Face, Glasses, Ear, Nose, Mouth, Hairstyle, Eye, Chin, Forehead, Eyebrow, pinterest

7月1日は、英国の元皇太子妃である
ダイアナのお誕生日でした。
生きていれば55才…。これを機に、
彼女の写真をここに集めてみました。
ここに彼女の生涯を振り返りながら、
永遠の淑女として、彼女のご冥福を
あらためて偲びたいと思います。
 

Interaction, Conversation, Blond, Gesture, Bob cut, Bangs, Scene, Curtained hair, Step cutting, pinterest

Photograph/Kypros(Getty Images) 

 
 どの時代でも、アイコンとなるべき美女が存在するものではないでしょうか。例えばグレタ・ガルボ、マレーネ・ディートリッ ヒ、ブリジッド・バルドー、マリリン・モンロー…と、改めてここに並べてみて共通しているのは、公の場でズバ抜けたキャラクターを発揮しながらも、同時に人間的な脆さや弱さも持っていること。その時代を謳歌し、着実に前に歩いていることは見せながらも、いくつかの不安を抱え、ときに失敗も犯したりすることも我々に示す。そうしや人間らしさを我々に共感させるこできる人こそ、時代のアイコンとして記憶の中にいつまでも残っていくのではないでしょうか。まさに、ダイアナ元妃も、その一人だと思うのです。

 公の場での彼女の笑顔はとても素敵です。人道支援活動で世界を飛び回るなか、誰かの手をとっている写真をご覧いただいたことはあるかと思います。そのときの眼差しひとつにしても、“無垢さ”というか、純粋な(慈)愛を感じさせませんでしょうか。しかしその一方、時折見せる悲しい表情…。カメラにも、時折収められています。「私はこれでいいのか?」と悩んでいるかのような濁りのある表情は、何だったのか。単にお腹が弱く、偶然そのときにお腹が痛かったのかもしれませんが…。つまりその答えは、彼女自身しか知る由もなく、もはや誰にも答えることができない謎になってしまいました。

 ここにダイアナ元王妃の写真を41枚集めてみました。ここに、その謎のヒントがあるかどうか、それは定かではありません。人によっては見るけることができるかもしれませんが…。なにより、もうすぐ来る8月31日、彼女の20回目の年忌にあたります。その前に、しばし彼女を偲んでみませんか!?

1962年 ダイアナ1歳の誕生日

Mouth, Child, Baby & toddler clothing, Toddler, Baby, Plaid, Tartan, pinterest

Photograph/Hulton Archive(Getty Images)

名門貴族のひとつであるスペンサー伯爵家の令嬢として、1961年7月1日に生まれたダイアナ・フランシス・スペンサー。のちのダイアナ元王妃です。彼女はこの日(1962年7月1日)、生家であるサンドリンガムのパークハウスにて、満1歳となる最初の誕生日をお祝いしたのでした。

1965年 幼少期のダイアナ

Hairstyle, Sleeve, Collar, Style, Iris, Monochrome, Blond, Monochrome photography, Portrait, Portrait photography, pinterest

Photograph/Central Press(Getty Images)

1965年当時のダイアナです。年齢は4歳前後にあたります。真正面にカメラに向き合い、やさしい表情を浮かべているのが印象的です。

1969年 少女時代のダイアナ

Sleeve, Collar, Blond, Button, Costume, Portrait, Portrait photography, Bangs, Red hair, Vintage clothing, pinterest

Photograph/Fox Photos(Getty Images)

Lady Diana Spencer (1961 - 1997) later the wife of Prince Charles, 1969.

