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時計オークションの開催に際し、必ず話題に上るのが著名人が所有していたお宝の出品の有無です。

著名人が愛用した腕時計|オメガ、パテック・フィリップ、ロレックス

2005年12月のガーンジー・オークション(ニューヨーク)にて、ジョン・F・ケネディが大統領就任時に着用いていたオメガの刻印入りスリムライン「Ultra Thin Tank Watch」が出品されたときはなんと、35万ドル(約4000万円)の値でスイスの都市ビールにあるオメガ・ミュージアムが落札しています。

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エリック・クラプトンのプラチナ製パテック フィリップ Ref.2499/100は、現存が確認されている25本のうちの1本でしたが、2012年にジュネーブで開かれたオークションで360万ドル(約4億1千万円)という落札価格で個人コレクターが競り落とし、大きな話題となりました(ちなみに25本のうちの約半数が、パテック フィリップ社により所蔵されています)。さらには、ポール・ニューマン自身が所有していたポール・ニューマンモデルのロレックス「コスモグラフ デイトナ」が、2017年12月にニューヨークで開催されたフィリップス・オークショニアズのオークションに出品されると、なんと1775万2500ドル(20億円超)の値を付け史上最高額の時計となったことは有名な話です。

2021年の年末(12月11日~12日)には、後者のフィリップス・オークショニアズがニューヨークで時計のオークションを開催しています。そこでは希少なロレックスと共に、「タグ・ホイヤー」に社名変更する前のホイヤーも並ぶ中、ひときわ目を惹くティファニーブルーの文字盤が美しいパテック フィリップ「ノーチラス5711」は、限定170本のうちの1本です。

文豪ラルフ・エリソンとは?

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そんな逸品ぞろいのオークション中で、最大の注目を集めたのがロットナンバー138の時計でした。それは著名人が所有していた1本であり、しかもポール・ニューマンやエリック・クラプトンとはひと味違った著名人、大統領でもなければ映画スターでもありません。オクラホマ出身の小説家、急進派、学者、評論家などの顔を持ち、1592年に出版された『見えない人間(Invisible Man)』によって世界的作家となったラルフ・エリスンが所有していた時計です。

この『見えない人間』は、1940年代のアメリカにおける黒人の生活を、辛辣(しんらつ)かつ情熱的な筆致で描き出す彼の作品は「20世紀におけるアメリカン・ピカレスクの典型」とされ、1995年に出版されたバラク・オバマの自伝「マイ・ドリーム(Dreams from My Father)」の下敷きとなったとも言われています。

高級時計のオークションということであれば、華やかな生活をおくる資産家や権力者、また富裕層が思い浮かぶかもしれません。そして、オークションという催事に注目するような人々と、エリスンのような作家とはおよそ接点のないのでは?と思う人も多いはずです。ある種の政治的背景を持つ黒人知識人の存在が、ニューヨークの時計界で存在感を示したことなど、これまでの歴史上も例がありません(そのようなことを考えた人さえいなかったでしょう)。

「作家というカテゴリーにおいて唯一思い浮かぶ名と言えば、“マイケル・クライトン”でしょうか」と、フィリップス・オークショニアズのアメリカ支部、時計部門の責任者ポール・ブトロス氏は述べています。彼は『ジュラシック・パーク』の原作者として有名ですがアートコレクターとして、また高級時計の愛好家としても知られています。

アインシュタインが愛用した「ロンジン」の腕時計

「アルバート・アインシュタインの時計が出品されたこともありますが、彼は科学者であり研究者です」、とも言います。アインシュタインの時計は、2008年に59万6000ドル(約6千8百万円)で落札されたトノー(樽)型のロンジンです。「アルバート・アインシュタイン教授、ロサンゼルス、1931年2月16日(Prof. Albert Einstein, Los Angeles, Feb 16, 1931)」と刻まれており、大きな金色のアラビア数字の文字盤が特徴です。

解説には「視力の悪いアインシュタインが、この文字盤の恩恵を得たことは明らかだろう」と記されています。この時計は現在、スイスの首都ベルンの歴史博物館に所蔵されています。「他に作家と呼べる人がいるかどうか…、ちょっと思い浮かびません」と、ブトロス氏は首を捻(ひね)ります。「時計の世界では特にですね…」。

なぜ文豪の愛用した腕時計が希少なのか?

