第35代アメリカ合衆国大統領ジョン・F・ケネディ夫人で、最も有名なファーストレディの一人、ジャクリーン・ケネディ(以下ジャッキー)。

ジャッキー
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姉ジャクリーン・ケネディ・オナシスと妹リー・ラジウィルが飛行機に搭乗するところ。

彼女はケネディ元大統領の死から5年後の1968年10月20日に、“20世紀最大の海運王”と称されるギリシャの実業家、アリストテレス・オナシスと再婚しました。実は、このオナシスは、ジャッキーと結婚する前に数年間にわたって彼女の妹であり、姉同様“ファッションアイコン”でありソーシャライトとして知られたリー・ラジウィルと交際していたことをご存じでしょうか。

アメリカのジャーナリスト、J・ランディ・タラボレッリの新著『Jackie, Janet & Lee: The Secret Lives of Janet Auchincloss and Her Daughters, Jacqueline Kennedy Onassis and Lee Radziwill』にて、ジャッキーとリーの複雑な姉妹関係の全容が、いま明らかになりました。

美しきプリンセス、
リー・ラジウィルの
絶対的な存在感

ジャクリーン・ケネディ
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ジャクリーン・ケネディ・オナシスの3歳下の実妹リー・ラジウィル。

1963年8月22日、当時、広報のエグゼクティブとして活躍していたリーはギリシャの「ヒルトン アテネ」のオープニングイベントに、アリストテレス・オナシスとともに出席。イベントの責任者はコンラッド・ヒルトンJr.で、彼と妻のトリシュは幹部役員らとともにリーとオナシスを含む全ゲストにあいさつをしていました。

ヒルトンJr.の友人で、「ヒルトン アテネ」の広報を担当していたボブ・ウェントワースは当時のことを以下のように振り返っています。

「あの夜のことで私が一番覚えているのは、リーとアリというひと際目を引いたカップルのことです。部屋に入ってきた彼はタキシードを、彼女はロングのキラキラしたガウンを身にまとって、魔法のような不思議な空間がそこにはありました。まるで本物の王族メンバーが現れたかのように、誰もが驚き、彼らが通る道を開けていたのです。トリシュが目を丸くして、『まぁ、彼女はなんて豪華なの。彼女はプリンセスか何か?』と尋ねてきて、僕はリーがポーランドの大貴族の末裔であるスタニスラス・アルブレフト・ラジヴィルの妻であることを話しました。トリシュはラジウィル王子がどこにいるのか、妃はなぜオナシスといるのか不思議に思っていました。その後、オナシスがリーの身体に腕を回すたびに、彼女が少し距離をとって居心地悪そうにしていることに気づきました。まるで、公の場では彼と一緒にいたいように見せて、本当は我慢しているかのようでした」と…。

“ジャクリーン・ケネディの妹”

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ジャッキー・ケネディ(左)とリー・ラジウィル(右)。

「ヒルトン アテネ」の広報を担当していたボブは、ヒルトンJr.とオナシスの奇妙な会話を聞いてしまったそうです…。「ニッキー(ヒルトンJr)はオナシスに、『リーは本当に君のことが好きなようだ。君はラッキーな男だな』と言い、オナシスは『僕はラッキーだよ。彼女は素晴らしい女性だと思わないか? ジャクリーン・ケネディの妹だしね』と言っていました」と。

さらに「ニッキーは困惑した表情でオナシスを見つめ、『まぁ、僕は、リーはファーストレディよりも愛らしいと思うがね』と言いました。オナシスはほほ笑み、『そう思うか? ジャッキーは無知なように思える。でもリーは違う。彼女は賢いよ』と返しました。その後、部屋の隅にいるリーとオナシスを見ると、2人はお互いに夢中になって話していて、まるでその部屋には他に誰もいないかのように2人の世界に入っていました。遠くからでも2人の間に走る情熱を感じとることができたほどです」。

ジャクリーン・ケネディ
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葬儀に涙にくれるジャクリーン・ケネディ

1963年9月の終わり、ジャクリーンとケネディの第2子だったパトリックが亡くなってから1カ月がたった頃、ジャッキーは変わらず悲しみに暮れていました。彼女の精神状態はさらに悪化していたのです。

