アメリカやフランス、香港、台湾など世界各国を旅していると、ここ10年で海外においても日本酒の人気は確実に高まっていると感じます。海外の日本料理店に日本酒がずらりと並んでいるのは、もはや普通の光景に。高級ホテルのバーやご当地のレストランでも、いわゆるプレミアム価格帯の日本酒を何種類も置いてあることも珍しいことではありません。

また、「大吟醸が一番」「純米酒が好き」と、好みによって種類を選ぶなど、海外の方の知識も興味も深まってきているのも感じます。

アメリカのアルコール市場で日本酒のシェアは何%?

実際、この10年で日本酒の海外輸出量は急上昇。全国1700の蔵元が所属する日本酒造組合中央会の発表によると、輸出額は13年連続で前年を上回り、2022年度の日本酒輸出総額は472.92億円。この金額は2016年度の輸出総額のなんと、2.5倍強にもなるのです。そのなかでも、輸出数量第一位を誇るのがアメリカです。

さて皆さん、突然ですがここで問題です。このアメリカのアルコール市場で、日本酒のシェアはいったい何%だと思いますか?

答えは…たったの0.2%。これだけ日本酒ブームが来ていると言われている中でも、1%にも見たないのが現状です。この数字は、日本酒という存在は知られていても、まだまだ“生活の中に浸透したアルコール”と言うには程遠いということを表しているのではないでしょうか。

ニューヨークの酒蔵で醸される「dassai blue」、1本34ドル。
ニューヨーク州の酒蔵で醸される「DASSAI BLUE」、1本34ドル。

この“0.2%への挑戦”に挑んだのが、プレミアム日本酒「獺祭(だっさい)」で知られている旭酒造です。「世界中の人々の日常にSAKE文化を根づかせたい」という願いとともに、2023年9月23日にアメリカ・ニューヨーク州ハイドパークに酒蔵を開業し「NY生まれ、NY育ち」のSAKEの醸造し始めたのです。

ですが、ここでなぜアルコール市場での日本酒のシェアを増やすために、わざわざ酒蔵をつくる必要があるのか…という疑問が湧きます。

そもそも旭酒造は、非常に輸出の割合が多い蔵元です。2022年を例に取ってみると、実に売上の43%を輸出が占めています。しかも、アメリカへの日本酒輸出総量の15%がなんと「獺祭」。そこからも、アメリカでの「獺祭」人気が非常に高いことがうかがえるでしょう。このまま輸出を順調に伸ばしていけば、0.2%という数字は少しずつ拡大していくようにも思えます。

旭酒造会長 桜井博志氏。旭酒造社長 桜井一宏氏。
Tom Zuback
写真左から、旭酒造会長・桜井博志(さくらい ひろし)氏、旭酒造社長・桜井一宏(さくらい かずひろ)氏。

そんな疑問を桜井博志会長に投げかけてみると、「輸出が右肩上がりなのに、85億円もかけて酒蔵をニューヨークにつくるなんて、企業経営からしたらアホかもしれないねぇ」とにっこり笑顔。

「85億円!?」と、思った以上の金額に驚き聞き返すと、「もともと30億円ほどの予定だったのですが、アメリカならではの建築の独特の進め方もあり、気がついたら85億円になっていました」とのこと。

例えば酒蔵が建つハイドパークは、非常に建築規制が厳しいエリアです。空気も水もきれいな場所なのですが、これは町が厳しく管理しているからこそ。それらを守るために、排水施設だけでも非常に厳しいルールがあり、それをクリアするための設備投資に10億円かかったということ。それ以外にも、分業制からなる作業フローによってコストがかさみ、どんどんどんどん建築費が膨らんでいったそうです。

戦うなら、最高品質の酒を武器に大きなマーケットで果敢に攻める

旭酒造が米国に! ny生まれny育ちの『dassai blue』02への挑戦
元スーパーマーケットを醸造所に。木材をうまく組み合わせ伝統とモダンさが織りなすデザインに。設計は建築家の光井 純(みつい じゅん)氏。