両親は1967年から別居し、1969年に離婚した。ダイアナら子供の親権は父が獲得した。弟チャールズとともにパークハウスで育てられたが、

1971年 10歳を迎えたダイアナ

Clothing, Lip, Hairstyle, Sleeve, Shoulder, Hat, Headgear, Costume accessory, Cool, Neck, pinterest

Photograph/Central Press(Getty Images)

幸せそうな少女時代の笑顔を見せていたダイアナですが、1967年から両親は別居状態。1969年に離婚したそうで、ダイアナら子供の親権は父親が獲得。その後は弟チャールズとともに、パークハウスで育てられていました。1970年より、ノーフォークの寄宿学校であるリドルズワース・ホール学校に入学。その頃の写真のようです。ロンドンの南西部、ウエストサセックス州のItchenor(イッテェナー)での夏休みを楽しむダイアナです。

1974年 ペットのスカァフルとともに。

Human, Horse, Mammal, Working animal, People in nature, Pony, Ecoregion, Rural area, Pasture, Livestock, pinterest

Photograph/Hulton Archive(Getty Images)

1974年、14歳を目の前にしたダイアナ。1973年にケント州にあるウェスト・ヒース寄宿学校に入学しています。ここは上流階級のお嬢さまたちに教育を施すための学校として1899年に設立された学校で、王族等世界的に有名な家系の子女たちの学び舎となっています。日頃、気品に満ちた交友関係のなか学校生活を送っているせいか、もはや淑女の雰囲気です。が、かわいいペットのポニー「スカァフル」の前ではタジタジですね。まさに「もみ合い」のようです。そして翌年の197 5年、父がスペンサー伯爵位を継承したのに伴って、ダイアナもLady(姫・令嬢)の儀礼称号を授かったのでした。

1980年 チャールズ皇太子との出会い

Hair, Face, Head, Smile, Eye, Forehead, Happy, Suit, Facial expression, Formal wear, pinterest

Photograph/Keystone-France(Gamma-Keystone via Getty Images)

そして、少し足早に時は流れて1980年。チャールズ皇太子との交際が深まった年になります。そもそも出会いはというと…、実は1977年に、ダイアナの姉であるセーラとウェールズ公チャールズは交際していたのでした。そして、初めて出会ったのです。その時は出会いだけだったようで、ダイアナは1977年の末には、スイスにある花嫁学校アルパン・ヴィデマネット学院に入学。しかし、すぐに帰国し、ロンドンで一人暮らしを始めます。この辺の動きが少々怪しいですが、真実はわかりません。そして1979年、王室のサンドリンガム邸のパーティーにて、皇太子と再会したのがきっかけで皇太子と親しい関係となり、このような状態になったわけです。

1980年 バッキンガム宮殿にて

Clothing, Leg, Trousers, Collar, Dress shirt, Shirt, Coat, Standing, Outerwear, Suit trousers, pinterest

Photograph/Keystone-France(Gamma-Keystone via Getty Images)

<span>1980年にはすでに<span><span>バッキンガム宮殿にも訪れ、</span>エリザベス女王</span>とも面会しています。当時のダイアナは19歳前後。初々しい笑顔で、セーラー服タイプの私服はキュートです。チャールズ皇太子はロイヤルファミリーの男性が撮影されるときのお決まりポーズ。左腕の袖口&時計を触る仕草に。可愛いダイアナを前に、興奮を抑える心理が働いているのでしょうか…。</span>

1980年 ピムリコにある幼稚園にて

Human, People, Sleeve, Mammal, Child, People in nature, Baby & toddler clothing, Toddler, Jacket, Monochrome, pinterest

Photograph/Tim Graham Picture Library(Getty Images)

1980年9月17日、ロンドン中心部のピムリコにある、当時、彼女が勤務していた幼稚園でのダイアナ。ちょうどこのころ、マスコミは皇太子とダイアナの関係を突きとめたのでした。このころから昼夜問わず、マスコミがダイアナのところへ押し寄せてくるようになり、ダイアナに私生活は無くなったのでした。

1980年 車に乗り込むダイアナ

Street fashion, Classic car, Windshield, Automotive window part, Classic, Hood, Feathered hair, Scarf, Bangs, Portrait photography, pinterest

Photograph/Central Press(Getty Images)

1980年11月12日、西ロンドンにある自宅から出て、愛車に乗り込もうとする寸前のダイアナ。このころから、彼女の愛車である赤いローバー・メトロは、常に何台ものマスコミの車から追跡を受けるようになりました。以来、前ページのような「無」とも言っていいくらい、そして「諦め」をも感じさせる表情がちらほら見られるようになったのでした。そして、少女期のようなまっすぐ見つめる笑顔ではなく、このように影のある笑顔を浮かべるようになったかと…。