以下に挙げる事実こそが、エリスンの時計の出品を「さらに興味深いものにしている」と言っていいでしょう。それは、1968年製のオメガ「スピードマスター」(ST145.012)だから。

このモデルは「スピードマスター」の初号機 「Ref2915-1」が積んでいた伝説的なキャリバー321を搭載した最後のモデルであり、このモデル以前に登場した兄弟機である(ST105.012)とともに、NASAによる人類初の月への有人宇宙飛行計画であるアポロ計画におけるアポロ 11号、12号、14号、15号、16号、17号のミッションにおいて、月面で着用された 2つのリファレンスナンバーのうちの1つになります。またこれらは、アポロ13号ミッション中には機内で着用されていました。

「時計オークションに新たな一章を書き加える、大いなる出来事になるでしょう」と、オークションを控えた、ブトロス氏は述べていました。

「文化的な面から、意味のある人々に注目が集まるでしょう。ただの“有名人”ではなく、社会的に重要な役割を果たした人物の所有していた素晴らしい時計を手に入れたいと願う人々は確実にいるはずですし、そのことを高く評価する人々も新たに生まれているかもしれません。ただの有名人には興味がないというコレクターでも、持ち主が歴史的な人物だったとなれば、話はまた違ってきます。また、博物館や記念館に収蔵されても不思議ではありませんし」とも言います。

オークション開催前:オメガ「スピードマスター」は誰の手に?

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Courtesy of PHILLIPS

オークション開催前に入札が噂されたのは、ビール(スイスの都市ビール)にあるオメガ・ミュージアムでした。そうして結果的にも、このオメガ「スピードマスター」を、オメガ・ミュージアムが落札。1万〜2万ドルのエスティメイト(推定価格)に対して、実際の落札価格は66万7800ドル(約7626万7434円)となり、予想の40倍以上の値段でハンマーは叩かれたのです。

オメガ・ブランドの歴史的遺産の管理を担当するペトロス・プロトパパス氏は、2日目の参加を表明していました。つまり、アルバート・アインシュタインの時計ほどの話題性は無いかも知れませんが、プロトパパス氏はきっと、エリスンと『見えない人間』、そしてその作家の腕時計とを結びつけることに熟考を重ねていたに違いありません。

ペトロス・プロトパパス氏にインタビュー

オークション開催前の休暇中、ギリシャから電話インタビューに対してプロトパパス氏は、「例えば本の一節に、このようなことが書かれています」と答えてくれました。

「“見えない人間ということになれば、時間の感覚もまた少し変わるものだ。それは、『規則的に刻まれる時間から解放される』とも言える。あるときは時間の先を行き、またあるときは時間を後から追いかける。時間を速めたり遅らせたりするのではなく、その音に意識が向くようになるというわけだ。時間が停止するような瞬間もあれば、飛ぶように流れる瞬間もある。その隙間に自ら飛び込み、周囲を観察するのだ”と、エリスンは時間について言及しています」と解説してくれました。

プロトパパス氏の指摘する通り、『見えない人間』の至る所に時間への言及を見出すことができます。「著作『見えない人間』を時計愛好家の目を通じてひも解けば、時計や時間といったモチーフが小説の随所に散りばめられていることに気づくでしょう」と、このオメガのプレスリリースにも解説が加えられました。

「作中において重要な役割を持つ小道具として、時計が用いられています。ニュアンスに富んだ時間の解釈など、エリスンが時計や計時機器によく通じており、また、強い関心を抱いていたことは明らかです」とも。

さらにプロトパパス氏は、「まあ、そのような点を強調して解釈を試みることも可能だということです」と言って笑います。「でしが、アメリカという国で黒人達の強いられた経験を描き出しつつ、異なるタイムスケールと異なる空間との融合を図った小説であるのは確かなことです」と結びます。

奴隷時代の孫世代として生まれたエリスンは、才能あふれる音楽家、作曲家、クラシック音楽の演奏家でもありました。また、独自のダンディズムの持ち主でも、その写真を見れば、洒落た眼鏡、ジャズハット、ツートンカラーの革靴などを身に着けていた独自の美学を擁する紳士であったことが確認できます。

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Esquire UK
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Courtesy of PHILLIPS

