールは各界の支配層となるエリートを輩出する目的を担い、入学も卒業も一般大学に比べはるかに難易度が高い

(画像)『落下の解剖学』より

音へのこだわり

ジュスティーヌ・トリエ監督 落下の解剖学
Amanda Edwards//Getty Images

メッシが吐くシーンは、熱心な音づくりの成果のひとつ。愛犬家のトリエは、たとえパルム・ドッグを受賞してしまったほど才能ある優秀な犬俳優であっても、わざと吐かせるなど虐待的なことを徹底的に排除するため、細かな編集で実際に薬を吐き戻しているかのように見せ、音によりリアリティの度合いが格段に上げています。

「録音技師の女性が、自宅で愛犬がたまたま実際に吐くときの音を録音していたのです。ですが、それだけでは成立しません。そこにさらに数種類の(人間の)吐く音、いくつかの液体音などをミキシングしてつくり上げました。あの音づくりはものーーーーすごく、複雑な作業だったのです(笑)」

(画像)愛犬スヌープを演じ、カンヌ国際映画祭でパルム・ドッグ賞を獲得したメッシ

ADの後に記事が続きます

「暴力的表現とは音に表れると思っています」

これはyouTubeの内容です。詳細はそちらでご確認いただけます。
アカデミー賞脚本賞受賞!『落下の解剖学』予告編 2024.2.23公開
アカデミー賞脚本賞受賞!『落下の解剖学』予告編 2024.2.23公開 thumnail
Watch onWatch on YouTube

物語の山場であり、サンドラ・ヒュラーが数多の女優賞に輝いたきっかけともなった口論のシーンもまた、音響編集がキーポイント。

「もうひとつ(音に)苦労したのは、言い争いのシーンでした。暴力性は視覚から来るのではなく、音から来るのだと思っています。映像だけに暴力表現を頼ると伝わりません」

カンヌで”炎上”したスピーチの動機は、芸術家として次世代への責任

ジュスティーヌ・トリエ監督 落下の解剖学
Andreas Rentz//Getty Images

本作が最初に話題になったのは、2023年の第76回カンヌ国際映画祭。最高賞パルム・ドールを獲得したこともさることながら、ネオリベ政権が進める「商業主義偏重の芸術制作」を批判したことです。あの発言の動機を改めて問うと、こう回答がありました。

「パルム・ドールを受賞するなど知らされていなかったので、もちろん時間をかけて準備した原稿ではありません。(運営側から)最終日までカンヌにいるように言われたので、(何か受賞すると思って)なんとなく言うことは考えていましたが…。

あの発言の背景はとても複雑です。フランス以外の国の方にはなかなかわからないことかもしれませんが、フランスにおける映画文化の重要性はものすごく高く、人々の映画愛も半端ありません。特別な映画製作支援制度もあります。一種、“理想化”されたところがあるのです。

でも、内情は複雑です。私はまだマシなほうですが、ユニークでオリジナルの企画だともっと予算が少ない作品づくりを余儀なくされる人たちもいます。Netflixなどのプラットフォームもあるので、ヒットコンテンツが出たら類型化させ、コピーをしたような物語に(優先的に)予算が付く。決して誤解してほしくないのは、プラットフォーム自体を批判するつもりはないということです。それもまたひとつの表現の場ですから。

なので、ここは非常に慎重に話したいのですが、私は次世代への影響を懸念したのです。私のキャリアもこの作品も、決して高速道路を進むかのようにスピーディにスムーズにつくり上げられたものではありません。(自分が受賞したことで)今の映像制作の環境が正解なのだと思ってもらいたくなかった…」

(画像)2023年カンヌ国際映画祭パルム・ドールを手に。隣はプレゼンターのジェーン・フォンダ

「私が受けた恩恵と同じものを若者にも」

2024 film independent spirit awards general atmosphere
Araya Doheny//Getty Images

「今、映画界を目指す若者たちは第一作目を撮ることが難しいのです。それは公的支援が削られ、予算がつかなくなったから。さらに言えば、最初から採算が取れる作品を求められるからです。ですが、そんなことをやっていたら、現在の多様なフランス映画は生まれなかったでしょう。採算の取れない映画をつくれるということは、誇るべきじゃないかと思うのです。

