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伝説の野球選手「お前の力はそんなものか」テッド・ウィリアムズなら、こう言うだろう

テッド・ウィリアムズは最高の打者だった。そして、最強のくせ者だった。今、スポーツ界、そして社会は、こんな人物を必要としてはいないだろうか? ピューリッツァー賞作家のベン・クラマーが描いた野球界の伝説の内面に迫った1986年、『エスクァイア』誌に掲載されたストーリーを紹介しよう。

By Richard Ben Cramer
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By Richard Ben Cramer,Sports Illustrated,Getty Images

 史上最高の打者と称されるテッド・ウィリアムズ。彼は、さまざまな伝説を残してきた。選手生活は2度も中断を余儀なくされた。 

 第2次世界大戦と朝鮮戦争に、兵士として赴いたのだ。レッドソックスの本拠地、ボストンのメディアやファンたちと不仲だったことでも有名だった。ノンフィクション作家ベン・クラマーがテッド・ウィリアムズの取材を申し込んだ際、球団側は否定的な態度を示した。しかし、どうにか彼に会おうと奮い立ったクラマーは、この野球界の伝説を追いかけて、彼が釣りざんまいの日々を過ごしているフロリダまで飛んだ。彼が対面を果たしたテッド・ウィリアムズは、私たちが知るような男ではなかった。 クラマーは最初から、ウィリアムズの怒鳴り声の裏には、大きくあたたかいハートがあることを知っていたのだ。
―アレックス・ベルス(『エスクァイア・クラシック』エディター)

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By Richard Ben Cramer,Sports Illustrated,Getty Images

 前人未到の記録を達成する――そんな途方も無い目標を掲げ、実際に成し遂げられることは稀だ。だが、テッド・ウィリアムズはやってのけた。

 彼の名を思い浮かべると、いつも思い出す話がある。野球と同様、テッドが“最高”を目指した釣りの話だ。ある日、彼はボストンのライターにこう聞いた。「どこかに、もっと釣りを知ってるやつはいないか?」

「もちろんいますよ」ライターはこう答えた。

「誰だ?」

「神ですよ。魚を創ったのは、神じゃないですか」

「そりゃそうだ。だが、それならずいぶん昔に戻らないといけないな」

これはyouTubeの内容です。詳細はそちらでご確認いただけます。
Batting with Ted Williams from 16mm film by R&M Video
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 テッド・ウィリアムズのバットさばきが全米の注目を集め始めたのは、今から45年ほど前のことだった。そして、彼が自分の周りに壁をつくり始めたのもちょうどこのころだった。彼は名声を欲していたが、 “セレブリティ”として扱われることには耐えられなかった。そして彼のこんな態度が、世間の反感を買った。しかし彼はそんなことでおじけづくような男ではなかった。彼は人生の中で幾千ものいさかいを繰り広げて来たが、アメリカ国民を相手にしたこの壮大な戦いでも徹底的に戦うことを心に決めていた。力の差を見せつけて、目の前の敵をたたきのめすことにしたのだ。これは、彼が対戦相手のピッチャーや野手、さらにはブーイングをするファンたち、それから、ともに結婚生活を送った3人の妻たちにとってきた態度でもあった。

 今、70代を迎えたテッド・ウィリアムズはプライバシーを守る壁を築き上げている。知りもしない人間に顔を見せることはない。そう、彼は簡単に会える男ではなかった。しかし、この記事で私は、テッドのことを世捨て人として描くつもりはない。センチメンタリズムに浸ろうとしているわけでもない。というのも、フロリダキーズ(フロリダ州の列島)の村イスラモラダでは、彼を見かけるのは決して難しいことではないから。彼は毎日早くから外出しているし、なんといっても騒がしい。釣りの案内人たちが朝食をとることで知られるカフェには、最近の釣り場の状況を聞きながら「そんなバカなことあるか!」などと叫ぶテッドの声が鳴り響いている。

 テニスクラブでは、対戦相手を見つけては打ちのめし、高笑いをする。釣り道具店では商品が高すぎると文句を言う。ちなみに、その時友人でもある店主には「そんな色に髪の毛を染めない方がいいぞ。どっちにしろ、はげるんだからな」とも言っていた。

