父方の祖父は、白洲次郎、祖母は白洲正子という家に生まれ、本物に囲まれて見て育った白洲信哉さん。骨董の専門誌の編集長も務めていた白洲さんが、モノを見極めるには? センスを磨くにはどうしたらいいのか? 白洲さん流のモノとの関わりから、“見る眼の育て方”を教えてもらいます。

earthenware, Purple, Ceramic, Pottery, Vase, Artifact, pinterest

 連載一回目にして、不思議なタイトルかとは思ったけれど、日常の事から始めたいと思う。「器を育てる」と言っても、焼かれたモノの大きさが変わるわけではない。使うことにより、「景色」が育つのである。有名な所では伝世の高麗茶碗。信長や秀吉などの諸大名所持の茶碗が、400年以上の時を重ね現代に伝わっている。
 

 時折、そんな名碗の展覧会があり、ガラスケースに鎮座してはいるが、全てはお抹茶を飲み、使って今があるのである。しばしばそうした高価なモノは、怖くて使えないと耳にする。僕はその時点ですでにモノを愛玩するつもりは ないのだろうと残念に思う。さきに述べたように、高価というのは、使った結果なのであって、ずっと仕舞われて高価になったわけではない。かの利休が朝鮮半島の、今風に例えるなら現代アートを輸入し、一国一城に匹敵した、「美」に昇華し、茶人の手から手へ、しばしば茶事に登場し、大切に扱われたのだ。

 それらは、傷だらけのモノも沢山ある。漆や金で継いで、そこに蒔絵を施したり、各々が工夫して新たな「美」を創造したのである。モノに愛着があればあるモノほど、不幸にして欠けてしまっても、繕いまた使い込むのだ。日本には、「呼継」なんという違った器の片を集め、一つのモノにしてしまう文化もまたある。こうしたモノの楽しみは、わが国独特な文化で、お隣の国では、「入」 が入れば、価値がなく捨ててしまうという。

 僕はお茶には不案内だが、日々晩酌をする。そのときに登場するのが「酒器」である。写真の器は、「無地唐津」と呼ばれるものだが、15年程前に出会い初めて買ったモノだ。先に述べたように、晩酌の友として使うことにより、400年なかった景色がでてきた。それが口縁の白さが増した部分だ。この盃は、石はぜがでて、親指がかかるところが決まっているので、僕の唇が触れる所が自ずと同じ場所なのである。つまりこれは僕と盃とのKISSの模様なのだ。この相性というか、感覚がうまくないものは、長い付き合いも出来ない。さらに大事なのは、高台や見込みの削り具合。これらの表現が難しいのだが、名の無き陶工一瞬の削り度合いが、腕の見せ所であり 、見所になるのである。僕色に染まったこのオンリーワンの盃を手放すことはないであろう。だが、これ以上育たなくて良いとも思う。これは贅沢な悩みだ。

酒器「無地唐津」の見込み

Button, pinterest

酒器「無地唐津」の高台

Sea snail, Wheel, pinterest

酒器「無地唐津」の盃裏

Purple, Ceramic, earthenware, pinterest


Sitting, Suit, Businessperson, White-collar worker, Formal wear, Photography, Furniture, Stock photography, Chair, pinterest

白洲信哉
1965年東京都生まれ。細川護煕首相の公設秘書を経て、執筆活動に入る。その一方で日本文化の普及につとめ、書籍編集、デザインのほか、さまざまな文化イベントをプロデュースする。父方の祖父母は、白洲次郎・正子。母方の祖父は文芸評論家の小林秀雄。主な著書に『小林秀雄 美と出会う旅』(2002年 新潮社)、『天才 青山二郎の眼力』(2006年 新潮社)、『白洲 スタイル―白洲次郎、白洲正子、そして小林秀雄の“あるべきようわ”―』(2009年 飛鳥新社)、『白洲家の流儀―祖父母から学んだ「人生のプリンシプル」―』(2009年 小学館)、『骨董あそび―日本の美を生きる―』(2010年 文藝春秋)ほか多数。


Photograph & Text / Shinya Shirasu Photograph(Portrait) / Mika Kitamura  Edit/Emiko Kuribayashi