私たちはこの映画産業のシステムを、保護しなければなりません。私はラッキーにも恵まれた助成金を受けることができました。私は私が受けたのと同じ恩恵を若いつくり手にも享受してもらいたい。ただでさえ映画業界に入る入口は狭いですから。

カンヌでのスピーチは現場でもそのあとも、誤解や捏造などさまざまな反応を受けたことで、私自身もものすごく考えさせられました」

(画像)2024年インディペンデント・スピリット・アワアード会場近くにて

ADの後に記事が続きます
サンドラ・ヒュラー
Francois Durand//Getty Images

先に成功した人間が、成功していない人間の可能性も考える。成功者が成功体験しか語らなくなった現代で、いまどれほどの人がトリエ監督のような姿勢を保てるのか…。一般市民はますます貧しくなっていく一方で、ビジネス勝者に教養が必要とされなくなっている国において映画産業のみならず、お金についてしか語らなくなったあらゆるアート、芸術分野、そしてメディアにも“突きつけられている課題”と言えます。

数え切れないほどの映画賞のため世界中を巡るツアーを終え、ひと段落した彼女の次なる構想は? 最後に訊(たず)ねてみました。

(画像)作品賞はじめ6部門を制した2024年第49回セザール賞授賞式にて、主演女優賞を獲得したサンドラ・ヒュラーと

「次回作はまったく形式の異なるものを」

ジュスティーヌ・トリエ、アルチュール・アラリ
Rodin Eckenroth//Getty Images

「内容はまだ秘密なのですけど…。数日前から構想を始めました。ノルマンディ*でひとり閉じこもって本を山積みにして構想を膨らませています。たぶん、まとめるまであと2カ月(インタビュー日は3月)くらいかかるんじゃないかなと。でも、次回は法廷劇ではないです(笑)。

私は法廷映画が大好きなのです。映画監督になれなかったら、弁護士になろうかと思っていたくらい。弁護士は混とんとした世の中にこそ筋道をつける職業ですから。でも、それを映画で描くのは制限もたくさん出てきますし、ものすごく大変。だから今度は、もっと自由な物語をつくりたいです。

フランソワ・トリュフォーが撮った、前作を反動にして次の作品をつくる姿勢が好きです。テーマは似ていても、次回作は形式を全く変えて挑戦したいと思っています」

※フランス北部、海峡を挟んで英国に面した湾岸地域。港町フェカンはトリエの生まれ故郷

(画像)第96回アカデミー賞授賞式にて共同脚本を務めたアルチュール・アラリと

「小津のローアングルを使ってみたかった」

ジュスティーヌ・トリエ justine triet
Emma McIntyre//Getty Images

インタビュー終盤、トリエが「どうしても伝えたい」といった熱量で語ったのは日本映画への愛。

「彼の家の中の映し方、家族への視線などを愛しています。小津安二郎から学んだことは、とても多いです。あの独特のローアングルを採用したかったのですが、(畳に直接座るのではなく)椅子に座る生活様式の欧米文化を映す際には難しい…。でも、どうしても使ってみたかった。そこで犬の視点として、採用することにしたのです。

宮崎映画のファンでもあります。宮崎映画ほど子どもの情操教育にいいものはないですよ。早く子どもと一緒に観たいのですが、まだまだ赤ちゃんなのでもうちょっと時間がかかります。仕方ないので、トトロのぬいぐるみを家中にあふれさせているんですよ」

押しも押されもせぬ世界的映画監督ジュスティーヌ・トリエのインタビューからは、映画同様家族への愛情もにじみ出ていました。

Interview & Edit: Keiichi Koyama

【関連記事】
>『落下の解剖学』特別先行上映+作家・鈴木涼美トークイベントレポート

#観直したいおすすめ映画

川西拓実

『バジーノイズ』で初主演、川西拓実が開拓するJO1の新たな可能性

a person wearing a hat

アカデミー国際長編映画賞『ドライブ・マイ・カー』 の 濱口竜介監督の新たな試みに世界が騒然

lisa marie presley and priscilla presley

プレスリー家の愛と悲劇の物語、リサ・マリーVSプリシラ:映画『プリシラ』で明らかになった真実とは?

バチモン5 望まれざるもの

カンヌ受賞監督ラジ・リが危惧するフランスの右傾化

ADの後に記事が続きます
ADの後に記事が続きます