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時を操るクルマ、「デロリアン」秘話

時をかけるクルマ、「デロリアン DMC-12」。このクルマは映画に登場するだけのクルマではないことをご存じでしたか?

By and MATT BLITZ
デロリアン,dmc 12 delorean,
DELOREAN MOTOR COMPANY

映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』の冒頭からおよそ20分ほどのところ、マーティ(ン)・マクフライがこの四輪の付いた未来的な金属の塊と絡むシーン、皆さん覚えていますか。

次元転移装置を搭載したこのクルマが、湯気とともにトレーラーからバックで出てくるシーンになります。マーティはボサボサ髪のドク・ブラウンの方を向いて、「待ってよドク。デロリアンをタイムマシンに改造したの?」と尋ねます。

このクルマ「デロリアン DMC-12」は、同映画の三部作を通してマーティの鋼の馬となって、2015年の未来からはるか昔の西部開拓時代まで時を超えて活躍します。

しかしながら、映画の中では主役級の役割を果たした「DMC-12」でしたが、現実世界ではそこまでヒーロー的な存在ではありません。実際は映画とはかけ離れた、波乱に満ちた運命を辿ってきたのです。

そして公開から30年が経った現在、デロリアンは再び時を越えようとしています。

改めて過去を振り返りながらも、人類の交通手段の未来を探ろうとしているようです。これは「DMC-12」が残したヘリテージ(遺産)をめぐる奇妙な物語なのです。

今回、これまでのデロリアンの過去を振り返ると同時に、その魅力をたっぷりとお伝えいたいと思います。

デロリアンの輝かしい構想

デロリアン DMC-12 DeLorean
DELOREAN MOTOR COMPANY

「DMC-12」を開発したジョン・ザッカリー・デロリアン氏は、このクルマの開発以前から自動車業界のレジェンドとも呼ばれる人物でした。ゼネラルモーターズ(以下、GM)で最年少の事業部長となった彼は、GMの「ボンネビル」を高級車に変え、「カタリーナ」をベストセラーにしました。また、「ポンティアック・テンペスト」や初の米国製マッスルカーとされる「ポンティアック・GTO」の開発責任者を務めたことでも知られています。

その後1969年には、落ち目にあったシボレー部門を任されると、同部門をすぐさま復活させ、過去最高の利益を稼ぎ出したのです。そして彼は、こういったことをすべて50歳になる前に成し遂げたのですから驚きです。

そんな「デトロイト・ドリームの体現者」とも言うべきデロリアン氏の人生は、彼が開発していた自動車に負けず劣らず、猛スピードで進んでいきました。ハンサムで傍若無人な彼は、雑誌の表紙やタブロイド紙の一面にたびたび登場。

また、歌手のサミー・デイヴィスJrやコメディアンのジョニー・カーソンと親交を結び、ラクエル・ウェルチやキャンディス・バーゲンのような女優と付き合ったこともありました。当時のガールフレンドの一人によれば、デロリアン氏はクリスマスギフトに自分の写真を詰め込んだ革装のポートフォリオを渡すような男だったといいます。

1972年までにデロリアン氏は、GMの保守的なカルチャーにうんざりし、自らの理想の高級スポーツカーを作る準備を始めました。そして1975年の秋に、デロリアン・モーター・カンパニー(以下、DMC)を設立。

彼はGMのトップエンジニアの一人であるウィリアム・T・コリンズ氏とイタリアの自動車デザイナーであるジョルジェット・ジウジアーロ氏を雇い、自らが「世界初の道徳的なスポーツカー」と呼ぶ自動車の開発を開始したのでした。

それから1年も経たないうちに、「DMC-12」のプロトタイプ第1号はリリースされました。

当然のことながら、この自動車の名前は開発者のデロリアン氏から取られています。ちなみに「12」という数字が付いたのは、DMCがもともとこの自動車を1万2000ドル(現在の価値でおよそ5万ドルに相当します)で販売する予定だったからとのこと。