「彼は、オーディオ機器を好んだ作家でもあります。時計や計時機器にも魅了され、とにかくより良いものを選び、身に着けていた人物です」と、再びブトロス氏も語ります。「それは、趣味の良い人物だったということです。自分が決して裕福な身分ではないということを自覚していましたが、裕福な人々のためにつくられた品々を愛する感性の持ち主でもあり、そのような中から自分の好みに合うものを探し出す目を持った人物でした。オメガ『スピードマスター』と言えば素晴らしい時計ですが――安いとは決して言えないものです。身だしなみに気を遣ったエリスンは、『スピードマスター』に備わるクラフトマンシップとエンジニアリングに惹かれ、それを身に着けたのです」とのこと。

エリスンはオメガをどのように手に入れた?

「エリスンの『スピードマスター』が誰かから贈られたものなのか? それとも自ら購入したものなか?は確認ができていない」、というのがオメガの見解です。ですが、「1968年、この1本がアメリカにわたってすぐにエリスンの物になった」ということは判明していると言います。

マンハッタンのリバーサイドパークでこの時計を腕に着用し、インタビューに応じている姿が写真が残されているのです。そして1994年に亡き人になるまで、例えクロノグラフのプッシュボタンが外れても、洒落たテーラードスーツのカフスの下に忍ばせ、生涯にわたりこの時計を大切に使い続けたということです。

エリソンのオメガ「スピードマスター」歴史、誰の手にわたったのか?

エリソンが亡くなった後、2016年になってロングアイランド・シティの小さなオークションハウスに、この時計が出品されました。落札したのは、コレクターのテッド・ウォルビー氏です。歴史的な興味というより、オールオリジナルの「スピードマスター」を探していたところ、この1本に遭遇したそうです。

そのウォルビー氏が、時計ジャーナリストでもあるライターのマイケル・クレリゾ氏の協力を得て、米国議会図書館に資料として保管されているラルフ・エリスンの保険証明書のコピーにたどり着き、そこにこの時計のシリアルナンバーが丁寧に記されていることを突き止めました。

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米国議会図書館に資料として保管されているラルフ・エリスンの保険証明書のコピー。

時計そのものは「手入れが行き届いている」とのことで、研磨されていないオリジナルの状態のまま保存されていました。プロトパパス氏はこの1本を評し、「ふたつの帽子をかぶっている」と述べています。ひとつには「コレクターグレードのヴィンテージ」である点、そして同時に「ユニークな歴史的価値を持つ『スピードマスター』である」という点です。

「オメガの開拓精神を証明するものであると同時に、偉大な人物、偉大な作家が身に着けていたことが証明されてもいるのです」と、プロトパパス氏は言います。

今や、オークションに出品されること自体が注目の的となる「スピードマスター」です。エリスンの「スピードマスター」となれば、JFKの刻印入りスリムライン「Ultra Thin Tank Watch」、エルヴィス・プレスリーの18Kホワイトゴールド製ドレスウォッチ、リチャード・ニクソンの1969年の月面着陸を記念してつくられたゴールド製「スピードマスター」と並び、ピールのオメガ・ミュージアムの収蔵に値する1本であることは間違いありません。

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しかし、その価値はまた多くの博物館や個人コレクターたちにとっても同様に高いものです。なぜなら、アメリカにおけるエリスンの存在は一種特別なものがあります。今回のロットナンバー138が誰の手に収まることになるのか?オークション開催前には余談を許さない状況が生まれていました。

「近年では、オークション結果を予想するのはますます困難になっています」と、プロトパパス氏も悩ましい表情をオークション前に語っていました。

「この時計であれば、文化施設や文学愛好家、そしてファンと呼ぶのは不適切かもしれませんが、この作家の熱心な読者にもアピールするでしょう。かなりの金額に達するのではないかと考えられます。アメリカからの入札が無いなどということは、ちょっと考えられません。アメリカ史、そしてアメリカ文学史という観点からも、極めて高い価値のあるものなのです」と。

そして、「果たしてハンマープライスがどれほどになるか? 興味深い展開になるでしょうね」とコメントを締めくくり、プロトパパス氏はオークションに臨んだというわけです。

これはyouTubeの内容です。詳細はそちらでご確認いただけます。
Ralph Ellison: Invisible Man, Celebrated Writer | Black History Documentary | Timeline
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Source / Esquire UK
Translation / Kazuki Kimura
※この翻訳は抄訳です。