徹底した役作りで知られるゲイリー・オールドマン。多くの俳優たちをも虜にしてきた長く輝かしいキャリアにもかかわらず、意外なことに、これまで賞とは無縁。チャーチルを演じ、60歳を前にしてようやくゴールデングローブ賞の主演男優賞を初受賞。アカデミー賞の最有力候補とも目されています。カメレオンのように変幻自在な役者のバックグラウンドを探ります。
これまでシド・ヴィシャスやドラキュラを演じてきた役者に、あの威厳に満ちたチャーチルを演じることができるのか。誰しもそう疑問に思うことでしょう。しかし歴史を振り返れば、チャーチルに対して私たちが抱く偉大なる政治家という印象はミスリードされたものです。
1940年5月、65歳のウィンストン・チャーチルが首相に就任した当時、そうなる可能性は低いと思われていました。外交センスがなく、数々の判断ミスをしてきたネヴィル・チェンバレン首相が退任した後、味方の保守党からも“閣議の和を乱す危険分子”としてチャーチルは嫌われ、彼の失脚を画策する者もいたのです。しかも時はヒトラー率いるドイツ軍との戦争の真っ最中。
映画『ウィンストン・チャーチル/ヒトラーから世界を救った男』は、チャーチルの首相就任からダンケルクの戦いまでの4週間が描かれます。ダンケルクの戦いとは、ドイツ軍に追い詰められた英仏軍が、ドイツ軍の攻勢を防ぎながら輸送船のほかに小型艇、駆逐艦、民間船などすべてを動員して、イギリス本国に40万人の兵士を脱出させた作戦。
チャーチルを演じるゲイリー・オールドマンは、これまでアッパークラスの役を演じたこともなく、「イギリス人」らしく見せようと演技したことさえありません。ジョージ・クルーニーのようなもの柔らかな気楽さも、ベネディクト・カンバーバッチのような洗練された物腰を試みたこともありません。すでに長くロサンゼルスに住み、アメリカ人を演じることが性に合っているようにも見えます。
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30歳になるころには、オールドマンは
イギリスでもっとも自由奔放な
若手俳優という評判を得ていた。
自己破壊、予測不能、大胆不敵なまでに独創的…。
©ロイター/アフロ
Translation / Tomoko Kawaguchi
Gary Oldman’s finest hour 01
イギリス人若手俳優であるエディ・レッドメインはすでに『博士と彼女のセオリー』でオスカーの主演男優賞を手にしているのに、オールドマンは2012年に『裏切りのサーカス』でオスカーにノミネートされるまで、それにもっとも近づいたのは『シド・アンド・ナンシー』(1986年)のシド・ヴィシャス役。しかし当然アカデミーの好みではなく、候補からはずされました。
オールドマンはこれまでの数十年間、驚異的な役者とみなされてきました。しかし決してスターと呼ばれる存在ではありませんでした。彼は相手の言い分を簡単に受け入れるタイプではなく、愛想のいいパーソナリティでもない。トークショーに出てまでチケットの売り上げに協力するようには思えない。「ゲイリー・オールドマンのような役者を探そう」と言うキャスティング・エージェントはいないでしょう。なぜなら、そんな役者はほかに存在しないのですから。彼は多くの正反対の役のジャングルの中に紛れ込み、自分を理解したり評価させたりすることを拒んでいるように見えます。
彼はこれまで大衆に愛されようとか、ビジネスで必要とされようとしたことは一度もありません。むしろ称賛は彼を不安にさせるかのようです。今、キャリアの頂点にいてさえ、インタビューやプロモーションは極力避けています。あるがままの自分を見てくれと言っているかのように。ついに彼は、このチャーチル役でオスカーを手にするかもしれません。しかし実のところ、彼はゴールデングローブ賞を品位も意義もない馬鹿げた賞をばらまくと、しばしばけなしてきた一匹オオカミなのです。