写真:モデルであった2番目の妻、リーと一緒に、カナダのミラミチ川へサケ釣りに行く途中のテッド・ウィリアムズ。

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 ただ、テッドの姿を目にしたからといって、彼の生活の中に入り込めるわけではない。そこに行き着く前に、膨大な数の項目が連なる、彼の“許せないこと”リストを把握しておかなければならない。

 テッドが釣り以外のことで何かを待ったり、他人のために自身のスケジュールを変更するなどということは決してない。また、私生活について口を割ったりもしない。野球界、そして数々の賞を獲得している釣りの世界における、彼の立場を考えてみれば分かると思うが、彼は毎晩のようにディナーの誘いを受ける。しかし、そんな所には行かない。その理由のひとつはネクタイにある。彼はこれが大嫌いで、ここ25年で5回も身につけていない。

 そして、テッドはパーティーにも顔を出さない。ドリンクを片手に立ちながら、「クソみたいな話をきかなければならない」からだ。テッドはレストランにも行かない。そしてそれにはいくつかの理由がある。まず、ウエーターたちはテッドが顔を見せただけで大騒ぎし、ハエのように彼の後ろをついてくる。

 さらに悪いことには、それに(テッドが大嫌いな)“スポーツファン”たちがナプキンを手に持って列をなして、サインを求めてくるのだ。それにレストランの椅子やテーブルは小さすぎて、肘や腕、足を置く場所もない。テッドとレストランの相性の悪さについて、最後はレストランの関係者たちに語ってもらおう。

「彼は安いものしか頼まない。昔は街中の店を訪れていたようだが、あいつは小切手でしか支払いをしないんだ。私たちがそれを換金しないことを願ってね」

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写真:『エスクァイア』誌「The American Man」特集に掲載されたテッド・ウィリアムズの写真。

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 このように、彼のことをよく思わない人間は多い。テッド・ウィリアムズの周囲にいる人の多くは、彼に避けられていると感じていることだろう。

 例えば、電話を無視された人もいる。そして邸宅を囲む、すべての人間を拒絶するようなあの高いフェンス!テッドが門に固くチェーンをかける姿を見て気を悪くする人もいるだろう。

 しかし、彼の友人たちはそんなこと何とも思わない。彼の電話番号を知っている人もいるが、テッドが受話器を外しているのを知っているので、電話をかけたりしない。彼らは、タイミングを見て彼のもとを訪れるのだ。

 そう、門にチェーンがかけられていない時や、色あせたブルーのトラックが邸内にあるのを見かけた時、そして彼が怒りを抱えていない時。そんな時、友人たちはウィリアムズ邸に足を踏み入れる。

写真:ボストン・レッドソックスの本拠地、フェンウェイ・パークにあるテッド・ウィリアムズの銅像。

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こうした条件をクリアすれば、テッド・ウィリアムズに会うことができる。もちろん、例えばジミー・オルブライトのようなテッドの旧友からの紹介は必要だが。

 ジミーは邸内のどこに車を停めなければいけないのかもよく知っている。訪問者がタバコを投げ捨てようとする時、テッドが邸内での喫煙を好まないことを教えてくれるのもジミーだ。

 そして、「おい!テッド!」こんなふうにテッドに声を掛けてくれる。彼の声を聞くと、室内にいた身長190センチ超の大男は椅子から立ち上がり、低い声でブツブツ言いながらリビングを横切り、こう叫んだ。「そいつは誰だ?」

写真:戦地でのテッドは、とにかくタフだったという。第2次世界大戦と朝鮮戦争で計5年間兵役についた。

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 玄関の扉が開くと、そこにはテッドが立っていた。彼は手をこちらへ突き出してきたが、鼻はぴくつき、唇は反り返っていた。そして私の手を握り、ジミーの方を向いてこう言った。「これが、お前の言っていたうさんくさいやつか!まあいい。座れ。そう、あっちだ」。

