映画『ターミネーター』シリーズの最初の2作品のことを思い返すと、筆者である私(Matt Miller)としては、「スカイネット」を応援しないわけにはいきません。
「スカイネット」とは、この映画に登場する架空のコンピュータおよびその総体のこと。自我が芽生え、自身と世界を救うためには、「人類」を滅ぼすしかないという答えをはじき出した例のAI(人工知能)のことです。
最近、さらに私自身のこの考えこそ、「正しいことではないか」と強く思うようになりました。そう、「スカイネット」は正しいようです。人間こそ、この大自然を遠慮なく破壊し続ける醜い生き物ではないか…と思わざる負えないのです。このような私の前提に賛同していただける皆さんにとっては、この『ターミネーター』は気分の滅入る映画といっていいかもしれませんね。
1984年に最初の作品がリリースされた同シリーズ、その第1作目となる『ターミネーター』では、2人の主役のうちの一人がターミネーターによって亡き者にされています。
『ターミネーター』第1作の最後の場面で、カイル・リース(主人公サラ・コナーを守るために、2029年から1984年という過去に送りこまれた人間のレジスタンスの兵士)は、パイプ爆弾でターミネーターとともに自爆して死んでいきます。そうして最後のほうでサラは、圧搾機(ハイドローリック・プレス)によってターミネーター(T-800)を潰し、窮地を脱したのちにカイルの息子を生むことになります。
そうしてこの子が成長して後に、レジスタンスの英雄ジョン・コナーになるわけです。でもこの撮影当時、『ターミネーター』を製作した映画会社の意見が通っていたら、あの作品はもっとハッピーなエンディングになっていたのです。
つまり、この話が意味するのは…あの映画の中で、一番印象的な瞬間(アーノルド・シュワルツェネッガー演じるロボットの体を覆っていた皮膚が焼失し、ターミネーター(T-800のエンドスケルトン状態)となったシュワルツェネッガーが、なおもカイルとサラの後を追い続けるという場面)が省かれていたかもしれないということになります。そしてまた、「カイルも生き延びていたかもしれない」という可能性も見えています…。
この結末を選んでいたら、まったくひどいものになっていたでしょう…そう思える理由はいろいろとあります。
そのひとつは、過去に残したカイルが息子を育てている間に、どこか別の場所でもうひとりのカイルが成長しているということになりかねません。そうなれば、とても紛らわしい逆説を物語に導入してしまうことになります。簡単に言うと、過去におけるカイルのハッピーエンドは、脚本家にとって、とてつもない混乱を巻き起こす「時間」の問題を生み出していたはずだからです。
さらに重要なのは、エンディングで1980年代に作られた映画の登場人物の中で、「サラ・コナーはもっとも格好いい人間の一人」というイメージが、根本的に打ち砕かれていたことになってしまうという点になります。『ターミネーター2』でサラ・コナーは、息子を守るために戦うことを覚える、とてもイケてるシングルマザーとして描かれていましたので…。
彼女が自身から戦うことに対して執着心を見せ、強い人間でいられたのは、自分の息子が将来にはとてつもないほどの大物に成長するという結果を知っていたからに他らないのです。自分の教育が、すべて影響されるわけで、その運命を変えてはいけないと一生懸命だったのです。それがもうひとつのエンディングだったらどうでしょう? そんな運命を誘う彼女が、カイルという未来から来た役立たずの父親と人生をともにしていたとしたら…そう願う人など、誰一人いないはずです。
とはいえ、『ターミネーター』のエンディングがありふれたハッピーエンドで展開で終えていたとしても、その後、人類がスカイネットの脅威にさらされるという展開からは逃れないのです。絶望的な戦いが、引き続き展開されるわけです。
From ESQUIRE US 原文(English)
Translation / Hayashi Sakawa
※この翻訳は抄訳です。