Brown, Pattern, Caramel color, Metal, pinterest

 
 世界的にも注目されている日本の宝「キモノ」の魅力を、銀座もとじの二代目・泉二啓太さんと一緒に探ってみました。

 日頃、日本の雑誌でありながら、洋服文化の伝統と革新を伝える『メンズクラブ』のウェブ版「メンズ・プラス」ではありますが、ここで孔子の言葉「温故知新」を見習って、日本の伝統的服装文化である「キモノ」を学ぶことによって、日本人としてのアイデンティティを再確認したいと思います。そうした上で、新たな思いで明日からの服装を考えてみてはいかがでしょうか。そして、一人でも多くの人がキモノに触れることで、この大切な日本の誇りを守っていこうという思いが募ることを願って、この連載をスタートします。

 皆さん、浴衣もいいですが、たまにはキモノを着てみませんか? その経験が、今後の洋服を着こなすときの姿勢も正してくれるはずです。

 
 そんな思いとともに、今回の連載は2017年7月に亡くなられた江戸小紋師の藍田正雄先生をはじめ、強い絆でキモノ文化を継承してきた多くの皆さん、そして、今もなお継承し続けている皆さんへの賛歌として捧げたいと思います。

 それでは今回の【KIMONO基本の「き」 その壱】 、もう一つのタイトル「キモノを着たくなった日」をご覧ください。

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銀座の呉服店「銀座もとじ 男のきもの」にて、二代目の泉二啓太(もとじけいた)さんをインタビュー。1984年生まれ。高校卒業後にロンドンやパリでファッションを学び、2009年に家業の着物専門店「銀座もとじ」に入社。ニ代目として着物文化を広げようと活動中です。

KIMONO(キモノ)基本の「き」 その壱

 キモノの魅力を知るためにうかがったのは、1979年、銀座に創業した呉服屋の名店「銀座もとじ」。 

 現在は女性のきもの専門店「銀座もとじ 和織・和染(わおり・わせん)」、日本初、男のきもの専門店である「銀座もとじ 男のきもの」、大島紬専門店「銀座もとじ 大島紬」の全3店舗を展開。なかでも2002年、着物離れが起きている真っ只中、初代社長である泉二弘明(もとじこうめい)氏は、銀座の一等地にて日本で初めて男性専門の呉服店を始めたことで話題にもなりました。

 そして今回、インタビューさせていただいたのは、その「銀座もとじ」で現在は店頭に立ちながらも、「男のきもの」を推進する広報隊長役も担う二代目、泉二啓太(もとじけいた)さん。

 啓太さんは1984年生まれの33歳。私たち『メンズクラブ』の読者世代に近しいお洒落男子。たとえ呉服屋の倅(せがれ)であれ、リアルな生活の中では洋服を好むであろう青年が、どのように家業を継ぐことを決意し、キモノを普通に着こなすようになったのか。「そこに奥深いキモノの魅力のヒントはあるのでは?」と思い、お話しをうかがうことにしました。

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東京・銀座3丁目にある男の着物専門店「銀座もとじ 男のきもの」にて、泉二啓太さんにお話しをうかがいました。


○子供の頃は大嫌いでした

 小学校に上がる前はよく着物を着せられていたのですが、小学生に上がってからは嫌がってましたね。むしろ、“大嫌いだった”と言ったほうがいいぐらいです。

 あるとき授業の一環で、社会科見学がうちのお店で行われることになったんです。あのときは、本当に来てほしくなかった…。友だちに、うちの店を見せたくなかった…。当時、呉服屋というのが、とってもカッコ悪い職業だと思っていましたので、逃げ出したい気持ちでいっぱいでした。そんな感じですから当然、小学生から高校生の時代までは、自分からキモノを着たいなんて思ったこともありません。

 完全に嫌いでしたね、キモノが。まず第一に、キモノを着ているオヤジが大嫌いでしたし…生業が呉服屋なので、365日キモノを着ている生活なわけです。授業参観には当然キモノ、海外に行くときも、レストランに行くときだって、常時キモノなわけですよ。その姿で一緒に並んで歩くのが、とっても嫌でしたね。それがいつしか変わるなんて、思ってもいなかったですよ。(次ページへつづく)

