世界的にも注目される日本の至宝「キモノ」の魅力を探る連載、【KIMONO基本の「き」 その弐】をお送りします。今回は生前の江戸小紋師・藍田正雄氏よりいただいたお言葉「金は錆びない」を懐に、啓太さんが思うキモノの明日とは…。

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銀座の呉服屋、「銀座もとじ 男のきもの」店にて、二代目の泉二啓太(もとじけいた)さんをインタビュー。1984年生まれ。高校卒業後にロンドンやパリでファッションを学び、2009年に家業の着物専門店「銀座もとじ」に入社。二代目として着物文化を広げようと活動中です。

KIMONO(キモノ)基本の「き」 その弐

KIMONO基本の「き」 その壱からのつづき) ――イタリアでのオヤジとの待ち合わせは、まさに決定打となりましたね。

 「キモノを着たい!」って思わせてくれたんです、あんなに嫌っていたキモノを(笑)。当時は日本でも留学先でも、友だちには「呉服屋にはなりたくない」って言ってましたから…。そんな感じでロンドンでは過ごしていたので、突如あの日、いままでの自分では想像すらしなかった思いが降りてきました。 
 

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ミラノのドゥオーモへ向かう道すがら、ヴィトリオ・エマヌエーレ2世のガレリアを歩く啓太さんと店主の泉二弘明氏。


 「いずれ日本に帰るんだろうな」、さらには「いつか、(呉服屋を)やってみたいな。いつか、やるんだろうな」と。あの日の“ミラノの奇跡”がなかったら、いまの自分はないですね。まんまと、オヤジにしてやられたわけです(笑)。

○着て初めてわかった、キモノの底知れぬ奥深さ

 やがてロンドンの大学を卒業することになりますが、まだ日本には戻りませんでした。そのあと2年ほどビザが残っていたので、「ファッションの都パリで、もう少し洋服のことを勉強したいなぁ」と思って、パリに渡りました。そこでセレクトショップでバイトをしながら、本格的に仕事を探してみたのですが…。結局のところ、生活費も心細くなってきたので、日本へ帰ることに。

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啓太さんが七五三のときの記念写真より。

 
 そうして、いよいよ「銀座もとじ」へ入ることになりました。ですが、物心ついてからいままで、一向にキモノに触れたこともなく、当時は「キモノを着たい」という気持ちだけで入ったので、キモノに対する知識というか常識もありませんでした。一緒に入った同期には、あまりにもキモノに対して無知だったので呆れられていましたね。一緒に研修を受けても、着物用語に纏(まつ)わる漢字も読めなかったりで…。

 外出用の上着で、改まったキモノや礼装のときに着用するコートのことをキモノの世界では「道行(みちゆき)」というのですが、それを自分は「どうこう」と読んでしまったわけです…。「これって『どうこう』ですよね?」って聞くと、「いやいやいや、これは『みちゆき』と言って、キモノの基本的な単語なんだけど…」と。他にも「帯締め」、「帯揚げ」だってわかりません。まず、びっくりされましたね。「この人、本当に呉服屋の息子!? 大丈夫かぁ?」という感じです。

 さすがに「これじゃマズイ」と思って、その後、勉強に励むわけです。そこで幸いにも、店主である父の教えは“現場主義”。産地に足を運んで職人さんと直接話しを交わすことを大切にしています。自分の目で見て、手で触ったことを、自分たちの言葉で伝えるというのが、今も続く「銀座もとじ」のモットー。 

 その方針は、自分に合っていたのです。産地へ行って、つくり手さんたちと対面すると、体全体で反物の裏にある物語を会得できました。頭に記録するのではなく、心に記憶することのほうが自分的には性に合っていたのですね…。

 そして入社してすぐ、一週間後くらいのタイミングで、江戸小紋師の藍田正雄先生のところへ行くことになったのです。残念ながら、つい先日(2017年7月)にお亡くなりになられたのですが、いまから思えば偉大な職人と出会えたこと、さらには、その方からとても大切なことを教えてもらい、今では言葉では言い表すことができないほど心から感謝しています。(次ページへつづく)

