ダボス会議への出席や、ローマ教皇への謁見、ダライ・ラマ14世と会談するなど、世界各国で宗教の垣根を越えて活躍する退蔵院の松山さん。地元の京都では外国人に禅体験を紹介したり、京都でアジア初の宗教間交流駅伝を主宰するなどその活動も幅広く面白い。そんな松山さんから、今を生きる秘訣をお届けします。
Episode 11
上の娘が3歳になる。寝る前にはだいたい絵本や昔話を読み聞かせるのだが、最近、困ったことが起きている。今の時代に合わない話が結構多いのだ。
もともと、私はディズニーの世界観があまり好きではない。中東風の装束に身を纏った登場人物を「野蛮人」と言ったり、いじわるなおじさんはたいていロンドン訛りの英語を話す。子供の中で知らず知らずのうちに、そういうイメージが固まってしまうからだ。道徳観やものの見方は、子供のころに読んだ絵本や童話に大きく影響を受ける。
古典の童話を読むことも多いが、実は、世界で広く読まれている童話も国によって微妙に内容が異なっている。例えばイソップ童話に、「ライオンと鼠」という物語がある。
「ある鼠が、度胸試しに寝ているライオンに登った。するとライオンが、急に目を覚まして捕まってしまう。鼠はライオンに平身低頭謝って許しを請い、お情けで放してもらう。後日、猟師のわなに引っかかったライオンを見つけ、ご恩返しにと鼠が罠の縄をかみ切って助ける。そして、ライオンと鼠は生涯の友となる」。
記憶の片隅に、そんな話もあったなと思う人も多いはずだ。
しかし、この話がアメリカではこのようなストーリーになっている。
「あるネズミが、度胸試しに寝ているライオンに登った。するとライオンが、急に目を覚まして捕まってしまう。そこで、ネズミはライオンと交渉をはじめる。『私は小さい肉のかけらで、食べてもおなかの足しにはならない。それより今私を自由にすれば、後で私はもっと良いことができる。小さくとも勇気があり、鋭い歯はなくても、あなたの歯で切れない物を噛み切れる強い歯を持っている。いつかあなたが困ったとき、きっと助けることができるだろう』。ライオンは空腹ではなかったので、放してやった。後日、猟師のわなに引っかかったライオンを見つけ、ネズミが罠の縄をかみ切って助ける。そして約束通り助けに来たと言って、ライオンはネズミに感謝する」
結果は同じかもしれないが、一番の大きな違いは、アメリカのネズミは決して謝らないことだ。国民性というのは、こういうところから形成されるのかと思う。世界的に読まれる童話も、知らず知らずのうちに日本風にアレンジされているのだ。
そこで、日本の昔話を読もうと思って探してみたのだが、今の時代にふさわしくない話もある。
登場人物がすぐに死んでしまうケースが多く、娘が怖がる。そして、「かちかち山」や「さるかに合戦」などリベンジを賞賛する物語もある。かたき討ちはよろしくない、というのが現代の考え方だ。そうなると、勧善懲悪のアンパンマンのような話は安心感があるのだが、深みがないような気もする。
今年度から小学校では、道徳が必修化された。どうやって道徳観を教えるか…先生だけではなく、親にとっても重要な課題である。
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