独創的な「和」のデザインで、世界の時計業界に 新しいジャポニズムの風を吹き込む菊野 昌宏氏。 そのデザインはどのようにしてうまれ、 一体どのようにして時計が作られているのか。彼の目指すものに迫りながら、 未来に描くもの覗かせてもらった。
菊野 昌宏(きくの・まさひろ)
…1983年2月8日生まれ。高校卒業後、自衛隊に入隊。2005年、自衛隊を除隊し、ヒコ・みづのジュエリーカレッジにて時計について学ぶ。その後、同校に研究生として残り、独学で機械式時計を作り始める。2011年、世界の独立時計師によるAHCI準会員となる。 2013年には、その独創的なデザインと精緻な時計作りが認められ、日本人として初めてAHCIの正会員となる。
最初の設計図を書くだけでも半年はかかる
独立時計師の道を歩みはじめることとなった若き匠。しかし、日本語の教材など存在せず、海外の専門書に頼らざるを得なかった。彼の愛読書は、George Daniels氏による“Watch Making”。時計師の教科書とも言えるこの本にひたすら向き合い、独学で時計をつくる。時には英語と格闘しながら、一つ、また一つと自らの手でパーツを作り、試行錯誤を繰り返してきた。
「例えば、この折り鶴の時計は、最初に『音がなる時計を作りたい』と思ったんです。その音に連動するカラクリも入れたいな、ということから考えて、図面をひいていきます。時計の大きさ、カラクリの大きさを、どれくらいにしようかなというのを決めて、レイアウトを考えて行きます。その頃は、この形というのはまだできていなくて、頭の中でも、全然バラバラです。それで、この鶴は、ある旅館のシャンデリアでガラスの折り鶴をみて『カラクリを折り鶴にしよう』と思ったのです」
また、こうも語ってくれた。
「外装は、日本の船簞笥という家具があるのですけど、それをみて『これ格好良いな』と思って、四角いフォルムにしようと。じゃあ、中のムーブメント(機械)も四角にしようと。そうすると、上手くおさまった。結構、色々と複合的にまざりあってこういう形になっています。最初、丸形で考えていたのですけど、部品がどうしても上手くはまらなくて。最初の設計図を書くだけでも半年くらいかかりますね」
2013年作 ORIZURU
菊野氏によると、特に和のデザインにこだわっている訳ではないという。だが、日本の伝統工芸などからうける影響は、時には控えめに、時にはしっかりとその作品から滲みでている。それは、あまりに自然に表現され、実際に本人が自覚していないこともある。例えば、トゥールビヨン2012をみた海外の時計師は、それを日本庭園の”枯山水”と称した。そう言われてみると、そう見えてくるから不思議だ。時計というミクロの世界に、ジャポニズムの世界が広がるのは、日本人である匠から自然とわき上がるものかもしれない。そして、日本の一徹な職人がもつこだわりを、彼もまたどこか引き継いでいるかのようだ。
「僕は全てを手作業で、コンピューター制御の機械を一切使わずに、手でハンドルを回して削る機械しか使わないで作ろうと思っているんです。例えば、ケースをよその会社に外注してつくってもらうとか、世間では当たり前のことなのですが、そういう風にすれば生産個数は上げられるでしょう。ですが、そうしたら価値というか、良さが変わるというか。そういうのは嫌なので、ケースとかも自分でつくっています。ケースも、文字盤も、針も全てです。中は、モノにもよりますけど、スイス製の機械を使って、それをベースに部品をつくり直したりする加工をしていますね。そして、磨き直して、仕上げして、という形で」
実際、彼の時計を注文したいという人は少なくない。だが、ほとんどの作業を手作業で行う匠には限界がある。だから、受注も制限せざるを得ないというのが現状だ。
ワクワクするものをつくりたい
そして、そこまで徹底するのには理由がある。彼には、作りたいものがあるのだ。そのための時間を確保しないと、次の高みにはいけないのだと、まるで自分を追い込むスポーツ選手のようにストイックだ。
「わくわくするものをつくりたいですね。それにアイデアがあるので、アイデアが枯渇したら、もっと注文を受けるかもしれませんが(笑)まだまだこう新しいのを生みだしたいアイデアがあるうちは、色々な時計を作りたいですね」
徹底した手仕事にこだわり抜く匠。機械を使えば、自分自身が楽になることも、生産性があがることも十分にわかっていながら、あえて困難な道を選ぶ。もはやプロダクトではなく、アートピースの域といってもおかしくない。