○大学卒業後は、嘘をついてロンドンへ留学

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まさに鯔背(いなせ)な表情で、正直にキモノに対する思いを話をしてくれた二代目・啓太さん。 

  
 高校卒業を目の前にして、「将来はどんな仕事に就こうか?」って考えたとき、その当時一番好きだったのが“洋服”だったんです。キモノではなく…。スタイル的には、ロンドンのスタイルが大好きで、そこで「人生は一度きり、勉強するなら海外で!」と思って、ロンドンで洋服の勉強をしようと思って留学することを決心したんです。

 当時オヤジには、「嘘をつかないと行かしてくれるわけはないな」と思ったので、「将来は呉服屋になりたいから、いまのうちに海外に住んで海外の目線から日本を見てみたいんだ…」って嘘を言いました。自分としては、「結構上手いこと言ったなぁ…」と思っています(笑)。 

 それを聞いたオヤジもふつうに、「じゃ行ってこいよ」と言ってくれたんです。でも、自分は内心、「絶対に戻ったりするものか!」という気持ちだったのは事実です。

 そして、ロンドンに留学したわけです。すると、自分の想像以上に素晴らしい街だったんです。ファッションは当然ですが、自分の好みのど真ん中。カルチャー的にも、とっても魅力的。ロンドンに行ったばかりの頃は、「ずっとこのまま、ここに暮らすんだろうなぁ」って思っていましたね。当時は18歳。まだまだいろいろ吸収できる年頃じゃないですか? …と、前ばかり向いて走っていたつもりだったんですが、そこで予想外の出会いが待っていました。 

 授業が始まれば、ファッション専攻の大学なので当然いろいろな角度から服を学んでいきます。民族衣装のことも…。たとえばミュージアムへ行って、生徒みんなで各国の民族衣装をスケッチをする授業もありました。そこでモチーフとして、キモノを選ぶ友だちが結構多くてびっくりでした。これに近い経験を重ねていくうちに、自分のキモノに対する思いが徐々に変わっていったんです。「他の国の人たちから見ると、キモノってこういう風に観られているんだ」ってどんどん分かっていくごとに。 

 そして、一番大きな影響を受けたのは、日本にいるときは考えることすらなかった「自分は日本人である」というアイデンティティ。これを意識するようになったことが、今ここにいる自分へ変容することになった最初のきっかけと言えるでしょうね。様々な国から集まった友人の中にいると、日本文化に興味をもつ友だちがたくさん出てきます。そして、そんな友人は必ず自分に意見を求めてきますから。ロンドンコレクションが開催される時期になれば、そこに参加したコム デ ギャルソンやヨウジヤマモトに関する話題にもなるわけですよ…。同じ日本人としての意見を必ず求められます。 

 そのことで、「海外の人は、日本人デザイナーをこう見ているんだ」という学びもできれば、自然と日本のことを日本にいるとき以上に「もっと知らないと、もっと考えないと」って思うようになりましたね。 

 と同時に、日本の文化に関して外国人の友だちは非常に注目度が高いことを改めて目の当たりにし、次第に日本という国で生まれたことに対しての“誇り”というものが芽生えてきたんです。これまで感じることもなかった想いが生まれて、ゆっくりと、そして着実に自分の思いをシフトさせていった感覚をいまでも覚えています。

 日本に対しての思い…「戻るものか!」と一念発起して留学したロンドン。二度と日本に対して振り向くことはないと思ってロンドンへ渡ったわけですが、滞在してみれば…「日本という国は素晴らしい国であり、リスペクトに値する文化をもった国なんだなぁ」という気づきを得ることになったわけです。つまり、思いきり日本に対して振り向く結果になったということですね。