どうにか姉を助けたいと思ったリーは、オナシスと一緒にクリスティーナ号でクルージングすることを提案。当時のリーをよく知る人物は、「後の彼女は、このことが人生の中で二番目に大きな間違いだったと考えていたようです。一番目はラジウィル王子と結婚したことだそうです」と、振り返っています。

ジャッキーとオナシスの
出会い、そして結婚へ

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ケネディ元大統領の暗殺事件から5年が過ぎた1968年5月、ジャッキーはオナシスと一緒にクリスティーナ号でヴァージン諸島を周遊していました。

オナシスの友人ジョアン・スリングによれば、ジャッキーが到着する前、オナシスのスタッフは船内の至るところにケネディとジャッキーの写真を置いていたそうです。「私たちはお互い顔を見合わせて笑いました。オナシスは『ジャッキーが今晩来る』ということなど、誰にも何も話していませんでしたから。彼女のことは秘密だったようです。だから私は彼らに『ディナーに誰が来るのか当てましょうか? ジャッキーに違いないわね』と言ったのです。その日は、オナシスのスタッフが船を下りることになっていたので、見送りに行きました。それから1時間ほどして船に戻ると、窓から、ちょうど到着したジャッキーの姿が見えたのです」。

このツアーをきっかけに互いの未来について真剣に考えるようになったというジャッキーとオナシス。もっとも、ジョアンによると、この時はまだそれぞれ別々の部屋で寝ていたと証言しています。「イチャイチャしている感じや、触れ合うようなことはありませんでした。私たちがその場にいた間は何もなかったはずです。それから彼らは午後の1、2時間を2人で過ごして、何かに合意したようでした」と。

ジョアンの推測どおり、この時のクルーズでオナシスはジャッキーにプロポーズし、彼女の自由を保障したのだといいます。何よりも重要なことは、彼との結婚によってジャッキーは再び身の安全を守ることができ、一部機関銃を手にした75人の警備員たちから保護されることになったのです。

前夫が暗殺された事件以来、心的外傷後ストレス障害(PTSD)に苦しんでいた彼女にとって、「安全と自由」は何よりも重要なことだったのです。 

オナシスの変わらない
“オレ流”の愛

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アリストテレス・オナシスとオペラ歌手のマリア・カラス。

ジャッキーとの結婚を決意しても、オナシスの愛はあくまでも「彼なり」でしかありませんでした。オペラ歌手のマリア・カラスなどのように他の女性との付き合いを絶つことはなかったのです。ジャッキーは知らなかったことですが、彼女が婚約する半年前、オナシスとマリアは11月4日に結婚式を予定していたのでした。この結婚に関する議論では、まずジャッキーが、オナシスを筆頭に妹であるリーと関係があった男性と付き合うべきではなかったと主張する人がいます。しかし一方で、ジャッキーはオナシスと付き合っていることをリーから聞いたことはないと反論しています。オナシス自身もこの件について言及したことはなく、結果的にジャッキーはその後6年間彼のことを疑い続けることになってしまったのです。

ジャッキーとオナシスの結婚に、
リーが悲しみの号泣

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リー・ラジウィル(左)とジャッキー・オナシス(右)。

ジャッキーは母ジャネットと妹のリーにオナシスからプロポーズされたことを伝えなかったため、事態はより複雑になりました…。秘密と嘘がブーヴィエ家の女性たちの間で積もり重なる羽目になったのです。カオスを極めた家族関係に、リーが小説家のトルーマン・カポーティに「彼女(ジャッキー)はどうしてこんな仕打ちができるの?」とこぼしていたことを、作家のエレノア・ペリーが覚えていたのです。

ペリーはリーから連絡が来た時、TVの脚本をカポーティと共同執筆していたのです。

リーはかなり声高に叫んでいたといい、ペリーはレシーバーを通して彼女の言葉を聞いていたそう…。「彼女はよくこんなことができたわね?どうしてこんなことが起こるの?」そう叫び続けるリーに、トルーマンはかける言葉もなかったという。彼女はただただ泣き続け、涙に暮れたそう。「彼女が何を言ったが伝えることはできませんが、知られてしまえばきっとニュースになるでしょう。それはこの一件の中で最大のゴシップで、だからこそ彼女の涙は止まらないのです」と。 