「自動機械を使うことは、ないですね。(はっきりと)やっぱり手でできる仕事の量というのは、変わらないじゃないですか。人間には24時間しかないですし、その中でせいぜい8時間くらい働いたとして、それは昔の人もその条件のなかでやっていただろうし、未来の人もその条件は変わらない、手でやるこういう作業の不変性というのは、人間が人間である限り変わらない。そこに価値を見いだしているので、こういうやり方でつくります。こういうやり方でつくると高額になってしまいますが、わたしの作り方を認めてくれてそこにお金を出してもいい、と思ってくれるお客様がいらっしゃるので、このやり方は変えないですね。勿論、スタッフが入ったり増えることはあるかもしれませんが、仮にそうだとしても、彼らにもこれを使ってやってもらいます(糸ノコをもちながら)。そこは変えたくないなと思いますし、ちゃんと伝えないといけないな、と思いますね」
そこまでこだわる彼が、これから目指す時計づくりは、どんなものだろう。
「自分はまだ100%全ての部品をつくるというのはできていないのですが、100%に近づけたいというのがあります。100%全部を手作りで作っている人はほぼいないので、やってみたいですね。そういう意味で、全ての部品をつくる、というのが一つの目標ですね。そうなると、一番問題なのが、ぜんまいなんですね。多分、今の自分の技術では腕時計のゼンマイはできないと思うので、まずは懐中時計かなと思うのですが」
工業化の波に逆らって、新しい時計づくりへ
写真右/2011年作 Temporal Hour Watch 和時計 左/2012年作 Tourbillon 2012
「腕時計というのは、工業化による恩恵をうけたもの。工業化、分業化に伴って、小型化、量産化することができた。だから、個人で機械式の腕時計を作ることは、時代に逆行しています。(ハンドメイドの時計は)めちゃくちゃ逆らっていますね。電波時計があるのに『何故、ぜんまいで動く時計が必要か』と言われると、必要ないのです。でも、ある意味、僕はこれが未来のやり方だと思うんですよね。機械によって大量につくり、値段を下げるというやり方は、モノで溢れた今の時代にはそぐわないと思うんですよね。それに(手作りは)資源も少なくてすみますし、人力なのでエコです(笑)」
さらに、こう語ってくれた。
「それから、クオーツ式時計の産業が雇っている人数より、機械式時計産業で雇っている人の方が圧倒的に多いんですよね。一つの時計を作るの に、多くの人間が関わることになるので、沢山の人を雇う必要があり将来性があるというか。『人の手間がかかっていることに魅力があり、価値がある』という 価値観がうまれれば、普通の工業製品でも、そういうやり方のものがもっと出てくるかもしれないし。そういった意味でも面白いと思います」
写真右/2013年作 ORIZURU 左/2014年作 MOKUME
デザインし、パーツのサイズを計算し、金属を削り、組み合わせては直す。ひたすら時計作りに邁進する匠は、行き詰まったりすることはないのだろうか。
「一つの部品をつくるのに、何回も失敗して作り直したりとか、そういうのは作っているなかで沢山あります。ですが、自分の頭の中に完成体のヴィジョンがあるので『これをこうすれば、上手く行くはずだ』みたいな思いがあるし、失敗したら『これはなんで失敗したのか』というのを考えるのがまた面白い。次失敗しないように、どうすれば失敗しにくいだろうか、というのを考えて作っていきます」
匠の目指す10年後を、少しのぞいてみたいと思った
「すごい時計を作りたいですね。今まで、色々なメカニズムのものを作ってきましたけど、それらの集大成というか、一つの時計に複雑な機構を詰め込んだみたいな、すごいもの、歴史に残るようなものを作りたいです」
そして、匠の心のよりどころをこっそりと教えてもらった。
「奥さんが、本当にこういうやり方に理解があって、支えてくれているからできているというのがありますね。本当に、そこは感謝としかいいようがないというか。『欲しいっている人がいるのだから、機械使ってもっと作りなさいよ!』という奥さんだったら、大変なことになっていますけど(笑)。(自分のものづくりの)そういう部分を尊重してくれます」
最後まで一貫して落ち着いたトーンで話す菊野氏から受けた印象は、動じず、ぶれない安定感。一見クールにも見えるが、一方で、本当に好きなことをしている人が持つ、特有の熱量も感じる。
何より、どこまでもひたむきに理想を追い求める姿勢は、まさに『バカになれ』の精神(詳しくは、前編へ)を貫いている。とことんのめり込み、ひたすら根気強く作業に打ち込むには、これくらいぶれない強さとエネルギーが必要なのかもしれない。そしてそれこそが、菊野氏の成功を支える秘訣のような気がした。