父方の祖父は、白洲次郎、祖母は白洲正子という家に生まれ、本物に囲まれて見て育った白洲信哉さん。骨董の専門誌の編集長も務めていた白洲さんが、モノを見極めるには? センスを磨くにはどうしたらいいのか? 白洲さん流のモノとの関わりから、“見る眼の育て方”を教えてもらいます。

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 初回に引き続き、盃について述べることにする。僕ら好事家の間では、「徳利は備前、盃は唐津」という定番の組み合わせがある。元来、天の邪鬼なので、決まりきったことは好まないのだが、「不易」なものには、それなりの理由があるようだ。とくに豊臣秀吉の文禄・慶長の役後に、多くの朝鮮陶工が海を渡り、唐津の岸岳城辺りに開かれた飯洞甕、帆柱、皿屋、道納屋谷など俗に「岸岳古唐津」と言われる、わずか数十年の「古唐津」がいい。 

 前回述べたように、唐津には、「作り手八分、使い手二分」と言われるように、使われることでモノが育っていく。「砂岩」と言われる粗くざっくりとした石質から生まれる素朴で、温かく、力強い土味と、渋い色調が特徴で、使うほどに土色が変化し、貫入(ヒビ割れ)が入ることで味わいが増していくのだ。 
 

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 そのなかでも白濁した藁灰釉を用いることで、表情豊かに焼かれた斑唐津盃は、酒を注げば注ぐほどに、見込みが美しく、還元焼成によって乳白色の中に青味さすものがあり、個体差だが星のようにキラキラと、酒を注ぐ度に、光り輝く。愛好家垂涎のアイテムになっている。 

 こちらの写真は、晩酌を欠かさなかった小林(秀雄・祖父)愛用の斑(正面左)である。口縁の一部が欠けたようにみえるが、元からの形で、一説には菜種油や胡麻油を入れ、灯芯をひっかけるための燈明的役割で制作されたとも言われている。だが、使われた形跡はないことから、猪口、向付などを盃に見立て使ったように、当初から用途変更したように思う。盃は、手取り、景色、造形など、随所に大事なポイントはあるのだが、一見未完に見えるこの欠けが、景色にもまた唇が触れた時の独特な味わいを醸し出している。 

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 もう一つの斑盃は、最近苦労して手に入れた、いや手に入れつつある正に酒を呑む「器」として生まれてきたぐい呑みである。お酒を飲むとき「グイ」と飲むことから「ぐい呑み」とも呼ばれる、大型の猪口で、僕は掌全体で覆うようにぐいと握り、最初の一杯は、半ばくらいに注いだ酒をグイと一回で干す。二つは同じ藁灰釉なのだが、比べれば一目瞭然の、違った焼き上がりになっている以上に、酒味も全く違うから不思議である。斑唐津のぐい呑みは、口当たりに手取りの良さ。そして何より注がれた酒が、キラキラと美しく輝き、酒が美味く呑めるとは思うのだが、その味わいはオンリーワンの、僕がこの斑に出会うまで、20年以上の月日を必要としたのである。 

 いずれ備前の徳利について書きたいとは思っているが、懐具合以上に、その一度きりの出会いを掴まえる「僕のみる眼」が出来るか否か、そのまた過程というか、険しい道程が、僕の人生になっているようだ。


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白洲信哉
1965年東京都生まれ。細川護煕首相の公設秘書を経て、執筆活動に入る。その一方で日本文化の普及につとめ、書籍編集、デザインのほか、さまざまな文化イベントをプロデュースする。父方の祖父母は、白洲次郎・正子。母方の祖父は文芸評論家の小林秀雄。主な著書に『小林秀雄 美と出会う旅』(2002年 新潮社)、『天才 青山二郎の眼力』(2006年 新潮社)、『白洲 スタイル―白洲次郎、白洲正子、そして小林秀雄の“あるべきようわ”―』(2009年 飛鳥新社)、『白洲家の流儀―祖父母から学んだ「人生のプリンシプル」―』(2009年 小学館)、『骨董あそび―日本の美を生きる―』(2010年 文藝春秋)ほか多数。