カポーティ・トルーマンが
リーの愛の真実を暴露

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リー・ラジウィル(左)とトルーマン・カポーティ(右)。

しかし1977年にリーと仲たがいしたトルーマンが、その後ブーヴィエ姉妹について公にするようになってしまいます。彼らの友情の結末は苦いものだったことを考慮しながらも、長年リーと親友だった彼の言葉は決して無視できるものではなかったのです。

「リーは、自分とオナシスの関係に揺るぎないものを感じていました。そしてオナシスが結婚することに大きな屈辱を受けたフリをしていました。しかし本当のところ、彼女は彼を愛していませんでした。彼女は『海運王』という彼を魅力に思っていたのです」。

リー自身がオナシスのことをどう思っているのかはっきり自覚できていなかったようで、トルーマンは彼女がオナシスをどう思っていたのか、その真意を知らないのです。しかしただひとつ、姉とオナシスのクルージングを提案した1963年夏に、”海運王”との結婚の機会を逃してしまっていたことだけは自覚していたといいます。

ジャッキーとリーの義理の兄弟、ジェイミー・オーチンクロス(母ジャネットの再婚相手ヒュー・ダドリー・オーチンクロスの息子)は、「ジャッキーの夫と義理の兄弟が亡くなり、オナシスはリーにこのように言っていました。『僕はジャッキーが泣くときに肩を貸す男になるつもりだ。僕は彼女を守り、安全、愛、そして誰にも真似できないほどのお金を提供することができる』と。彼は明確に『リー、僕はきみではなく、きみのお姉さんを選ぶ』と言ったわけではありません。

それはつまり、『きみにとって理解しにくいことは分かっているが、悲惨な故ケネディ夫人を助けるのは私の義務だと感じている。そうすることで世界におけるわたしの地位の面で、より多くのマイレージを得ることが出きると思っているのだ。きみが他の誰よりも私のことを知っているのであれば、きみは理解してくれるだろう。そこには何も個人的なことはない』のだと。私が言えることはこのくらいです」と述べています。

ジャッキーとオナシスの
リラックスした関係

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ジャッキー・ケネディ(左)とアリスト手レス・オナシス(右)。

リーはチュニジアでの休暇中にオナシスから連絡を受け、ジャッキーとの婚約を伝えられたといい、結婚式に来てほしいと招待をもらいました。怒りに狂いながらも結婚式が行われるギリシャの島を訪れたリーは、月明かりの下、クリスティーナ号の甲板で笑っているジャッキーを目にしたそうです。

リーは離れたところから30分間ほど2人の様子を見つめ、そして2人の間にはロマンチックな雰囲気というよりもリラックスした空気が流れていることに気づいたのです。リー自身、オナシスと過ごす時間はいつも緊張と不安があったといい、この時ジャッキーがオナシスと一緒にいて幸せなのだと認めざるをえなかったようです。

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リー(左)とジャッキー(右)。

その後、リーは2人に近づいたのです。リーと対面する心構えのなかったオナシスはすぐにその場を離れてしまったのですが、リーはジャッキーの元へ歩み寄り、クリスティーナ号のデッキの上で向かい合いました。ジャッキーはリーを抱きしめ、来てくれたことへの感謝を述べたといいます。そして両手でリーの腕をつかみ、「私にはあなたが必要よ、リー」と伝えたそうです。ジャッキーはそれだけを言ったのです。リーは姉の苦悩した顔を見つめ、すべてを悟り、「分かっているわ。大丈夫」と答えたといいます。

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ジャッキーとオナシスの結婚式。

この写真が、ブーヴィエ姉妹の複雑に絡んだ糸がようやくほどけた瞬間でした。ジャッキーはリーに花嫁介添人を頼み、彼女は快諾したのです。

From Harper's BAZAAR
Photography / Getty Images
Translation / Ai Ono