「007」シリーズ最新作の「ボンド25(仮題)」は、「007 スペクター」(2015年公開)のときとは様変わりした英国で描かれることになるでしょう。 

 当時、デヴィッド・キャメロン首相の楽観的な目には、「ブレグジット」の投票に関しては取るに足らないイベントに過ぎなかったようです。が、「ボンド25(仮題)」がイギリスで公開予定となっている2019年の11月までには、実際に英国がEUを離脱してから、数カ月が経過しているはず。

 このころには、英国の国際政治における立場がどうなっているかは不確かですし、国民感情は敏感になっていることでしょう。 

 このような状況に加え、ジェームズ・ボンドという英国で最も有名なキャラクターが自らの能力を見せつけるのは、「#MeToo」後の世界なのです。

 「007」シリーズの保守的なファンが好むと好まざるとにかかわらず、若年世代の視聴者たちは感情を表に出さず、女好きで男らしいボンドというキャラクターにますます退屈し始めているのも事実。「洗練された白人男性が土壇場で逆転を収める」というストーリーは、現代の社会のムードには少しも調和していないわけです。

ダニー・ボイルが監督を務めるという話は出来すぎだった

本題の前に、ダニー・ボイル監督が1996年に手がけた傑作、『トレインスポッティング』の予告編から彼の手腕をご確認ください。 
  

これはyouTubeの内容です。詳細はそちらでご確認いただけます。
トレインスポッティング 予告編
トレインスポッティング 予告編 thumnail
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 ひと言で言わせてもらえば、007映画の監督には、先見の明がある人物が必要なのです。国民感情を直感的に理解し、これに沿った新たなボンド像を作り上げる勇気をもつ人物なのです。そういう視点から見るに、ダニー・ボイルはまさにそれにふさわしい監督でした。 

 ボイルは「クリエイティブの方向性の違い」を理由に、このプロジェクトを降板しましたが、彼の監督就任を「あまりに出来すぎた話」と感じていた多くの人は正しかったというわけです。 

 ボイルは、英国の時代精神を理解しながらも、英国人が世界に誇れる作品を2度にわたってつくってきた男です。1度目は、1996年に公開された「トレインスポッティング」であり、2度目は2012年のロンドンオリンピック開会式のセレモニーでした。 

 もちろん、ボイルの功績はこれにとどまりません。

 彼がゾンビホラー作品『28日後...』からサイコスリラー作品『127時間』、伝記映画『スティーブ・ジョブズ』まで、さまざまなジャンルの映画で示してきた大胆さや才能を考慮すれば、彼が「007」作品の監督を務めるというのは、「トム・ハーディーがジェームズ・ボンド役になる」という話ぐらい出来すぎなのです。 

 
 プロデューサーのマイケル・G・ウィルソンと、バーバラ・ブロッコリ、ボンド役のダニエル・クレイグとの「クリエイティブの方向性の違い」が具体的に何だったかについては、とても気になるところです。とはいえ、ボイルのこれまでのキャリアを考えれば、彼が次回作で安全策を取ろうとしたとは思えませんし…。

ポリコレに配慮した「007」への懸念

 いずれにしても、話題は必然的に「ボイルの代わりを誰が務めるのか」ということに移ります。『ブレードランナー 2049』のドゥニ・ヴィルヌーブ監督は関心を示しましたが、彼は『デューン/砂の惑星』のリメイクという大仕事に取り組んでいますから、引き受けることはできないでしょう。

 また、クリストファー・ノーラン監督もしばしば引き合いに出されますが、そのチョイスでは間違いなく失敗に終わるでしょう。

 というのもノーランは、刺激的ながらも、ひどくもったいぶった映画を作りますから…。現在の「007」シリーズに必要なのは、大げさな駆け引きや凝りに凝ったタイムジャンプなどではなく、巧妙でキャラクター本位となる改革なのです。 

 これは対しては、ジェームズ・ボンドの擁護者を自認するオンラインのファンたちの怒りを買うかもしれません。彼らは、ポリティカル・コレクトネスに配慮した「007」を常々懸念していますから…。例えば、誰かを殺すことを熟考するようなボンド、あるいは黒人や女性が演じるボンドなどは、彼らは受け入れることはできないでしょう。 

 こういったアイディアは実際面白そうにも思えますが、私が意味するところではありません。私が言いたいのは、英国が思いもよらぬ歴史の岐路に立っているのと同じように、「ボンド25」(仮題)は「007」シリーズがサイクルの中で何度も迎えてきたマンネリに直面しているということです。

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写真:ピアース・ブロスナン版ボンドはとにかくあらゆる乗り物を手にして、逃げ回るシーンが多かった。Photograph / Getty Images 

  
 2006年に公開されたダニエル・クレイグ主演の「007 カジノ・ロワイヤル」は、先代のボンドを演じたピアース・ブロスナンと『007 ダイ・アナザー・デイ』までのシリーズのマンネリを打破するために必要な作品でした。

 安っぽい薄ら笑いを浮かべ、透明な車を運転するボンドのイメージを粗野なハンサムさと適切な殴り合いが打ち壊したのです。また、ブロスナンのボンドはティモシー・ダルトン時代のソシオパス的ボンドからの反動であり、ダルトンのボンドも、ロジャー・ムーア時代のユーモア溢れるボンドに代わるものでした。 

 要するに、新たなボンド像の創造とは、ボンドを彼自身から救い出すことであり、シリーズのDNAの中に常に刻まれてきたことです。

 こうしてシリーズは続いてきたのです。重要なのは「一匹狼のスパイで、死ぬ運命にある女性を抱き、世界中を飛び回ることになる」というボンドの根本的性質を変えることではありません。むしろ、ボンドを「信じられないほど幸運な男(ロジャー・ムーアやピアース・ブロスナン)」、あるいは「言うまでもなく悲劇的で絶望に満ちた男(ティモシー・ダルトン、ダニエル・クレイグ)」のどちらに解釈するかということなのです。 

 英国が変化に直面しているという理由でも、「ボンド25」(仮題)がマンネリを打破する必要があるという理由でも、「007」シリーズの次回作は非常に重要なものとなるでしょう。

 このシリーズが金を稼ぎ続け、存続できるかどうかはこの作品にかかっています。ダニー・ボイルはこの重圧を引き受けながらも、新鮮さや驚きをもたらしてくれ得る間違いのない人物だったように思えます。皆さんが新生ボンドを望む望まないにかかわらず、ボイルの降板は懸念材料になるはずです。


From ESQUIRE UK 原文(English)

Translation / Wataru Nakamura
※この翻訳は抄訳です。