1981年 チャールズ皇太子との婚約発表

Clothing, Coat, Collar, Dress shirt, Shirt, Outerwear, Fashion accessory, Formal wear, Style, Suit, pinterest

Photograph/Tim Graham(Getty Images)

1981年2月24日、ダイアナとチャールズ皇太子は婚約を発表します。こちらが発表後、バッキンガム宮殿の敷地内で撮影した写真です。そして、左手の薬指には婚約指輪が。センターに青のサファイアを廃止、それをいくつものダイヤが囲んだリング。英国を象徴するロイヤルブルーを体現した気品に満ちた美しさをもっています。このカラーに合わせたのでしょう、ダイアナのロイヤルブルーのスーツもすばらしいですね。そして、この威厳と品のあるリング。ウィリアム王子によりキャラリン妃に受け継がれているのでした。では、彼女の笑顔を見てみましょう。いい笑顔なのですが、どことなく重たい荷物を背負っているときの笑顔に見えませんか?

1981年 ブロードランドでの式典にて

Smile, People, Crowd, Coat, Suit, Formal wear, Bouquet, Blazer, Cut flowers, Tie, pinterest

Photograph/Kypros(Getty Images)

1981年、婚約後、結婚式を前にブロードランドへ。ここでは、ウィリアム皇太子の偉大な叔父であるマウントバッテン公の記念展が開催され、そのオープニング式典へ出席したダイアナ。婚約発表後なので、異常な人気にとまどいの笑顔といった感じでしょうか。「アクシデントに直面した際に人は、本性を出す」というのが正しいのであれば、このキュートなダイアナの笑顔は彼女の本質に違いありません。ちょっとホッとする、可愛い笑顔じゃないでしょうか。

1981年 グレース王妃とともに

Event, Cap, Fashion accessory, Strapless dress, Formal wear, Interaction, Suit, Tie, Dress, Necklace, pinterest

Photograph/Tim Graham(Getty Images)

ダイアナは1981年3月9日、チャールズ皇太子とともにロイヤル・オペラ・ハウスの援助募金コンサートとレセプションに出席。そこには、モナコのグレース王妃も出席していました。王妃への準備運動といった感じでしょうか。

1981年 ロイヤルウェディング

Hat, Tradition, Formal wear, Headgear, Bridal clothing, Classic, Bride, Marriage, Wedding dress, Bridal veil, pinterest

Photograph/Princess Diana Archive(Getty Images)

<span>1981年7月29日、20歳のダイアナと32歳のチャールズ皇太子のご成婚となりました。<span>この結婚式の様子は世界へテレビ中継され、全世界70カ国7億5000人もの人々がふたりの結婚を祝福しましたのでした。</span></span>

1981年 結婚式を終え、バルコニーにて

Bridal veil, Bridal clothing, Veil, Dress, Bride, Formal wear, Wedding dress, Gown, Coat, Suit, pinterest

Photograph/Express Newspapers(Getty Images)

1981年7月29日、セントポール大聖堂での結婚式の後、馬車でバッキンガム宮殿に戻りました。そして、宮殿のバルコニーに立ち、改めてお披露目した際のお二人です。実にいい笑顔ではないでしょうか。そして、彼女のウエディングドレスも世界で注目されました。英国製シルクで仕立てられ、1万個の真珠があしらわれたドレス。7.6メートルと、ロイヤルウェデングとしては史上最高の長さのヴェールも話題になりました。そしてティアラも…。こちらはダイアナの実家のスペンサー家に代々伝わる”スペンサー・ティアラ”と呼ばれたものとのこと。花嫁の幸せを願うおまじないである「サムシングフォー」のひとつに、”なにか古いもの”という項目があります。それを実践し、古くからの家宝ティアラをこの時初めて公開したそうですが……。

1981年 ロイヤルハネムーン

Collar, Dress shirt, Sleeve, Shirt, Happy, Plaid, Facial expression, Tartan, People in nature, Pattern, pinterest

Photograph/Jayne Fincher(Princess Diana Archive/Getty Images)