DMC-12の重要な特徴の1つとも言えるスチール製のボディは、1936年にフォードが生産したステンレススチール製のセダンにインスピレーションを得たものです。 1979年の「ニューヨーク・タイムズ」紙の記事によれば、デロリアン氏はスチール製の外装について、「移り変わる空の色を反射し、ボディの色が変わること」、「25年間は錆びないこと」などを誇っています。

デロリアン氏はこのクルマについて、コルベットの半分の重量で、ポルシェよりも燃費が良いものになると明言しました。また、安全性の面では、要求されるあらゆる最新機能を備えるとし、このクルマの特徴であるガルウィングについても、安全性を念頭に置いたデザインとして売り込みました。

「DMC-12」を「コルベット」や「ポルシェ 924」と同程度の価格で発売できる!?

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Delorean TV Commercial
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「このドアは『ガチャッ』と簡単に開くことがない、とても安全なものです。そして、セクシーでもあるのです」と、デロリアン氏は「ニューヨーク・タイムズ」紙に語っています。彼は当時、「DMC-12」を「コルベット」や「ポルシェ 924」と同程度の価格で発売できると考えていました。

大手の自動車メディアたちは当初、興奮をもってこのクルマを記事に取り上げました。が、DMCの資金繰りに対する懐疑的な見方もありました。

巨大な自動車メーカーに立ち向かう独立系自動車メーカーのビジネスが成功する確率は高いものではなく、ほとんどの金融専門家は「DMCは最初の数年が過ぎれば、販売の勢いを維持するのが困難になる」と予想していました。特に低価格車への方向転換できなければ、同社には厳しい運命が待ち受けていると考えられていたのです。そんな同社にとって最後の希望は、自動車業界で数々の偉業を成し遂げてきたデロリアン氏の手腕でした。

「挑戦した人は誰もが失敗してきました。しかし、そんな彼らとジョンは違うはずです」と、チェース・マンハッタン銀行の自動車アナリストは当時の「ニューヨーク・タイムズ」紙に語っています。

「正直に言えば、彼がやるなら、ほとんど奇跡のようなことが起こるかもしれません。私が言えるのは、『できるとすれば彼しかいない』ということです」(チェース・マンハッタン銀行アナリストのジェームズ・ウォレス氏)

「DMC-12」大減速した時期

デロリアン DMC-12 DeLorean
DELOREAN MOTOR COMPANY

The DeLorean Motor Company(DMC)は設立当初から大きな問題に直面しました。予算超過や機械的欠陥、不十分な品質管理などにより、「DMC-12」の本格的な生産体制が1981年まで整わなかったのです。

さらに悪いことに、プロトタイプ版の設計を改良したことで、一台あたりの生産コストが500ポンドも増加。こういったコスト超過から、同車の価格は2万5000ドルと当初の予定よりはるかに高額になってしまいました。

生産に遅れが生じたことで、デロリアン氏は「DMC-12」の市場投入を急がざるを得なくなり、計画されていた厳格な性能テストはスキップされることになりました。そして、エンジニアがV6エンジンの性能不足に気づいたときにはすでに遅しでした。このエンジンでは増加した重量に対処できず、パフォーマンスが平凡なものになってしまったのです。

これでは、この車の先進的なデザインにはマッチしないであろうことは明白なわけだったのです。

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DMC-12の前でポーズを取るデロリアン氏(1985年)

写真:DMC-12の前でポーズを取るデロリアン氏(1985年)
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DMCは当初、年間1万〜1万2000台の販売台数を期待していましたが、実際に売れたのはわずか6000台でした。1982年上旬には、英国政府がDMCによるさらなる補助金の要請を拒否し、同社は同月には破産を宣告することになりました。さらに1982年10月20日、FBIがデロリアン氏をコカイン所持の疑いで逮捕すると、最後の希望も潰えました。