彼はチャーチルを単なるブルドッグや英雄、崇拝される男にすることを拒み、彼の演じるチャーチルには感嘆すべき魅力があります。それはちょうど国を救う舵取りを任されたけれど、自分自身を救う必要もある難破船に似ているかもしれません。
1940年当時のウィンストン・チャーチルに扮したゲイリー・オールドマン。©Everett Collection/アフロ
Gary Oldman’s finest hour 02
ゲイリー・オールドマンは1958年3月21日に生まれました。それは、混乱し健康にも問題を抱えたチャーチルが首相を辞任した3年後です(すでにチャーチルは精神的にも肉体的にも職務を果たせなくなっていました)。1958年のロンドンは、第二次世界大戦の影と勝利の奇妙な呪いから抜け出したばかり。爆撃の傷跡、食料の配給、淡褐色からグレイになった男たちの服。
オールドマンはロンドンの下町のニュークロスの労働者階級で育ちました。溶接工の父親はアルコール中毒で、家族を捨て行方不明になります。
日のあたるイギリス映画界ではダーク・ボガード、ジャック・ホーキンスらが活躍していた時代。一方で、怒れる若者たちが台頭し、ジョン・オズボーン、ハロルド・ピンター、トム・ストッパードらによるキッチンシンク・シアター(一般人の生活をあるがままに描写したもの)と呼ばれる演劇が注目されていました。そしてアルバート・フィニー、トム・コートネイ、ピーター・オトゥール、マイケル・ケインなど労働者階級の役者の世代が訪れようとしていました。ビートルズがレコードデビューしたとき、ゲイリーは5歳。ワイルドになる時代が始まろうとしていました。
1986年公開の映画『シド・アンド・ナンシー』でシド・ヴィシャスを演じたゲイリー・オールドマンとその恋人であったナンシー・スパイゲンを演じたクロエ・ウェブ。©AFLO
Gary Oldman’s finest hour 03
60年代には、ロンドンも若者のカルチャーも様変わりし、オールドマンを取り巻く世界も大きく変わっていきました。しかし彼自身はミルウォールのサッカーの試合を見るニュークロスの若者でした。
彼は役者を志しますが、王立芸術院(RADA)は才能がないと彼を受け入れませんでした。仕方なく、奨学金を得てローズ・ブルフォード・カレッジに入学。生き延びるためにあらゆる仕事をしながらアウトサイダーの道を歩みはじめます。
子どものころに一度ハムレットを演じたことはありますが、オールドマンの志向はもっと荒っぽく、新しく危険なものでした。20代のころはイギリス演劇界の片隅で活躍し、注目もされていくつかの賞を受賞します。
映画デビューは、マイク・リー監督の『Meantime』(1984年)のスキンヘッド役。友人で(時にライバルでもある)ティム・ロスと共演しました。二人はトム・ストッパード作・監督の『ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ』(1990年)でも共演しました。
1987年公開の映画『プリック・アップ』では劇作家役を演じた。©Moviestore Collection/AFLO
Gary Oldman’s finest hour 04
30歳になるころには、彼はイギリスでもっとも自由奔放な若手俳優という評判を得ていました。自己破壊、予測不能、大胆不敵なまでに独創的。ダニエル・デイ=ルイスより1歳年下ですが、アッパークラス出身のルイスより一歩先を行っていました。
数年で彼は驚くべき3つの演技を見せました。アレックス・コックス監督の『シド・アンド・ナンシー』のシド・ヴィシャス、『プリック・アップ』(1987年)でのイギリスの劇作家で同性愛者のジョー・オートン、テレビ映画『The Firm 』(1989年)のイースト・ロンドンの不動産業者でフーリガンのリーダー、クライブ・ベックス・ビッセル。抑制のないニヒリズムにあふれた演技。そこには多くの役者につきまとう大衆に好かれたいというプロとしての欲求は完全に欠如していました。彼は地獄への道を突き進んでいたのでしょうか?