1981年9月、スコットランドのバルモラル城でハネムーンを過ごすダイアナ妃とチャールズ皇太子。二人でディー川の川べりで記念撮影を。ダイアナ妃のスタイリングは、カントリースタイルにふさわしいBill Pashleyのツイードハンティングスーツ。これも話題になりました。

1981年 ウェールズにて

Motor vehicle, Transport, Passenger, Vehicle door, Glass, Windshield, Automotive window part, Commercial vehicle, Public transport, Classic, pinterest

Photograph/Tim Graham(Getty Images)

1981年10月29日、ダイアナ妃は、ウェールズ語で演説をした後にチャールズ皇太子とともにカーディフ・シティ・ホールから車で立ち去るところ。ラブリーなロイヤルブルーのドレスが素敵です。透けドレスですが、裸ギリギリではありません。それがダイアナ妃の素敵な計算ですね。

1981年 国会開会式に出席

Photograph, Headgear, Vintage clothing, Bride, Wedding dress, Headpiece, Bridal clothing, Bridal veil, Crown, Hair accessory, pinterest

Photograph/Anwar Hussein(Getty Images)

1981年は、彼女にとって実に目まぐるしい年だったことでしょう。11月4日、結婚後最初の国会開会式に出席するため、アン王女とともに。この1カ月前、妊娠していることも発表。結婚4カ月目、そしてウィリアム王子妊娠中に公務デビューとなりました。

1981年 時折見せる不安げな表情

Communication Device, Conversation, Portable communications device, Mobile phone, Blond, Gadget, White-collar worker, Mobile phone accessories, pinterest

Photograph/Kypros(Getty Images)

1981年、私生活がなくなったダイアナ妃。ときに、本心からうれしそうな笑顔を見せ、そして、重荷を背負った自分の現状を隠すかのように、繕いかと思わせるような複雑な笑顔をマスコミに向ける彼女。そしてときに…。このように前途が「不安でしょうがない」とも思える表情をこぼすときがあるのでした…。、

1982年 ウィリアム王子とともに

Nose, People, Hat, Photograph, Sun hat, Monochrome, Vintage clothing, Monochrome photography, Retro style, Tie, pinterest

Photograph/Keystone-France(Gamma-Keystone via Getty Images)

チャールズ皇太子との最初の子息となるウィリアム王子を1982年6月21日に出産。その約1カ月後の8月5日、チャールズ皇太子とともにウィリアム王子をお披露目するダイアナ妃。彼女の小指をチューチューする微笑ましい光景とともに、ダイアナ妃も聡明な笑顔を浮かべていますね。王室の出産は、これまでバッキンガム宮殿内で出産するのが伝統だったのですが、ダイアナ妃は最新医療設備のある病院での出産を希望。そこで西ロンドンにあるセント・メアリー病院での出産を決めたのでした。そして、その新たな伝統を引き継ぎ、ウィリアム王子の妻キャサリン妃もセント・メアリー病院でシャーロット・エリザベス・ダイアナを出産したのでした。

1983年 9カ月半のウィリアム王子とともに

Human, Smile, Lighting, People, Eye, Stuffed toy, Lampshade, Lamp, Picture frame, Interior design, pinterest

Photograph/Tim Graham(Getty Images)

1983年2月1日、ロイヤルファミリーについての情報に特化した皇室専門雑誌『MAJESTY』にも掲載された、ケンジントン宮殿にて9カ月半のウィリアム王子を中心にした3人のカット。実に微笑ましいですね。ウィリアム王子はコアラのぬいぐるみがお気に入りのようです。すべての重荷は、純粋無垢なウィリアム王子の存在、そして母としての深い使命により、一時忘れ去られていたのかもしれませんね。事実、1982年6月21日にウィリアム王子の出産して以降、皇太子は秘書官たちの反対を押し切って公務への出席を減らし、ダイアナと一緒に王子を育てることに専念したといいます。この時期が、ダイアナにとって最も幸せな家族団らんの日々であったのかもしれません。

1983年 ニュージーランドにて

Hair accessory, Headpiece, Crown, Style, Bridal accessory, Fashion accessory, Tiara, Headgear, Fashion, Beauty, pinterest