 一応、自分は呉服屋の倅であることも明かしていたので、日本人である自分に友だちはいろいろ聞いてくる。ですが、当然ですが自分にはわからないことばかりで困りました(笑)。当時は「キモノ」と「浴衣」の違いもわかりませんでしたし、「下駄」と「草履」の違いもわかりません。「帯」と「キモノ」の区別くらいはつきましたが…(笑)。知っていたキモノ用語も、いま挙げたものぐらいしかしらないわけですよ…。そんな感じで18、19歳と過ごしていました。

  
 そうしてロンドンで過ごしているなか、21歳の頃だったと思います。ロンドンに渡った頃の思いとは確実に、180度違う方向へとシフトさせるような大事件が起こったのです。それもオヤジによって、かなりのインパクトで…。(次ページへつづく)

○イタリアでオヤジの放つオーラにヤラレました

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オヤジに嘘を言ってロンドンに渡ったはずが、結局、その嘘から誠を生み出す結果に。素敵な笑い話を語ってくれました。

  
 あの瞬間に、「ヤラレたな」って思いました…。

 オヤジにイタリア出張の機会ができたらしく、そこで自分のところに「イタリアで会おう」という連絡が入ったんです。「イタリアへ行けるんだ、ラッキー!」とばかりに、気楽な気持ちでふらりとイタリアへ訪れたのですが、そこで衝撃が全身に走ったのです。

 当然なのですが、やはりオヤジはイタリアでもキモノで現れるわけです。イタリアのミラノで待ち合わせしたのですが、通りを隔てて行き交うクルマの向こう側に、カッコよく歩いてくる男性が見えたんです。それがオヤジだったのですが…。まさに鯔背(いなせ)なわけですよ。それもイタリアで! スター的なオーラを放って、どんどん私に向かってくるんです。その瞬間、自分は「ヤラレタな」と思いました。

 
 日本人の男性って、海外へ行くとどうしても引きこもると言いますか、シャイな方が多いじゃないですか。でもオヤジは、キモノ姿で堂々とイタリアの街を闊歩していました。歩いているだけで、多くの外国人に話かけられたりするんです。キモノがコミュニケーションツールのひとつとなって、会話が盛り上がるのを目の当たりにしましたね。まさに、スターのように人が集まってくるんです。


 そのときにはじめて、「海外に出たら、キモノを着たい」って思いました。

 同時に、「海外の人たちこそ、キモノをリスペクトしている」ことも痛感しました。言ってみれば私自身、逃げたも同然の状況で留学に至ったのですが、まさかそこでキモノの魅力をかなりのインパクトで思い知るとは思ってもみなかった…。

 日本にいたままだったら、きっと「嫌い」なままだったでしょうね。海外から見ると、自国の民族衣装で洒落着として着こなされているのは、他国ではなかなかありません。そういった価値を、海外の人のほうが敏感に感じてくれていて、キモノを素直にリスペクトしているんです。 

 最終的に自分も、「キモノを着てみたい」と思う結果に。そして、そう思わせたオヤジの偉大さも、再確認できました。 

 以上のことが最大の事件でした。まるで“ミラノの奇跡”とでも言いましょうか(笑)。それまでキモノが大嫌いであった私に、180度違う思いを抱かせたのですから。

 海外でもキモノを着て、シャンとした姿で闊歩している。そこにはキモノに対する自信、そして誇り、そしてリスペクトといった様々な+のエナジーが融合しているんだろうなと…、今では理解できるようにもなりましたね。

 そんなパワフルで切れ味の鋭いオヤジの思いにより、キモノの魅力がストレートに自分の心を貫いたわけです。でも同時に、イタリアまで自分をこうして呼んだのは、「オヤジの作戦だったのでは?」とも思いましたね(笑)…。(次回につづく/公開は9月9日予定)

取材協力/銀座もとじ 男のきもの

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住所/東京都中央区銀座3丁目8−15
    APA銀座中央ビル 1F
TEL/03・5524・7472
FB/「銀座もとじ 男のきもの」公式FB

※2017年9月10日(日)には、
銀座もとじ 男のきもの 開店15周年記念し、
「1日限りの男のきもの祭り」を開催!
>>> http://www.motoji.co.jp/news/detail1988.htm

Photograph/Yohei Fujii
編集者:小川和繁