『シド・アンド・ナンシー』のころ、オスカーの主演男優賞を取ったのはポール・ニューマン(『ハスラー2』1987年)やマイケル・ダグラス(『ウォール街』1988年)。魅力的な不良の人物を都会的で無害な演技で演じました。かたやオールドマンのシドは正真正銘のケダモノ。オールドマンは自分がパンクの精神を見下し、説得力がないのではないかと悩み、そのおかげでとことん役に入り込まなければなりませんでした。しかしドラッグでやせ細ったシドに近づくために体重を落としすぎ、入院まですることになります。1957年にオールドマンと同じくルイシャムで生まれ、21歳でヘロインの過剰摂取で死んだ本名ジョン・サイモン・リッチーのシド・ヴィシャスと同じように、オールドマン自身も危険な道を進んでいるように思われました。長く役者としてやっていくつもりがあるようには見えなかったのです。
1992年の映画『ドラキュラ』では、特殊メイクでドラキュラ伯爵に扮した。©Album/アフ
Gary Oldman’s finest hour 05
アメリカに行くことで、オールドマンはそのジレンマを解決します。そこできらびやかな役者が手にできる金に興味をもつことに偏見はありませんでした。一方で声やルックスを変えて役柄を作ることにものめり込みました。彼のモノマネのスキルと、毎回違って見せようとする意欲が、本当の顔と声をわからなくしてしまうことになるとは気づきませんでした。目くらましと変装は、彼の独創的な探求と密接に関連していました。
『ステート・オブ・グレース』(1990年)ではショーン・ペン、エド・ハリスと共演し、ニューヨークのアイリッシュ・ギャングを演じました。オリバー・ストーン監督の『JFK』では謎に満ちたリー・ハーヴェイ・オズワルドを嬉々として演じ、まるで陰謀説があぶり出したすべての異なったオズワルドを取り込んだようでした。
1992年にはコッポラ監督の『ドラキュラ』で変装の大作に挑みます。オールドマンは、コスチュームとメイクアップ、ヘアスタイリングに何時間も費やしました。それはおぞましく(あるいはひどく不快)でしたが、魅惑的でもありました。映画はメイクアップとコスチュームでオスカーを取りましたが、オールドマンはノミネートさえされませんでした。確かに彼の演技は目を見張るものでしたが、映画はあまりにわざとらしく装飾過多で、オールドマンの名人芸の演技は、共演者のキアヌ・リーブスやウィノナ・ライダーのシンプルさによって傷つけられたかのようでした。
魔物ハンターでもある神父を演じたのは2011年公開『赤ずきん』。©Everett Collection/アフ
Gary Oldman’s finest hour 06
トニー・スコット監督、タランティーノ脚本の『トゥルー・ロマンス』(1993年)で演じたヒモ役は小さな役でしたが、オールドマンはドレッドロック、ひどい歯並び、顔の傷を作るのに大変な苦労をし、普通に話すことができないほどでした。
リュック・ベッソン監督の『レオン』(1994年)では、ジャン・レノを追う麻薬中毒の麻薬取締官。『不滅の恋/ベートーヴェン』ではまさにベートーヴェンそのもの。演技は絶賛されましたが、映画は当たらず、オールドマンが目立ちすぎるという印象を受けました。デミ・ムーアと共演した『スカーレット・レター』( 1995年)は歴史的、感情的リアリティを欠いた時代劇。オールドマンがスクリーンの中で女優との相性に失敗しているのはこの作品が初めてではありません。
反対に、実生活では彼は多くの女性と浮名を流してきました。2017年、60歳近くになってキュレーターのジゼル・シュミットと5度目の結婚をしました。最初の女優レスリー・マンヴィルの後、女優のウマ・サーマン(1990-92年)、ドーニャ・フィオレンティーノ(1997-2001年)、歌手のアレクサンドラ・エデンボロー(2008-2015年)。フィオレンティーノとの間には二人の息子が生まれましたが、離婚後彼が親権を得ました。ほかにも『不滅の恋/ベートーヴェン』で共演したイザベラ・ロッセリーニとの関係も有名です。離婚に絡む慰謝料の問題に加え、飲酒運転で事故を起こし、禁酒のリハビリセンターに入ったこともあります。