Photograph/Anwar Hussein(Getty Images)

1983年4月29日、ニュージーランド訪問した際のお別れの会に出席したときのダイアナ妃になります。そしてこのティアラ、ダイアナ妃が身に着けたことから注目を浴びた、ティアドロップ型の真珠が配された「ケンブリッジ・ラバーズ・ノット・ティアラ」、別名は「永遠の絆」になります。「クイーンメリー・ティアラ」とも呼ぶようです。ちなみにドレスは、Gena Fratinaのガウンでした。

1984年 オスロにてバレエ鑑賞

Clothing, Hairstyle, Jewellery, Eyelash, Style, Fashion accessory, Fashion, Dress, Day dress, Blond, pinterest

Photograph/Anwar Hussein(Getty Images)

1984年2月11日、ノルウェー・オスロに訪問したダイアナ妃。Jan van Veldenのエレガンスな透けドレスを着用して、バレエの鑑賞をしました。

1984年 ハリー王子出産

Coat, Suit, Blazer, Conversation, White-collar worker, Love, pinterest

Photograph/Tim Graham(Getty Images)

1984年9月15日に、ロンドン・パディントンにあるセント・メアリー病院にて、第二子となるヘンリー王子を出産。そしてその2日後の9月17日、ダイアナ妃はヘンリー王子を抱き、チャールズ皇太子ととも病院を去ったのでした。

1983年 ヘンリー王子とスコットランドへ

Vehicle door, Overcoat, Door, Passenger, Public transport, Bonnet, Button, Railway, Beanie, Pocket, pinterest

Photograph/Georges De Keerle(Getty Images)

1984年、ダイアナ妃はヘンリー王子を抱え、スコットランドのアバディーン空港で飛行機から降り立つところ。このコートは1年前も着こなしています。そのとき抱えているのは、ウィリアム王子でした。

1984年 サウサンプトンにて

Face, Crowd, People, Hat, Headgear, Team, Fan, Academic dress, Public event, Audience, pinterest

Photograph/Chris Wood/Express(Getty Images)

1984年11月15日、英国南部にあるサウサンプトンで行われた豪華客船の進水式に出席したときには、大観衆に囲まれました。そして、その船の名は、ダイアナ妃による“Royal Princess”命名。その式も兼ねた出席になります。この船は全客室が海に面し、吹き抜けアトリウムを世界で初めて客船に採用した革新的な客船。命名式では、この日のために特別に作られた壇上で、彼女は航海の安全と神の祝福を祈願しました。その後、キャプテンのエスコートで船内を見学。忘れがたい思い出の足跡をこの船に残したのでした。

1985年 バチカン市国へ

Coat, Bishop, Clergy, Blazer, Priesthood, Presbyter, Metropolitan bishop, Nuncio, Vestment, Bishop, pinterest

Photograph/Anwar Hussein(Getty Images)

1985年4月には、チャールズ皇太子とともにイタリアへのツアーに。そして途中、バチカンにて教皇ヨハネ・パウロ二世と面会を果たしました。キャサリン・ウォーカーがデザインしたレースによるブラックドレスが、清楚な雰囲気をより際立たせています。

1985年 ブリタニア号でイタリアに別れを

Face, Hair, Nose, People, Collar, Dress shirt, Interaction, Tie, Gesture, Grandparent, pinterest

Photograph/Jayne Fincher(Princess Diana Archive/Getty Images)

1985年4月19日から5月5日までウィリアム&ヘンリー王子を伴い一家でイタリア訪問。この写真は4月に、ブリタニア号(ロイヤル ヨット ブリタニア Royal Yacht Britannia)のボード上でイタリアに別れを告げるチャールズ皇太子とウィリアム王子、そしてダイアナ妃と彼女に抱きかかえられるヘンリー王子。

1985年 プレミア上映会に出席

Dress, Formal wear, Gown, Fashion, Bridal clothing, One-piece garment, Classic, Haute couture, Victorian fashion, High heels, pinterest

Photograph/Anwar Hussein(Getty Images)

