「僕が誰かって? 本当に知りたい? 」

2002年公開の映画『スパイダーマン』が、トビー・マグワイアのナレーションで幕を開けたことを、あなたは覚えていないかもしれません。実は、サム・ライミ監督によるこのスーパーヒーロー3部作の作品はすべてこの方法で始まっているのです。「臆病な人には向かない話だよ」と、マグワイアは続けて話します。「これを、小さな幸せなおとぎ話だとか、ただの平凡な男の話だとか、悩みのないやつの話だとか言うヤツがいたら、それはウソだ」と…。

マーベル映画がこんなに感傷的に始まるなんて、想像できますか? レコードのスクラッチもなく、フィクションと現実世界との境界を表すような巻き戻しもなく、映画の中の映画を観ているような安っぽさもない。そして、ピーター・パーカーがスクリーンに登場すると、彼はメガネの後ろに超美形の顔を隠し持った映画スターでもなかったのです。クールなスケートボードでレールを滑るわけでもなく、相棒と軽妙な会話を交わすわけでもない。彼はただのピーター・パーカー…。スクールバスの運転手にもいじめられる、そんな存在にぴったりでした。

2022年1月7日に公開の『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』で、私たちは"あの"スパイダーマンの時代を離れ、奇妙な新世界へと足を踏み入れることになります。とは言えここで、「マーベルの最新作にクイーンズ出身の3人のスーパーヒーローが登場する」という噂について掘り下げるわけではありません。

アンドリュー・ガーフィールドの『アメイジング・スパイダーマン』3部作、『スパイダーマン:スパイダーバース』、インソムニアックの『スパイダーマン PS4』、その他ゲームやコミックに登場する大作スパイダーマンの物語を総合すると、スパイダーマンの数は今や小さな島の人口と同じくらいになるはずです。2002年以降も、優れたスパイダーマンは何人かいましたし(特に『スパイダーマン:スパイダーバース』に登場する一団)…。

私は「すべての人の心にヒーローがいる」と固く信じていますが、過去20年のスパイダーマンの中で、普通の人が空を飛べる...あるいは、スイングできると信じさせてくれる誠実さと間抜けさの組み合わせを持つ人物は、たった一人しかいないと信じています。

tobey maguire spider man
Columbia Pictures
「ピザの時間だよ!」

オリジナルのスパイダーマンを振り返れば、校内カーストの最下層に位置する人物であるピーター・パーカーを演じるに、「マグワイアほど適した俳優はいるものか」と、実はかなり驚かされました。正直言って、彼はそうカッコよくないのです。その上、口ごもるように話し、二枚舌で、言うべきことを探すのに時間をかけ、やっと言ったと思ったら全然的外れなことを言うのですから…。

こんなセリフを覚えていますか?

「MJ(メリー・ジェーン・ワトソン=スパイダーマンのヒロイン)の素敵なところは、彼女を見つめると…彼女に見つめ返され、何だか急に…不思議な気持ちになる。自分がとても強くなったようで…それでいながら弱くも感じる」

ガーフィールドが演じたピーター・パーカーのダークでドリーミーなイメージとは異なり、マグワイアのピーターは女性と話すのもやっと…。メリー・ジェーンの周りをうろつき、文字通り彼女の命を救ってこそ初めて、ピーターは彼女とのチャンスを得ることができる…そんなストーリーにも最適な人物です。結局のところ彼は、仕事と恋愛を同時にこなすにはまだ十分な裁量を得ていないというアティチュードにもぴったりだと思いませんか!?

一方でマグワイアは、この(スパイダーマン)スーツが実に妙なほど馴染んでいるように見えました。マグワイアはシャツ姿で、「悪者をやっつける自分の録画を、ソニーの重役に提出してこの役を射止めた」と言われています。その映像を観た人なら、無言で悪党どもを蹴散らすマグワイアの姿に、心から魅了されたことでしょう。それは今日の表面的なスーパーヒーロー映画とは違って、彼は(スパイダーマンの)本質は普通の人間であるということに対し、徹底的かつ献身的に貫いていたからだと思うのです。

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SPIDER-MAN Screen Test: Tobey Maguire
SPIDER-MAN Screen Test: Tobey Maguire thumnail
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もちろんトビー・マグワイアが、スパイダーマンというキャラクターの揺るぐことのないプロトタイプとなった理由としては、ピーター・パーカーを負け犬のように演じたことだけではありません。マグワイアが演じるスパイダーマンは、一般的なスーパーヒーローとは一線を画し、とても個性的な存在なのです。『バットマン』におけるマイケル・キートンであり、『スーパーマン』におけるクリストファー・リーヴのようなものです。

彼らは堂々としていて、どういうわけか、それがさらなる魅力となって人々を惹きつけるのです。最新作でスパイダーマンを演じるトム・ホランドは、プロのサッカー選手のような体格で、実際にバク転もできる俳優です。スクリーン上では控えめな存在となっていますが、彼と同じだとは決して言えません。マグワイア扮するパーカーは、力を発揮しているときでさえ、その間抜けな表情を崩さないのですから…。

映画『スパイダーマン』のラストで、ビルの大きな壁が背中に落ちてきて、メリー・ジェーンと目が合ったとき、普通のヒーローであればカッコ良い決め台詞を言うはずです。ですが彼は、ただ微笑むことしかできないほど、彼女に夢中になっているのです。「これ、重いね」と。

子ども向けの大作スーパーヒーロー映画が、自意識過剰なユーモアにこだわるようになった理由を推測すると、「シニシズム」(冷笑主義:社会の風潮や規範など、あらゆる物事を冷笑的にながめる見方や態度のこと)に行き着くと思います。2002年にはそれが少数派でした(そして、マグワイアの他の作品が登場した2004年と2007年も)。ですが今日では、マーベル作品には皮肉やキラキラしたコスチュームで世界を救うことが、いかに愚かであるかという"気の利いた"コメントとともに、1分の間隔もないまま出てくるイメージです。

マーベル全体が、「ナルシストで大金持ちの武器商人が世界を救う」という考えを軸にしている一方で、サム・ライミ監督のスパイダーマン映画は、すべてその逆。「労働者階級のヒーローが、権力者の大量破壊兵器製造を阻止する」という実に皮肉なものであることは言うまでもありません…。

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インターネットもまた皮肉なもので、公開以来数年間は、サム・ライミ監督のスパイダーマン映画は「地獄のようにくだらないものだ」と、かなり広範囲に批評されていました。ですが、マグワイアの演技をもう一度見て、この俳優がその役柄に対して完全にコミットしたときにどうなるか?を再確認してください。

彼はその役柄を、実に深く理解しているかがリアルに伝わってくるはずです。そこには、思いやりの心を持ったおっちょこちょいのオタクがいます。そして、われわれはそんな彼を愛さずにはいられなくなるのです。だからこそ、『スパイダーマン2』の壮大な列車のシーンに勝るスーパーヒーローの瞬間は未だになく、インターネット上では丸2年、トビー・マグワイアの復帰という噂で狂気に陥っていたわけです。

「人生にどんなことが起ころうとも、僕は決してこの言葉を忘れない。”大いなる力には、大いなる責任が伴う”。僕は力を与えられ、そして呪われた。僕が誰かって? もう知っているよね…」

Source / ESQUIRE US
※この翻訳は抄訳です。