FBIは当時、デロリアン氏のドラッグ取引について、「明らかにDMCの資金難に由来するもの」としています。

そして同日、英国政府はアイルランドにあるDMCの工場を正式に閉鎖。陪審団は後に、デロリアン氏がドラッグ取引に関して無罪であったという判決を下しましたが、すでに後の祭りでした。こうして、「デロリアン DMC-12」の時間は止まってしまったのです。

ドク・ブラウンが登場したのは、この後のことです。

脚本家であるボブ・ゲイル氏へのインタビュー

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Back to the Future (1/10) Movie CLIP - The DeLorean (1985) HD
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映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』の脚本家であるボブ・ゲイル氏は、1985年に「ポピュラーメカニクス」のインタビューのなかで製作陣がデロリアンを選んだ理由について、こう語っています。

「このクルマが未来的な宇宙船のようでありながら、ブラウン博士が自宅の作業場で改造できてもおかしくないようなタイムマシンにも見えたからなのです」、と語っています。

これは映画だからこそ実現した夢の取り合わせだったのです。ゲイル氏は後に「ロサンゼルス・タイムズ」紙の中で、デロリアン氏から同映画のプロデューサーに「私の夢を生き続けさせてくれてありがとう」というメッセージが届いたことを明かしています。

その後の話は、皆さんご存知の通りです。「DMC-12」は『バック・トゥ・ザ・フューチャー』シリーズ三部作すべてに登場しました。一時は忘れ去られる運命にあったこのクルマですが、この映画の象徴となり、多くのカルト的ファンを生み出したのです。

そして映画の公開から30年以上が経った今、「デロリアン DMC-12」は改めて時を越えようとしているのかもしれません。

「DMC-12」再起動

デロリアン DMC-12 DeLorean
DELOREAN MOTOR COMPANY

1981年、デロリアン氏が工場を立ち上げた際、DMCは3万台の自動車を生産できるだけの部品を保有していましたが、このうち同社が倒産する前に使用されていたのは、わずか3分の1に過ぎませんでした。1983年、残された部品はオハイオ州コロンバスの倉庫に運ばれることになりました。

それから10年以上、これらの部品には世界中のデロリアンオーナーから散発的に注文が入ってきました。こういった部品の買い手の一人がスティーブン・ウィン氏で、彼はカリフォルニア州にデロリアンの修理に特化したショップを開いていました。

ウィン氏のショップは大盛況だったため、彼はテキサス州ヒューストンの近くに2件目をオープンし、これを「デロリアン・モーター・カンパニー・オブ・テキサス」と名付けました。

ますます増加する修理への需要を満たすため、ウィン氏は残りの部品在庫を買い取ることにし、また、部品の独占販売権を得ました。このことは、もともとのDMCの復活とは無関係でしたが、ウィン氏は、はるか以前になくなった「デロリアン」の名前を冠する企業を、2005年にデロリアン氏が亡くなる前に再び蘇らせたのです。

「誰にもデロリアンの思い出があります」と、DMCのバイスプレジデントを務めるジェームズ・エスペイ氏は語ります。

「たとえばガソリンスタンドにいると、誰かがやってきて『やあ、デロリアンじゃないですか。知り合いがもっているんです』というように話しかけられることがよくあります。誰もが乗りたがって、写真を撮りたがるんです」(エスペイ氏)

2007年、テキサス州ハンブルに本拠地を置くウィン氏のDMCは、デロリアンという名称の使用権を全面的に獲得し、過去の部品を使った「DMC-12」の再生産を開始しました。同社の年間生産台数は20台ほどと小規模であったこともあり、需要にはまったく追いつかなかったといいます。

それから4年後、同社は「DMC-12」の電気自動車版コンセプト「DMCEV」を発表。2013年までにリリースする予定を明かしました。しかし、オリジナルのデロリアンと同じように、「EV版デロリアン」のプロジェクトは暗礁に乗り上げ、技術面でのパートナー企業を見つけることができず、現時点では実現していません。