ダイアナ妃のお気に入りデザイナーの一人、ブルース・オールドフィールドのシルバーのガウンを着こなしてのお出かけ。1985年11月18日、「007」シリーズの当時最新作である『A View to a Kill (007 美しき獲物たち)』のプレミア上映会に出席したときのドレスが、実に華やかです。表からは実にエレガントなのですが、後ろに回れば背中の露出度もかなり高いデザインになっています。このあたりの着こなしの戦略に長けているダイアナ妃なのでした。

1985年 サドラーズ・ウェルズ劇場にて

Dress, Formal wear, Fashion, Public event, One-piece garment, Premiere, Fashion design, Haute couture, Gown, Day dress, pinterest

Photograph/Anwar Hussein(Getty Images)

1985年12月1日、ロンドンのサドラーズ・ウェルズ劇場にてバレエダンサーたちを労うダイアナ妃。プラムカラーのヴェルベットのドレスは、これまた大胆なローバック。このころのダイアナ妃、密やかにセクシーなドレスばかりを着こなしていたような気がします。何か訴えたいことがあったのかもしれませんね。

1986年 京都・二条城にて

Hat, Sun hat, Interaction, Headgear, Tradition, Temple, Ceremony, Fedora, Costume, Ritual, pinterest

Photograph/Anwar Hussein(Getty Images)

ダイアナ妃は、1986年5月8日の夜から6日間の日程で日本を訪れました。5月9日には京都へ。二条城にて着物をプレゼント。うれしそうに羽織っています。このときのドレスは、白地に赤の水玉。いわゆる「日の丸ドレス」を着こなしての訪日となりました。これを着こなし、上品に見えるのはダイアナ妃だけかもしれませんね、このときダイアナ妃は24歳です。ウィリアム王子は3歳11カ月でヘンリー王子は1歳9カ月ほどの頃になります。

1988年 バッキンガム宮殿のバルコニーにて

Face, People, Hat, Child, Sun hat, Costume accessory, Acting, Fedora, Vintage clothing, Costume hat, pinterest

Photograph/Tim Graham(Getty Images)

1988年6月11日、バッキンガム宮殿のバルコニーから。ダイアナ妃に抱かれているのは、ヘンリー王子。舌を出したあどけない表情が非常に微笑ましいです。さらに、その下で悠々とし笑顔を放つウィリアム王子。王子らしくなってきました。そしてケント公のお嬢様であるレディ・ガブリエラ・ウィンザー、そしてグロスター公のお嬢様であるレディー・ローズ・ウィンザーとともにご挨拶。毎年6月はエリザベス女王の誕生日式典が行われるので、そのときの風景でしょうか? 定かなことはわかりません。

1988年 クラリッジスでのパーティ

Clothing, Glasses, Nose, Dress, Coat, Outerwear, Formal wear, Style, Hair accessory, Headpiece, pinterest

Photograph/Tim Graham(Getty Images)

1988年7月14日、当時のトルコ大統領、ケナン・エヴレンが主催するクラリッジスでのパーティに出席したダイアナ妃。左はデコルテが見えるほどのビスチェ調ですが、右側はエレガントすぎるロングスリーブに。このように、ダイアナ妃はセクシーさを程よく発揮し、さらにアシンメトリーなデザインのドレスを好んでいるようにも思えます。自然と心の形と同じものを好んでいたのかもしれませんね。

1991年 放棄された子供たちを訪ねて

Hair, Ear, People, Happy, Child, Interaction, Sharing, Baby & toddler clothing, Black hair, Toddler, pinterest

Photograph/Tim Graham(Getty Images)

ダイアナが残した手記等によれば、1984年ヘンリー王子が生まれた時点で気持ちのうえでの二人の関係は終わっていたといいます。1987年ぐらいから、ケンジントン宮殿は皇太子不在状態が常態化し、ダイアナが事実上の女主人になっていたという話です。こうして皇太子への情熱を失ったダイアナ妃は、その代わりに王子二人の養育とともに、慈善事業へ情熱を注ぐようになったのでした。そんなダイアナ妃が熱心に取り組んだ慈善事業の一つがエイズ問題です。ダイアナ妃は「英国エイズ救援信託基金」を財政支援し、また積極的にエイズ患者と触れ合うことでエイズ患者に対する偏見をなくすことに尽力したのでした。そして1991年4月24日、ダイアナはブラジル・サンパウロへ。AIDSに罹患(りかん)しているからという理由で放棄された子供たちが集められたホステルを訪問。短時間ながら、可能なだけの愛情を注ぎこんでいました。

