マーベリック。それは一匹狼であり、“異端児”。飲食店経営に2度失敗しても物ともせず、独学で20年鮨を究め続けてきた「鮨人」の木村泉美さん。富山という土地を味方に、世界中に鮨の魅力を発信し続ける。

 今度は何をやってくれるのか?彼のもつマーベリックな世界観に迫ります。

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MAVERICK OF THE MONTH:IZUMI KIMURA

 
東京のお客さんを呼んで
富山を感じてもらえれば勝ち。
自分が育った場所を大切にしたい。

 ロン毛にグラサン。バックラッシュのライダーズジャケットに身を包み、さっそうと撮影現場に現れたのは、木村泉美氏。50歳とは思えぬ引き締まった体に、革ジャンが実に板についている。そう、まるでロックミュージシャンのようないでたちのこの人物が、今をときめく鮨の名店、富山「鮨人」の大将だ。その鮨を目当てに、名うてのグルマンたちが世界中から訪れるこの店で、彼は、日々、己のうちに潜む敵と戦っている。

「革ジャンは男の戦闘服。僕、20着ぐらいは持ってますよ。革のジャンパーって革命のよろいですから。革に命を吹き込むって、まさに革命でしょう」。 けれんなくそう語る木村氏は、まさに鮨業界の革命児。いや、異端児である。

 優れた料理人というものは、多かれ少なかれ(いい意味で)変態であり、異端児だ。変態でなければ人を感動させる料理は作れない、と言ってもいいだろう。とはいえ、彼ほどの変態、もとい、特異な例は他に類を見ない。

 ビジネスマンなど幾つかの職業に就いた後、彼が鮨の世界に入ったのは29歳。鮨職人としてはかなり遅いスタートだった。だが、ただそれだけで、彼を異端児と言っているわけではない。そういうケースはまれとはいえ、フランス料理から家業を継いだ人形町の名店「㐂寿司」の先代などこれまでも数件は見聞きしてきた。が、彼の異端ぶりははるかにそれを上回る。そのマーベリックたるゆえん、それは、彼が独学で鮨をマスターしたことに他ならない。包丁さえろくに触ったことのなかった素人にもかかわらず、師匠を持つことなく、通常なら通るべき修業の道もすっ飛ばし、まっとうな鮨で勝負。究めようとしているのだ。

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Photograph / Junji Hata

「最初は、手取り早く技術を学べそうな回転寿司に入ったのですが、ここでは人を喜ばせる術は学べても、技術を身につけるには立ちの鮨屋がいい。そう思って辞めました。だから鮨は独学です」。修業の代わりに、彼が着目したのが、TVのビデオやYouTubeの動画。「『情熱大陸』の鮨『あら輝』さんのビデオは死ぬほど見た」そうで、そんな名店の主人の握る所作を参考に、見よう見まねで練習しつつ、自分のスタイルに合わせた鮨を模索していった。

 そして、回転寿司を辞めてからわずか1年半後、31歳の時に無謀にもいきなり店を始めてしまったのだ。「英語を習ってから外国に行く人はいないでしょう。言語なんていうのは、現地に行ってから、必要なことだけ覚えればいい」。潔いまでの現場主義。しかし、やると決めたら、覚悟を決めて突き進む。そう、彼はパッションで動く人間なのだ。常に自分を追い込みながら、気持ちを奮い立たせ、前に進んでいく。

 そこに、一人荒地を突き進む開拓者のごとき不屈の精神力を感じずにはいられない。とはいっても、素人あがりの握る鮨が、すぐに通用するほど世の中、甘くはない。案の定、店はすぐにつぶれてしまう。しかし、そこで木村氏は決して折れなかった。

「ここまで来るのに店、2軒つぶしましたね」。一見、しれっとした表情でこう口にした彼だが、そこには自己破産寸前に追い込まれるなど人には言えないさまざまな苦労があったことは、想像に難くない。折れそうになった木村氏の心を支え、なおかつ奮い立たせたもの、それは一体何だったのだろうか。

 木村氏の生い立ちは、決して恵まれたものではなかった。全国を放浪していた父親は家におらず、3歳の時、東京から預けられた富山の祖母は厳しかった。家は貧しく、当時の自分にはコンプレックスしかなかったーー 。そう振り返る彼は、その時代を闇と呼ぶ。闇の中、光を求めて生きてきた。

「若い頃、僕、ちょっと、頭、おかしかったですから。なんでこんな人生なんだろうとか、なんでうまくいかないんだろうとか、そんなことばかり考えてた。心の中はそんな葛藤ばかり。金持ちになってやろうとか、なんとか成り上がろうとか。野心しかなかったですね」。そんな折、訪れたのが銀座「久兵衛」。30歳になる少し前のことだ。この鮨の名店との出合いが、まさしく彼にとっての人生のターニングポイントとなったのである。

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▶▶▶木村泉美さんへのインタビュー全記事をご覧いただけます。
『メンズクラブ2018年9月号』


◇PROFILE
木村泉美さん(鮨職人)
…1968年、東京生まれ。3歳の時に富山の祖母に預けられ、この地で育つ。小学生の頃には既に新聞配達をして、お小遣いを稼いでいたとか。高校卒業後、土木関係の仕事などいくつかの職業に就いた後、29歳で鮨の世界へ。2度も店をつぶすも諦めず、鮨道をまい進。今では、富山一とも言われるほどの名店に。その鮨を求めて全国から美食家たちが訪れる他、バルセロナなど諸外国でもフェアを開催。今、注目の鮨職人の一人だ。


Photograph / Junji Hata
Produce / Babymix
Text / Keiko Moriwaki 
Edit / Emiko Kuribayashi