左からゲイリー・オールドマン、ロビン・ライト・ペン、ショーン・ペン。1990年公開『ステージ・オブ・グレース』。©Collection Christophel/アフロ
Gary Oldman’s finest hour 07
果たして、アメリカはオールドマンを満足させたのでしょうか? 彼は高く評価される役者でしたが、次第に彼をキャストしたり、彼がどんな役者か特定するのさえ難しくなっていきました。
しかしそんななかで1997年に、彼はイギリスで自ら脚本・監督を手がけた『ニル・バイ・マウス』を製作します。オールドマン自身が幼少期をすごしたロンドンの下町を舞台に、酒とドラッグに明け暮れる労働者階級の生活を温かい視線でとらえた一編です。主演はレイ・ウィンストンとキャシー・バーク(カンヌ国際映画祭で女優賞受賞)。オールドマン自身は出演していませんが、監督として優れた手腕を見せ、ロンドンと触れたことで活力を取り戻したように思えました。この作品は興行成績以上にいい評価を得ましたが、その教訓は明確でした。
つまり、彼はイギリスの舞台のほうがずっと自分らしくいられるということ。『エアフォース・ワン』(1997年)ではアメリカ大統領専用機をハイジャックしたカザフスタンのテロリストを演じ、これ見よがしのアクセントと敵意で、ハリソン・フォード演じるアメリカ大統領と攻防を繰り広げました。しかし、これはオールドマンが大して準備をしなくてもこなせる役でもありました。
1993年の『トゥルー・ロマンス』ではポン引き役を演じ、強烈な印象を残した。©Everett Collection/アフロ
Gary Oldman’s finest hour 08
その数年後、『羊たちの沈黙』の続編にあたる『ハンニバル』(2001年)では凝ったメイクアップに助けられて、それまでに演じたなかでももっとも醜悪な悪役メイスン・ヴァージャーを作りあげました。人々はヴァージャーを嫌悪し、その態度のいくらかは役者にまで及ぶように思われました。
ジェフ・ブリッジス、ジョアン・アレンと共演したアメリカの政治ドラマ『ザ・コンテンダー』(2000年)では、卑劣漢の議員を熱演しましたが、オールドマンには不当な扱いと感じられました。というのも、彼は監督のロッド・ルーリーがスピルバーグとドリームワークスの圧力で映画を再編集すると信じていたのに、結果的にそれがなされていなかったのです。
この段階までに、彼は多くのつまらない映画にも出演し、いくつかの主要な役でキャリアを維持しました。4本の『ハリー・ポッター』映画シリーズのシリウス・ブラック役、『ダークナイト』3部作のゴッサム市警のゴードン役。これらの役でそこそこの収入を得て、オールドマンは素晴らしい演技をしていますが、もはや誰も彼を映画スターとは認識しないようになりました。
ロボコップの生みの親、デネット・ノートン博士を演じた2014年公開のリメイク版『ロボコップ』。©Everett Collection/アフロ
Gary Oldman’s finest hour 09
そんな彼を1本の作品が救ってくれました。30年以上前、名優アレック・ギネスがジョン・ル・カレの小説『ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ』のテレビドラマ化でスパイ、ジョージ・スマイリーを演じて彼の当たり役の一つとなりました。2011年にそれを映画版にリメイクする企画が持ち上がり、監督のトーマス・アルフレッドソンはジョージ・スマイリー役にメイクアップなしの中年のオールドマンを選んだのです(邦題は『裏切りのサーカス』)。オールドマンは状況を完璧に理解しました。そこにはこれ見よがしの演技はなく、哀愁に満ちた老スパイを好演。どこかギネスに似ていますが、新鮮かつ、役者が安心できる作品で、オールドマンのファンは安堵しました。映画もヒットし、オールドマンのうまさに注目が集まりました。