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現在のデロリアン・モーター・カンパニー。

写真:現在のデロリアン・モーター・カンパニー。
DELOREAN MOTOR COMPANY

「当時の私たちは、内燃エンジン版のデロリアンを続けることに決定したんです」と、エスペイ氏は「ポピュラーメカニクス」に語っています。しかし彼らは、数年以内にEVの夢を改めて追求する可能性はあると言います。

2015年12月、高速道路建設に関する規制緩和の一環「低ボリューム自動車メーカー法」が成立すると、DMCは再び方向転換しました。この法律は、少なくとも25年以上前にオリジナルが生産された自動車について、小規模な自動車メーカーが大手メーカーと同じ安全規定を満たさずとも、年間325台までのレプリカ車を生産できるというものでした。

この法律を受けてDMCは、1981年から残っている大量の在庫部品と再生産した部品・最新の部品やエンジンなどを使って、「レプリカ版デロリアン」の生産に乗り出すことを発表しました。また同時に、予約注文も開始されました。

しかし、デロリアンの呪縛はこの小さな自動車ベンチャーにさえ、まとわりついているようです。このレプリカ版は、現在も米規制当局の監督下という条件になっています。しかし、規制は緩和されたのではなかったのでしょうか。

エスペイ氏によれば、これは米国家道路交通安全局(NHTSA)の幹部人事が決定していないことが原因だといいます(本稿執筆の時点で、トランプ政権はまだ誰も指名していません)。このため、この法案が成立してから2年が経つ現在においても、このプログラムのためのルールが施行されていないというわけです。

「(今の状況で)誰かが生産に乗り出すとは思えません。生産する自動車が、法的に販売できるものかどうかまだわかりませんから…」(エスペイ氏)

現在までのところ、この法律の施行日は未だ決定していません。

デロリアンの未来

デロリアン DMC-12 DeLorean
PAUL DELOREAN

DMCが地上でその定めを待ついっぽうで、デロリアン氏のヘリテージ(遺産)からは、道路を必要としない乗り物の開発を目指す別の企業も生まれました。デロリアン氏の甥であり、デロリアン・エアロスペースのポール・デロリアン氏です。彼は、「空のF1レースカー」とも言える乗り物を開発しています。

ポール・デロリアン氏「空飛ぶクルマとはまったく違います」

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Back to the Future Part 2 (1/12) Movie CLIP - We Don't Need Roads (1989) HD
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キャッチーなスローガンではありますが、ポール氏は開発中の乗り物について「空飛ぶクルマとはまったく違います」と説明しています。この乗り物「DR-7VTOL」は、2人乗りの完全な電気飛行機で垂直離着陸(VTOL)機能を有し、一般消費者向けにのみの販売を目指すとのこと。

これは「Uber Elevate」(ウーバーが計画中の空飛ぶタクシーサービス)のようなものとは、まったく異なるコンセプトです。

ポール氏によれば、この飛行機は通勤を意識して設計したものだと言います。しかし、すでに同社には軍事や警察・消防・救急などの方面から関心が集まっているそうです。また、この未来的な飛行機は、将来的に完全な自動操縦になる可能性もあるのです。

「自動操縦機能は素晴らしいものになるでしょう。この飛行機を10〜20台屋根の上かどこかに置いておき、いつでも迎えに来てもらえるようになるんです」(ポール氏)

ポール氏は、このプロジェクトが茨の道になるとは考えていますが、叔父のデロリアン氏と同じように、彼も人間の交通手段に革命を起こしたいと考えているのです。

ポール氏の父は、オリジナルの『フォード・マスタング』の開発に携わっていたこともあり、ポール氏は子供の頃から父の仕事場で多くの時間を過ごし、大人になってからはGMで働き始めました。彼は同社で「キャデラック」や「サーブ」の設計に携わった後、2011年には玩具メーカーのマテルに転職。マテルでは自動車玩具「ホットウィール」のデザイナーを務めました。

ポール氏は自由な時間があると、通勤者や冒険家、救急サービス、飛行機愛好家などのための個人用飛行機のコンセプトを思い描き、膨らませていきました。

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ミッシー・カミングス氏はこういった乗り物に関する研究論文