○「金は錆びない」と同じで、いい着物は決して錆びない

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店内に飾られていた藍田先生が使用していた伊勢型紙とともに、先生の偉大さを語ってくれました。

 
 江戸小紋師・藍田正雄先生は、先日2017年7月にお亡くなりになられたので非常に悲しく、残念に思っています。

 生前、先生の工房にうかがい、直に江戸小紋の素晴らしさを教わるという時間をいただきました。そのときのことは、社長から得たミラノの衝撃以上に、ものすごいインパクトでキモノの奥深い魅力を教えてもらうこととなりました。

 「江戸小紋」とは、非常に細かい模様の型紙を使って染めていく技法で、遠目からは一見無地に見えます。江戸時代は武士の裃(かみしも)などにも使われていました。

 反物を板に張りつけた後、和紙を職人が彫刻刀により文様や図柄を丹念に彫り抜いた「伊勢型紙」を使用し、愚直に何度も何度ものりづけを行う技法を一から教えていただきました。型を置いたら終わるのではなく、その後も「染め」、「蒸し」、「のり落とし」、「補正」と、さらに細かな作業がひたすら続きます。

 そのひとつひとつの作業に、人生を注ぐ藍田先生の思いと信念に対し、とても心打たれました。キモノというものは、このように人が魂込めて自分の工程を仕上げ、次なる作業を行う職人へと魂のバトンタッチしていく尊い仕事…“人と人との力強い絆と協力の結晶”であることを、まじまじと教わることができたのです。

 このような技法は、現在ならプリントでやれば一瞬で済むこと。(今では江戸小紋の多くはプリントでできています)ですが、藍田先生はこの技法を大切に継承してきたわけです。なぜか? そのモチベーションはどこに? そんな思いで氏の仕事ぶりを見ているうちに、それがストンと胸に落ちる一言を自分に放ってくれました。その言葉は藍田先生の座右の銘と言ってもいいではないでしょうか。自分はいまでもその言葉を忘れません、いや一生。それはキモノ文化全体に通じること…

「金は錆びない」
 

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江戸小紋師である故・藍田正雄氏。

 
 藍田先生はこの技術を伝承する方が少ないなか、長い間ずっと伝統の技法で江戸小紋をつくり続けてきた方です。そして、日本一の技術をもった職人だと思っています。ですが、昭和40年代50年代は苦悩の日々を過ごしていたようで、当時は景気がよく、大量生産・大量販売の時代。作れば作るほどモノが売れる時代だったので、こういったスローテンポの手仕事はどんどん淘汰されていった時代だったのです。先生のように優れた技術をもった名職人にとっても、当時はほんとうに厳しかったようで、廃業寸前まで追い込まれていたそう。

 そんなころ藍田先生は、突如奥さまから「食べることのできる仕事に変えてほしい」と懇願されたそうです。そして、仕事を辞めることを決意したとのこと。実際に、お弁当屋さんで働くことも決まっていたのだそうです。ですが、そのお弁当屋さんで働き始める直前、どうしても悔しさで眠れなかったそうなんです。そこで一反だけ残していた反物を持って、奥さまに「この生地で最後の勝負をさせてくれ!」と申し入れ、東京までの電車賃をもらって高崎から上京したのです。 

 大小の問屋がひしめく日本橋を、反物を持ちながら見せて歩いたそうです。しかしながら現実はやはり厳しく、どの問屋に行っても相手にされなかったようなんです。ですが、最後に行った問屋さんから、「いい仕事しているね!」と褒められたと嬉しそうに語ってくれました。

 とは言え、その場では受注はもらえなかったようなのですが、次の日には電話が。「あなたに200反お願いしたいんだけど、やってもらえないか」と。曇天の雲間から眩い光が差し込む会心の言葉が、受話器の向こう側から聞こえたそうです。