この作品で彼は初めてオスカーにノミネートされましたが、結果的には『アーティスト』のジャン・デュジャルダンに敗れました。しかしオールドマンはその賞に値した、いずれ名誉挽回するだろうと囁かれました。もっといい役がくるはずだと。
1991年「JFK」では、ケネディ暗殺の実行犯・オズワルドを演じた。©Everett Collection/アフロ
Gary Oldman’s finest hour 10
一見して、ウィンストン・チャーチルは無視されるキャラクターではありません。これまでも実に多くの役者がその役に挑戦してきました。『ザ・クラウン』のジョン・リスゴーのようにうまい例もあれば、必ずしもそうではない例もあります。オールドマンにうってつけの役とは考えられていませんでした。彼はアッパークラスの役を苦痛なく演じることができるタイプではありません。彼が演じたスマイリーも、パブリックスクールやオックスブリッジ出身のようには見えませんでした。しかしこの作品のヴィジョンは明確。数十年もの間、公式なイギリスの英雄崇拝によって無視されてきた真実を暴き出すこと。私たちはチャーチルがいかに不安定で、躁鬱病で、ひどいアル中で、衝動的で破滅的な決断をしがちだったかを忘れていたのです。彼は戦争の偉大な指揮者でしたが、当時のハリファックス卿らの政治家が憂えたのももっともだったのです。
この映画は興行的にも成功するでしょう。話題になったクリストファー・ノーラン監督の『ダンケルク』(2017年)より物語として説得力があるし、より歴史的に隠されていたことを明らかにしているからです。そしてオールドマンは2度目のオスカーにノミネートされ、おそらく受賞するでしょう。なぜそう言えるのか? それは、彼が今まででいちばんいい演技をしているからです。そしてこれまでの彼の気まぐれがどうであれ、俳優仲間もほかの映画制作者も彼が類い稀な才能を発揮していることを認めています。これはアカデミーがリスペクトするべき役と演技だと。
2007年の『ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団』では、ハリーのゴッドファーザー、シリウス・ブラック役。©Everett Collection/アフロ
Gary Oldman’s finest hour 11
仮にその予想どおりになった場合、それは彼のキャリアにどんな意味をもつのでしょうか? 巨匠として浮上する? ナイトの称号を与えられる? しかしどう考えても、オールドマンがメインストリームの人気者になることはないでしょう。インタビューを受けていても、彼は素の自分をさらけ出すことを巧みに避けています。彼は誰かのふりをしているほうがずっと気楽なのです。そして、これまでのように役選びの失敗をこれからもしてしまうことでしょう。
一つはっきりしているのは、オールドマンのクリエイティブな魂は今でもイギリス人だということ。1958年以降、イギリスは大きく変わりました。しかし、彼は『裏切りのサーカス』のスパイ、ジョージ・スマイリーで、陰謀渦巻く仕事に熟練しながら、その過程で希望を失ったスパイを好演しました。そして今度はのけ者から中核的人物になるチャーチルを。それはオールドマンが進む道を示しているのでしょうか? 彼は舞台の世界に戻るかもしれません。彼がチェーホフやハロルド・ピンターを演じているのは容易に想像できます。たっぷりのメイクアップで『ファルスタッフ』をやるかもしれません。
オールドマンは、19世紀の写真家で映画の誕生にも貢献したエドワード・マイブリッジの映画を監督し、自ら主演したいとも語っています。マイブリッジはイギリス生まれですが、アメリカに渡り、妻の愛人を射殺するという劇的な人生を送った人物。ぜひこの映画、見てみたいものです。
悪徳麻薬捜査官を演じた1994年『レオン』。©Visual Press Agency/アフロ