故“ソウルの女王”に対して…「彼女は自分の人生を知らぬ間に変えた人だ」と述べたのでした。

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Tribute to Aretha Franklin

 現地時間8月20日の夜に行われたVMA(MTVビデオ・ミュージック・アワード)で、最優秀ビデオ賞のプレゼンターを務めたマドンナ。そこで彼女は、8月16日に亡くなったばかりのソウルの女王アレサ・フランクリンへの追悼スピーチを発表しました。

 それによると、アレサの歌のおかげで、マドンナ自身の人生を変える事になる大切なオーディションが成功し、今のキャリアに至ったそう。気になるその全文を、早速チェックしてみましょう。

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アレサ・ルイーズ・フランクリンは、私の人生を変えました。私は18歳のとき、ポケットに35ドルだけ詰めてデトロイトを出ました。当時の夢は、プロのダンサーになることだったけれど、数年間は苦労を強いられ、給料もマシだと聞き、ミュージカルのオーディションを受けることを決意しました。歌のトレーニングもしていなければ、歌手になることなんて夢にも考えたことはなかったけれど、とりあえずやってみたんです。 

でも、受けたオーディションはすべて不合格でした。身長が足りない、声域が足りない、美貌が足りない、とにかく足りていないことだらけ…。そんなある日、とあるフランス人がバックアップの歌手を探していることを知りました。泥棒に入られたり、銃を突きつけられたり、歩いているだけで娼婦に間違えられたり、しかも、そこはドラッグの密売所だったりしたことを思い返すと、断る理由なんてなかったんです。そう、本当に大変だった…。

そしてオーディション当日。2人のフランス人レコードプロデューサーが空っぽの劇場に座り、『この子にできるわけがない』と言わんばかりに私を見ていました。ダンス審査はうまくいきましたが、「楽譜と歌の準備はしてきたか?」と聞かれ、私はパニック状態。完全に歌の審査のことを忘れていたんです。急いで考えようとしたものの、『後で何を食べよう』とか余計なことが頭に浮かぶなか、それらを振り払い、思いついたのが私の大好きなアレサ・フランクリンのアルバム『Lady Soul』だったんです。とっさにその中の曲、『You make me feel』と言いました。

反応がないので、『You make me feel like a natural woman.』と言うと、彼らはうなずきました。私が続けて『アレサ・フランクリンの』と言うと、彼らはまた『ああ』と…。彼らがピアニストを見ると、ピアニストも頷きました。私は『楽譜はいらないわ、歌詞はすべて暗記しているし、心を込めて歌えます。アカペラで大丈夫です』と言いましたが、彼らは真剣に受け止めてなかった。でも、それも当然ね、やせっぽちの白人の女の子が史上最高に数えられるソウルシンガーの曲を歌う? それもアカペラで? 私はこう続けました、『ビッチ、私はマドンナよ』と……いや、それは冗談。なぜなら、そのときはまだ“マドンナ”ではなかったから。まだ、自分が何者なのかも、わかっていなかったんです。

それから自分で何を言ったのかも、何が起こったのかもわからないけど、真っ暗なステージの淵まで行き、歌い始めました。歌い終わると緊張で汗びっしょり。彼らは『そのうち連絡する』と言いましたが、数週間たっても電話は鳴りませんでした。そして、やっとプロデューサーから電話があったと思ったら、『君にこの仕事は似合わない』と言われました。では、なぜ電話したのかと怒ると彼は、『君には素晴らしいポテンシャルがあると思う。まだ粗削りだがいい意味で未熟なので、パリへ連れて行き、スターに育てたい。スタジオでジョルジオ・モロダーに会ってもらおう』と。私はそれが誰かも知らなかったけど、パリに住んでみたかったし、お腹も空いていましたので…。

それが私の歌手としての道の始まりです。その後、パリへ発ったけど数カ月後に戻って来ました。自分で掴んだ生活ではないと感じたからで、何だか変な感じがしたから。みんないい人だったけど、私は操り人形ではなく、自分で曲を書くミュージシャンになりたかった。家に戻り、ギターの弾き方から学ぼうと思い、そうしたんです。そして気がついたら、こんなことになっていました。

皆さんは今、なぜ私がこんなストーリーを話しているのかとお思いでしょう。でも、すべて繋がっているのです。私は私たちのアレサなくして、ここまで来ることはあり得ませんでした。彼女が私をここまで導いてくれ、今ここにいる多くの人にも影響を与えてくれました。私たちを勇気づけてくれたアレサに、感謝とリスペクトを捧げます。女王万歳。

そしてもうひとつ。1984年、私にとって初となるVMAもちょうどこの建物で行われました。私は『Like a Virgin』を巨大なケーキの頂上で歌い、そこから降りていたとき靴を片方なくし、それを探していると今度は、ドレスがまくり上がってお尻が丸出しになってしまいました。それはもう最悪でした。ショーの後、マネージャーから『もう君のキャリアは終わった』とまで言われました。さて、それでは最優秀ビデオ賞のノミネート作品をご紹介しましょう














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これはyouTubeの内容です。詳細はそちらでご確認いただけます。
No One Loves Madonna More Than Madonna -- According to Her Aretha Franklin Tribute | Billboard News
No One Loves Madonna More Than Madonna -- According to Her Aretha Franklin Tribute | Billboard News thumnail
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 よく聞くと自分のことについてがスピーチの大半でしたが、それだけマドンナの半生を少しでも知っている人たちなら、心に染み入ったことでしょう。そして、涙腺もゆるんだかもしれません。そして、アレサの偉大さもご存じの人も…。 

 女王アレサは、女帝マドンナの人生をも大きく変えたのは間違いないのです。このスピーチを受け、天国でアレサが喜んでいることでしょう。

From Harper's BAZAAR
Photograph / Getty Images
Translation / Emi Hasegawa O'Connor