ダボス会議への出席や、ローマ教皇への謁見、ダライ・ラマ14世と会談するなど、世界各国で宗教の垣根を越えて活躍する退蔵院の松山さん。地元の京都では外国人に禅体験を紹介したり、京都でアジア初の宗教間交流駅伝を主宰するなどその活動も幅広く面白い。そんな松山さんから、今を生きる秘訣をお届けします。

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Episode 07 

 私は寺の長男として生まれたが、中学・高校は地元京都のカトリックの学校で学んだ。寺の息子なのに、なぜキリスト教の教育を受けたのかというと、若いうちに違う宗教の考え方や哲学に触れさせたいという両親の教育方針があったからだ。今年40歳を迎えるが、今になってその方針は本当にありがたかったなと思う。

 どの分野でもそうだと思うが、その中にいては客観的に自分たちの世界を見ることができない。違う世界に身を置いてこそ、初めてわかる価値がある。今でもヨーロッパに行くと修道院に滞在し、同じ生活を体験させていただくこともある。不思議とキリスト教の環境にいると、より自分が仏教徒になれるという感覚が芽生え、教えが鮮明になるのだ。

 例えば、欧州の修道院にいると勉強の時間がたくさんある。聖書、歴史、語学。キリスト教の聖職者は博学で勤勉な方が多い。しかし、日本の禅の道場では勉強の時間は皆無である。ひたすら、庭掃除に薪割り、雑巾がけ。こういう差を体験してみると、禅はテキストではなく、実践に重きを置いているからだということに気づく。言葉では教えの核心を伝えることはできない。実践体験を通して、教えが初めて体得できる。禅の教えが「不立文字(ふりゅうもんじ)」と言われる所以だ。

 2016年の秋、前妙心寺派管長・嶺興嶽老師に随行し、イタリアのアッシジでローマ教皇主催の平和の集いに参加させていただいた。その中でローマ教皇からカトリックの神父に宛てた、現代の宗教者の役目というお言葉をいただいた。宗教離れという問題は、日本だけではなく、キリスト教もイスラム教もすべての伝統宗教に共通する課題だ。ローマ教皇は現代を生きる神父の心得として、まず、神父は教会から出ないといけない、とおっしゃった。教会にいれば、キリスト教が好きで、キリスト教に興味がある人は集まってくれる。でも、キリスト教に興味がない人たちは自分からは決してやってこない。まず神父自らが教会を出て、人々に接しなければならない。(次ページへ続く)

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 そして、2つ目は、そういう人たちと接するときには決して聖書の言葉を使うなとおっしゃった。引用がすべて悪いという意味ではない。何千年も前の偉人の言葉を借りて話をするだけでは、何のリアリティもない。そうではなく、宗教家として、自らの宗教体験を語れということだ。

 これは私たち仏教の僧侶にとっても非常に示唆的であった。住持として、寺を護持することももちろん重要だが、やはり私たち僧侶が外に出て、皆が何に苦しんでいるのか、寺に何を求めているのか、自らがアプローチしなければならない。そして、そこから得られた体験を咀嚼(そしゃく)し、わかりやすく自分の言葉で伝えることこそ、本当の宗教家の役割なのだ。 

 宗教界だけではない。自分たちの狭い世界に閉じこもって、専門用語に塗れている人も大勢いるのではなかろうか。どんな分野や立場にあっても、ローマ教皇のお言葉は金言として、私たちに強いメッセージを与えてくれる。


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Reasons for religion -- a quest for inner peace | Daiko Matsuyama | TEDxKyoto
Reasons for religion -- a quest for inner peace | Daiko Matsuyama | TEDxKyoto thumnail
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松山大耕さん(妙心寺退蔵院・副住職)
…1978年京都市生まれ。2003年東京大学大学院 農学生命科学研究科修了。政府観光庁Visit Japan大使、京都観光おもてなし大使を兼任。2016年『日経ビジネス』誌の「次代を創る100人」に選出。前ローマ教皇やダライ・ラマ14世との会談、ダボス会議に出席など世界各国で宗教の垣根を超えて活動中。