デロリアン DMC-12 DeLorean
DELOREAN MOTOR COMPANY

「もともとこれは、ガソリン動力になる予定でした。スチームパンク風の見た目で、たくさんのパーツからなるものでした」(ポール氏)

2012年に彼は自らの夢の乗り物を開発するため、デロリアン・エアロスペースを立ち上げました。彼は名高い叔父の名前を使うことで、注目を集めることを狙っていたのです。正直な話、彼は「デロリアン」の名前の力を頼ったというわけです。

「これまでのところ、『デロリアン』という名前は足かせになるどころか、大いに助けられています」(ポール氏)

ポール氏は微調整したオリジナルの飛行機の設計で特許を申請し、2015年6月にこれを取得しました。そして今年8月には、2台のオペレーション・スケールモデルを開発したことを発表したところです。ポール氏は完全なプロトタイプ版について、2018年中にテスト飛行の準備ができると見込んでいます。

小型電気飛行機の開発を行っている企業は他にも複数ありますが、ポール氏は自社の飛行機が航続可能距離の面で際立っていると主張します。1回の充電当たりの航続可能距離は、他企業では最長約80kmほどであるのに対し、「DR-7VTOL」は193km以上の飛行が可能になる見込みだといいます。

「設計において考えたのは、クールであることではなく、航続可能距離をできるだけ伸ばせるよう抗力係数を最小にすることです」と、ポール氏は語っています。同社は、この空飛ぶデロリアンについて、30万ドル以内の価格で5年以内に市場に投入することを目指しています。

デロリアン・エアロスペースの計画は、非現実的に思えるかもしれません。

しかし、航空宇宙エンジニアでパイロット、デューク大学の教授でもあるミッシー・カミングス氏はこういった乗り物に関する研究論文のなかで、5年という目標が現実的なものであることを指摘しています。とはいえ大きな問題は、こういった飛行機を誰が買うかということでしょう。

「米国におけるゼネラル・アビエーションの市場は消えつつあります」と語るカミングス氏は、その原因について「パイロット資格の取得や飛行機のメンテナンス、燃料、保管場所のコスト上昇」を挙げています。

「あのような飛行機を欲しがる人々を十分見つけることができるとは思えません」(カミングス氏)

デロリアン「DMC-12」を振り返る

デロリアン DMC-12 DeLorean
DELOREAN MOTOR COMPANY

カミングス氏は、基本的に完全な電気飛行機のアイディアには賛成ですが、「バッテリーの発火を確実に防ぐためには、さらなるデータやテストが必要だ」と考えています。空中で飛行機が燃え上がるような事態は、誰もが絶対に避けたいでしょうから。

そして成功の確率は、あらゆる点で高くはないということを歴史も示しています。

過去数十年にわたって、多くの野心的な交通ベンチャーが「個人向けの『空飛ぶ自動車』な数年後にはできる」と豪語してきました。しかし空は、現在も商用飛行機や娯楽用ドローン、そして鳥たちという少数の売り手に支配される寡占(かせん)市場になっています。

現在のところ、「DMC-12」の時間は止まったままです。

デロリアン氏の遺志を継ぐ2つの会社のうち、1社はこの自動車の象徴的な過去を追体験しようとしており、もう1社はその名前を未来に向けて羽ばたくために使おうとしています。

ドク・ブラウンは「未来は自分で切り開くものなんだよ」と言いましたが、ジョン・Z・デロリアン氏の遺産から学ぶものがあるとすれば、未来は少なくともある程度は洗練されているということでしょう。

今回、読者の皆さまのために今すぐデロリアン「DMC-12」を購入したくなる、サービスショットをお見せいたします。

この1台を入手したときから、あなたのライフスタイルは変わることでしょう。過去を変えることは困難ですが、皆さんの未来はきっと変わるはずです!

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Source / Popular Mechanics
Translation / Wataru Nakamura
※この翻訳は抄訳です。

バック・トゥ・ザ・フューチャー

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