 実は、すでに仕事道具をすべて整理していた藍田先生。ですが、その問屋さんが面倒を見てくれるということになって、仕事に見事復帰。そこから力強く復活していったそうなんです。

 そんな苦悩の時代に、コツコツと魂込めた作品を作り続けていた先生が大切にしている言葉が、「金は錆びない」でした。

  
 「本物の仕事をずっとやり続けていれば、必ず認めてくれる人がいる」と、先生は補足してくれました。そんな言葉を入社一週間目の自分に授けてくれたのです。キモノの技法とか歴史とかも知るまでもない「銀座もとじ」新入社員の私の心を、実にストレートにえぐったわけです。

 「これが自分の道なんだ…」と、確信したのでした。そして次なるステップ…「キモノのために何かしたい!」という決意にも至らせてくれたのです。(次ページへつづく)
 

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故・藍田先生が染めに使用した伊勢型紙が、店内に額装して飾られていました。
 

○キモノを「着てみたい」から、「着てもらいたい」へ

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「いまもSNSでつながっている友人から、『なんで啓太は、キモノを着ているんだ? あんなに嫌っていたのに!』とコメントが入ってきます(笑)。それだけみんなに、キモノ嫌いをアピールしていたんですね」と啓太さん。江戸小紋の涼しげな着物をシャンと着こなしての登場。

 
「金は錆びない」…自分は「キモノを着てみたいな」という、言うなれば軽い気持ちでオヤジである社長の仕事を継ごうと日本へ戻り、「銀座もとじ」に入社したわけです。今では、故・藍田先生をはじめ多くのキモノ文化を支えるつくり手さんたちとの対話によって、その魅力を手に取るように感じるようになりました。そうして「キモノを着てみたい」という気持ちから、「キモノを着てもらいたい」という願いへと変わっていったんです。そして現在では、このようなキモノの奥深い魅力を多くの人に伝えることが「自分の使命だ」と、錆びない決意を胸に抱くようになったのです。

 そして、“産地主義”をモットーとしている、父の真意も感じとることができました。そうです、そんなキモノがもつ幾重にも重なる魅力をより多くに人に伝え、届けていくことが、うち(銀座もとじ)の在り方であり責務なんだなぁと、痛感しています。またしても、オヤジ(社長)にしてやられたわけです(笑)。 

 キモノの産地は全国にいろいろあります。北は北海道から南は沖縄まで産地があって、そこには多くの(ある意味ほんのひと握りの)つくり手さんたちが、今も魂をこめて仕事をしています。そういったつくり手さんたちの思いを温度差なく伝えながら、多くの人にキモノを着こなしてもらいと、今は常にそう考えてキモノと向き合っています。

 この藍田先生との出会い以降、二代目としての自分に対する社長の責任と期待からだと思うのですが、一週間ごとに全国のさまざまな産地に自分を預けてくれたんです。京友禅のところへ行ったり、白生地屋さんのところや小物屋さんのところなど…そこでもさらなる成長を自分に与えてくれました。

 今でもどこへ行っても、いつも自分の心に浮かんでくる言葉は、「金は錆びない」です。本当に、藍田先生に感謝していますね。(次回につづく/公開は9月16日) 

 
取材協力/銀座もとじ 男のきもの

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住所/東京都中央区銀座3丁目8−15
    APA銀座中央ビル 1F
TEL/03・5524・7472
FB/「銀座もとじ 男のきもの」公式FB

※「1日限りの男のきもの祭り」は
大盛況のうちに終了しました。
※現在、~2017年9月18日(月)まで、
「銀座もとじ 和織」「男のきもの」「大島紬」にて
「見て、聞いて、触れて、心で感じる 大島紬展」
を開催中です。2017年9月16(土) 10:00〜には、
「ぎゃらりートーク会」を開催。詳しくは下記より。
http://www.motoji.co.jp/news/detail1991.htm

Photograph/Yohei Fujii
Text & Edit/Kazushige Ogawa