 テッドはキッチンへ行き、フレッシュ・レモネードを入れてくれた。それでも、彼の声はリビングにまで十分に届く。「で、お前はあの本を読んだのか?」彼が言いたいのは、自伝『My Turn at Bat』のことだ。「お前が聞きたいことは、大抵あの本に書いてると思うぞ。ああ、俺の手元にも一冊あるはずだ」と言い、パートナーのルイーズ・カウフマンに向かって「おいルー、あの本はどこだ?」と叫んだ。

 ルーは3人の息子を育ててきた。だから、テッドでさえ、彼女を怖がらせることはできない。彼女は本をテッドに手渡し、テッドはそれを私の足元に投げた。

「ほら、それを読んでみろ。その後いくつか重要な質問をする」。そこで私は聞いた。「明日でいいですか?では、私から電話しましょうか?」

「冗談を言っているのか」。テッドがこう言うと、ジミーが見かねて打ち合わせの場を設けてくれると申し出てくれた。

「レモネードの味はどうだ?」

「おいしいです」

「そうか。で、お前は俺のことをどう思っているんだ?」

 帰りの車で、ジミーがテッドの電話嫌いについて教えてくれた。「テッドは、25年前私に電話番号を教えてくれたんだ」とジミーは言い、こう続けた。「けれど、私はその番号はどんなやつにも教えたことはない」。ホテルに帰り、私はこのふたりの友情について考えた。いや、待てよ。ジミーとテッドは40年間友人関係にあるはずだ。ということは、最初の15年間、テッドはジミーにも電話番号を教えなかったということか?

 私は、選手生活が終わったことが嬉しい。なによりも、終わったことが嬉しい…… 現実を知っていたなら、仮に戻れたとしても、18歳や19歳になんてごめんだ。この世界のつらさや苦々しさ、そして、いつも自分の肩に世界がのしかかり、骨をすりつぶしているような感覚を知ってしまった今では、そんなこと考えられない。何があっても戻らない。戻りたくない……私は、史上最高の打者になりたかったんだ……。(テッド・ウィリアムズとジョン・アンダーウッドの共著『My Turn at Bat』より引用)

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写真:レッドソックスのチームメート、ハリー・アガニスと食事を楽しむテッド。

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 テッドは、1966年に米野球殿堂入りを果たした。彼は、彼と敵対した記者たちから、かつてないほどの数の票を得たのだ。彼はクーパーズタウンに飛び、アメリカ野球殿堂博物館を訪れた。そして殿堂の外で短いスピーチをした。だが殿堂入りの証しの盾が飾られているギャラリーの中には入ろうとしなかった。

 後日、彼の盾のコピーが送られてきた。そこには、4割6厘の打率やホームラン数といった輝かしい記録が刻まれていたが、そこには戦争のことも、彼の夢のことも、怒りも、これまでに彼が払ってきた代償のことも書かれてはいなかった。盾に記されていることなど、彼の人生のほんの一部なのだ。

 記録に残すことができないものは多いが、そのひとつが、選手がファンに与えた感動だ。ファンたちはテッド・ウィリアムズのプレーに何を感じたのか。彼が会場を盛り上げたのはヒットを打った時だけではない。投手がボールを投げ、テッドのバットが美しい弧を描き、空振りした時、観客席からは何か特別な音が聞こえてきた。

 それは、何千人もの観客がとめていた息を吐き出した時に聞こえるざわめき。そして、自らを奮い立たせ、また前のめりになって試合を見届ける音だった。

 テッドが引退を宣言した時、球団オーナーたちは観客動員数の激減を心配したという。実際、テッドのいないボストンは光が消えたようだった。彼のプレイに一喜一憂した観客たちに残された思い出は、あまりに輝かしく、ほろ苦く、そして強烈だったのだ。

 引退後、彼には何が残ったのか?そこにはプライドがあった。テッド・ウィリアムズは、第二の人生でもプライドをもって生きたのだ。釣竿やリール、タックルボックス、ジャケット、ブーツ、狩用の銃、そしてバット、あらゆる所持品に自分の名前を入れた。

 そして、釣りにのめり込んでいった。誰よりも熱心に学び、野球で培った判断力を駆使し、ここでも華々しい成績を収めていった。ジミーは今でも「誰と比べたって、テッドは最高だ」と言い切る。 