1993年 遊園地ソープパークで

People, Interaction, Sharing, Conversation, Laugh, Family pictures, pinterest

Photograph/Julian Parker(UK Press via Getty Images)

1993年、服装からすると秋のことでしょうか。英国サリー州にある遊園地ソープパークでコースターに乗るダイアナ妃とウィリアム王子、そしてヘンリー王子。1992年6月から、『サンデー・タイムズ』では『ダイアナ妃の真実』の連載記事が掲載されていたのでした。その内容はダイアナ妃本人やダイアナの友人の証言による皇太子を批判するものだったのです。この出版以来、皇太子とダイアナ妃の関係は完全に終わったと言っていいでしょう。正式な別居は1992年12月9日。両者合意のもと正式に発表されたのでした。その別居の際の条件として、ダイアナは王子二人と隔週の週末に会うようになったのです。その日にはダイアナは学校まで車で王子たちを迎えに行って、ケンジントン宮殿に連れ帰り、親子水入らずの日を過ごしたわけです。そんな日の光景になります。信頼するお付きのガードがパパ代わりに同行し、水の上を流れるコースターに。最後はお三方はびしょ濡れになっています。ウィリアム王子は濡れて困っていますが、ヘンリー王子が動じていないところがいいですね。心配そうなダイアナ妃も、実に微笑ましいです。

1994年 世にいう“リベンジドレス”で登場

Dress, Headlamp, Automotive lighting, Grille, Automotive exterior, Formal wear, Style, Bumper, Hood, Cocktail dress, pinterest

Photograph/Jayne Fincher(Getty Images)

1994年6月29日、ロンドンのケンジントン・ガーデンズの林の中に建っている小さな美術館サーペンタイン・ギャラリーに訪問したときのダイアナ妃です。この日のダイアナ妃は、デコルテからバストの上まで大きく開いた黒のドレスで登場しました。この日は同時に、ある発表が行われたのでした。それはチャールズ皇太子がテレビを通して、ダイアナ妃との結婚生活をおくるなか浮気を犯していたことを告白する日だったのです。そんな日に彼女が選んだドレスは、デザイナーのクリスティーナ・スタンボリアがデザインした、嫋やかなオフショルダーが魅力のボディコンシャスな黒のミニドレス。以前は「下品」と避けていたドレスだったのですが、この日はあえてこれを…。いわゆるダイアナ妃が決意表明したドレスとして、後に“リベンジドレス”と称され注目を浴びたドレスのひとつになります。しかし、私生活の悩みなどいっさい感じさせない笑顔は素敵です。この日こそ、彼女の重荷が外れた日なのかもしれませんね。ちなみにサーペンタイン・ギャラリーは、ダイアナ妃の巨額の資金援助もあって1998年に修築工事が完成。より多様な展示を受け入れることのできる空間へと改善されたのでした。

1995年 イートン校の初日

Clothing, Footwear, Coat, Leg, Trousers, Collar, Suit trousers, Shirt, Dress shirt, Standing, pinterest

Photograph/Anwar Hussein(Getty Images)

1995年9月16日、英国名門校であるイートン校にて。イートン校は日本でいう中高一貫校になります。13歳になったウィリアム王子の通学初日となります。徐々に自立していく息子たちを嬉しそうに肩を押すダイアナ妃も笑顔がたまりませんね(実際に押しているのは入学前のヘンリー王子ですが…)。幸せさがにじみ出ています。息子たちの確かな成長を実感し、この時期のダイアナ妃は心に余裕が出てきたのでしょう、素敵な表情が復活しています。「ウィリアム、爪を噛むのはやめなさい(笑)!」と、微笑ましいお叱りの言葉が聞こえてきそうですね…。