 昨年、テッドとルーは再びクーパーズタウンを訪れた。彼の銅像が公開されるためだった。殿堂には、いくつもの盾が飾ってあったが、これまで銅像がつくられたのはたった2人、ベーブ・ルースとテッド・ウィリアムズだけだった。今回はギャラリーの中にも入った。

 銅像にかぶせられた布を取り、若き日の彼が完璧なスイングをしている姿を眺めた。彼は目を離さなかった。長い間そうしていた。そのうち人々は静かになり、カメラのフラッシュもやんだ。そして、テッドはスピーチを始めようとした。しかし、声は詰まり、代わりに涙がこぼれた。

写真:ただひとり親交の深かった野球選手、ジョー・ディマジオと歓談するテッド。

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 その日、ルーは、心臓の検査を受けるためにマイアミの病院にいるということだった。テッドは、病院に向かう車に同乗することを許してくれた。テッドが運転するのはルーの愛車、フォードだった。車がイスラモラダを出て、混んだハイウエーに差し掛かった時、テッドはあの質問をしてきた。

「本は読んだのか?」私がうなずくとこう続けた「そうか。じゃあ、お前がどれだけ賢いのか見せてもらおう。どうやって始まるかと思う?つまり、席について照明が消え、最初に出てくるものはなんだ? 映画をどんな風に始めたい?」

 テッドは、自伝を映画化する場合の話をしているのだった。フォードがキーラーゴ島を抜けると、彼は渋い顔をしながら最初のシーンを語り始めた。

「よし。どんな風にはじまるのか教えてやろう。まずは、1台の戦闘機だ。パイロットの視線から韓国のソウルを見つめる。戦闘機はゆっくりと雲ひとつない空を飛行する。その時だ。バン!信じられないほどの爆発音が鳴り響く。そして画面は暗くなる。真っ暗だ。10秒ほど、なにも起こらない。何ひとつだ。すると、そこには球場が現れ、観客たちが声援を送っている。これが序章だ」

「それはいいですね」

「だろう? おい、何だこの車は。俺だって追い抜いてやる。チキショウ」。テッドは14時までに病院につくように急いでいた。その時間に、ルーの心臓検査の結果が分かるのだ。彼は車の混み様にいらついていた。

「ルーと一緒になって、どれくらいたつのですか?」

「ルーとは、知り合ってから35年たつ。だが、そんなことは探らないでくれ。俺には素晴らしい友人がいる。それだけのことだ」

「そうですか。けれど、人生の中に女性がいるのといないのでは、男の生き方は大きく変わります」と私が言い返すと、こう話をそらそうとする。「おい、あのシルベスター・スタローンっていうやつは、あの『ロッキー』とかいう映画でかなり稼いだんじゃないのか?」

「テッド、教えてください、あなたは……」

「よく聞け。お前と私生活の話はしたくない。ルーの話もだ。お前は、俺が世間では変わり者だと思われていると言っていたな」

「あなたは、自分が変わり者だと思っていますか?」

「いや、ちっとも思わない。俺は、少し変わった立場にいるだけなんだ。本当にいろんなことが起こった。だから、世間一般のやつらと比べれば変わった人生を歩むことになったんだ。ある意味ではな。大リーグの選手なんてそういるもんじゃないだろう。それに兵役経験がある人間も。それから、俺ほど悪評を買っていた人間もな。だから……」

「だから?」私がこうたたみ掛けると、今度はテッドの頭の中は病院までの道順のことでいっぱいになっていた。「俺は北に行きたいのに。チキショウ! 道を間違った。Uターンしなきゃいけないじゃないか……」

「テッド、私はあなたが、自分が思うがままに生きることについて真剣だっただけなのだと思っています」

「俺は、独りでいたいことがあるんだ。1年の間、シーズン中の7カ月は騒音の中にいなくちゃならなかった。そう、だから少しの静けさ、プライバシーがほしかった」

「そうですね。だけど、プライバシーのことだけではないでしょう。ものごとをねじ曲げようとしている訳ではありませんが、あなたが言うそのプライバシーのせいで、こんな遠くまで来ることになった……」