1996年 シドニーでチャリティディナーに出席

Flooring, Event, Dress, Coat, Trousers, Suit, Outerwear, Carpet, Formal wear, Camera, pinterest

Photograph/Peter Carrette Archive(Getty Images)

1996年10月31日、オーストラリア・シドニーにあるエンターテイメントセンターで行われた、ビクター・チャン心臓研究所主催のチャリティ・ディナーに出席したダイアナ妃。ブルーのワンショルダードレスが美しすぎるのでした。

1997年 アンゴラにて

Footwear, Leg, Product, Dress shirt, Collar, Luggage and bags, Tie, Employment, Job, Service, pinterest

Photograph/Tim Graham(Getty Images)

1996年8月に離婚が成立後、マスコミの注目を集める自分の立場を有効利用しるかたちで、地雷の撲滅にむけての運動に注力していたダイアナ妃。1997年1月14日にはアンゴラに赴きました。当時アンゴラは、地雷による死傷者数が世界一多い国だったのです。そこでダイアナ妃は地雷撲滅キャンペーンの一環として、アンゴラの首都ルアンダを訪問。地雷により負傷した多くの少年少女、若者たちに力強い勇気を与えたのでした。

1997年 夏のサントロペで

Human leg, People in nature, Summer, Waist, Barefoot, Beauty, Thigh, Foot, Calf, Abdomen, pinterest

Photograph/Michel Dufour(WireImage)

1997年7月17日、フランスのサントロぺでビーチで和むダイアナ妃。その1カ月半後の8月31日に、パリで自動車事故となることなど誰が想像できたでしょうか。いや、誰かは想像していたかもしれまん…この写真のボディラインを見て…。

1993年 バージン諸島で海水浴

Leisure, Summer, Liquid, Wave, Vacation, Muscle, Holiday, Swimwear, Sunglasses, Wind wave, pinterest

Photograph/Anwar Hussein(WireImage)

ちょっと前のダイアナ妃の水着姿を見てみましょう。こちらは1993年1月、バージン諸島で海水浴を楽しむ様子です。1992年12月9日に、チャールズ皇太子との別居生活に入ることが正式に発表されてからのバケーション。無邪気に波と戯れる様子が、少々せつなく感じさせるも実に幸せそうに見えるのでした。

1997年 ビキニで船上に立つ

Human leg, Swimwear, Competition event, Bikini, Swimsuit bottom, Undergarment, Thigh, Muscle, Waist, Trunk, pinterest

Photograph/Anwar Hussein(WireImage)

1997年、ビキニで船上の立ち、海を見つめているダイアナ。その先には誰がいるのでしょうか。南フランスでの休日を満喫しているようですが、なにやら難しい顔つきにも見えるのでした。サントロぺでの滞在は、亡き父スペンサー卿や継母レインが親しくしていたロンドン老舗デパート「ハロッズ」のオーナーであるエジプト人大富豪のモハメド・アルファイドにより、招待をうけての訪問になります。アルファイド家には色々と黒い噂があり、ダイアナの友人たちは関わらない方がいいとの忠告を受けながらも、ダイアナは夏休み中の二人の王子とともに招待を受けることにしたのでした。アルファイド家所有のクルーザーで。地中海クルージングを楽しんだようです。そこでダイアナは、モハメドの息子ドディと親しくなったのでした。ドディは当時41歳の映画プロデューサーであり、アカデミー賞受賞作品『炎のランナー』を手掛けた人物です。ドディとダイアナの交際が深まると、モハメドはイギリス王室と親戚関係を持つ野望を公然と口にするようになったとか…。王子2人は7月20日にロンドンに帰国したのでしが、ダイアナはそれ以降もドディと地中海クルージングを続けたそうです。そして8月初めに、ダイアナとドディのクルージングがマスコミによって写真に収められ、「ダイアナの新しい恋人」との報道が過熱したのでした。これがそのときの写真の一枚です。しかし、この時期におけるダイアナの交際相手はもう一人。パキスタン人の心臓外科医ハスナット・カーンです。交際は同時進行だったのでしょうか? 本命はどちらだったのでしょうか? その答えはわからぬまま、8月31日を迎えることになったのでした。