写真:2002年7月6日、テッド・ウィリアムズが亡くなった日、「さよなら、キッド」の見出しが『ボストン・グローブ』紙一面を飾った。“キッド”はテッドの愛称。この時テッドはすでにボストンのファンたちと和解を遂げていた。

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「サンディー・コーファックスのことを教えてやろうか。あの男は野球をやめてメイン州の片田舎に行った。そこに5年間も暮らした。誰もがやつのことを世捨て人だと思っていた。ひとりになるのが好きだったから人にも好かれず、しまいには、そこも出て行ったんだ。右に曲がろう。ギリアム・ロードに出るまでこのまま進むぞ。クソ! 874号に出たいのに。なんだ、そうするとまた料金所に戻るじゃないか。だから、プライバシーを求めることは……ああ、ここはどこだ?」どうしても気がせいているようなので、私は彼の質問に答えつつ、もう一度聞いた。「キリアンという所ですね。そうです。それで、プライバシーがどうしたんですか?」

「それを求めることは不自然ではない、と言いたかったんだ。クソ!」

「私も不自然だとは思いません」

「お前は、このことを大げさに書き立てようとしているな」

「いえ、不自然だと思わないだけです。あなたは、自分のことを攻撃的だとは思いませんか?」

「そんなことはないだろう。俺が? まさか。ここはケンドールか?ようやく正しい道に来た。874号はそこだ。だから、病院はそこで……」

「予定より30分早いですね」

「ここだ。マイアミ随一の病院。やつらはすごい値段を取る。だから俺はメディケア(アメリカの高齢者向け医療保険制度)に大賛成なんだ。チキショウ! どこに行くんだ、このご婦人は」。

 テッドは、その“ご婦人”が運転する車が出て行ったスペースに駐車し、1時間後に戻ると言い残して病院に入っていった。

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写真:1949年、ニューヨークのブルックリンにかつてあった球場エベッツ・フィールドにて。アメリカン・リーグの歴史を作ったボストン・レッド・ソックスのテッド・ウィリアムズとニューヨーク・ヤンキースのジョー・ディマジオのオールスター・ゲームの直前に撮られた1枚。

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 テッドは、ルーに関するいいニュースを携えて戻って来た。すべての検査は陰性で、心臓には問題がないということだった。そう話すテッドの声は、20歳は若返ったようだった。

「なんて素晴らしい車なんだ!」。

 車を出発させる時、彼はこう歌うように言った。もう道路の混雑にいらつく必要もなかった。帰り道、彼は車のこと、道や街、今の邸宅のこと、それからフロリダ中央部の高い丘、シトラス・ヒルに計画している新しい家のことについて歌うように話し続けた。それから、自分の子どもたちのことも。

「クラウディアはまだ14歳。3人目の妻との子どもだ。この妻と一緒に暮らすのは息が詰まったが、彼女は素晴らしい子どもたちを残してくれた。そうそう、クラウディアは女優なんだ。クリスマス劇で主役を務め、評価も上々らしい。彼女の兄はジョン・ヘンリー。いい子だよ。彼には、悪いところがとくに見当たらない。彼らより年上の姉、ボビージョーは38歳。彼女は問題もあるが、まっすぐに生き始めている。それからこの島。ここにはボーンフィッシュがいる。昔は本当にすばらしかった。ここには何もなかったんだ。最高の漁師たちと、湾と海の間の狭い道と、道路と、それから、まずまずの女たち。水は透明で、ラム酒があって、友人に会って、それがすべてだった」

 それは30年から、35年前の話。この場所がまだ新しくて、ちょうどテッドがジミーやルーと会ったころのことだった。

「ああ、ルーのことは本当にうれしいよ」。テッドは言う、「本当にいいやつなんだ。彼女と楽しく過ごしたい。チキショウ……。ルーは最高だ」

◇PROFILE
テッド・ウィリアムズ
…1918年カリフォルニア州サンディエゴ生まれ。1939年から60年までボストン・レッドソックスで活躍した左翼手。MLB最後の4割打者と称される。1966年に米野球、2000年には釣り、という2つのスポーツで殿堂入りを果たした数少ないアスリートのひとりでもある。2002年没。背番号9はレッドソックスの永久欠番となっている。

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