けれど、これだけ莫大な金額をかけてもニューヨークに自社の酒蔵をつくるという意志を貫いたのは、桜井氏が旭酒造を引き継いだ1976年の原体験にまでさかのぼる理由がありました。

「私が会社を継いだ1976年当時、売上は徐々に下がっている状態でした。主力商品は低価格の日常酒。挽回するべく地元で『売ってくれ』と必死にお願いしても、山口の山奥にある負け組の蔵元の言うことなんか取り合ってもらえない…。このままでは生きていけないと、どこもやっていなかった米にこだわった純米大吟醸をつくり、東京という大きな市場で勝負に出ました。そしたら、これ(獺祭)が売れたんですね。このとき、小さな市場でシェア競争して勝てなくても、大きなマーケットでなら自分が信じた既成概念を壊す攻め方で勝てる。そう確信しました」

“戦うなら、最高品質の酒を武器に大きなマーケットで果敢に攻める”。どんな窮地もその姿勢を貫き、「四季醸造(日本酒を通年醸すこと)」、味の追求の結果生まれた「二割三分までの磨き」など、いままでの日本酒業界では考えられない改革でどんどん売り上げを伸ばしていきます。事業継承してから数年後には、気がつけば東京の日本酒販売額600億円のうちの1%を「獺祭」が占めるまでになっていました。

そして、その眼差しはより大きなマーケット世界で勝負することに向けられます。「思えばその頃から、“海外に酒蔵をつくりたい”という思いが漠然と生まれましたね」と桜井さんは振り返ります。

旭酒造が米国に酒蔵を開業
2023年9月23日に行われたオープニングパーティには、日米から酒販メーカー、メディアなどが集まった。

2003年ごろからは海外への輸出を伸ばし、海外市場参入は順調にすすみます。ですが、酒蔵をつくるという青写真は現実味がないまま月日が流れていくことに…。

そんな中、2016年にきっかけは突然やってきます。ニューヨークにある世界最大の料理大学CIA(The Culinary Institute of America)から、「日本酒のプログラムをつくりたいので近くに酒蔵をつくってくれる蔵元を探している」と連絡があったのです。

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CIAと組むことで、世界中から集まる料理人の卵たちに日本酒の文化や伝統を正しく伝えることができる。これ以上のパートナーはいないかもしれない…と今までぼんやりしていたヴィジョンが急にピントが合ったように鮮やかになります。

巨大なアメリカ市場へ“攻める”ビジネスとしての可能性に加え、海外市場に参入すればするほど感じていた「日本酒を文化として世界に広めるためには、日本以外にも蔵元(蔵を持つ製造メーカー)・醸造所をつくる必要がある」という想い。それを現実にするには、「今がチャンス!」と感じた桜井氏。ここでもブレずにずっと抱き続けてきた、「大きなマーケットで大胆に攻める」という信念は貫かれるのでした。

さっそく酒蔵候補地のハイドパークへ飛び、リノベーション予定の建物などを視察。5万5000平方フィート(約5110平方メートル)に及ぶ立地の周辺の環境、そして水質も良いと確認が取れ、この地で新ブランド「DASSAI BLUE」の開業することを決意します。そうして日本の蔵元がこれまでなしえていなかった、「プレミアム日本酒を海外で醸造する」という挑戦が始まったのです。

アメリカでの日本酒事情

旭酒造が米国に酒蔵を開業
2023年9月23日に行われたオープニングパーティの一コマ。在ニューヨーク総領事・大使の森 美樹夫氏、CIAの校長ティモシ―・ライアン博士もかけつけ、樽開き。

さて、ここでアメリカでの日本酒事情に少し触れましょう。

アメリカで醸した酒は、地理的表示(GI=ある商品の品質や評価が、その地理的原産地に由来する場合にその商品の原産地を特定する表示)から「日本酒」と呼ぶことができません。一般的に、「SAKE」と呼ばれています。日本の企業がアメリカの水と精米した現地の米を使ってSAKEを醸すということは、30年以上前から大手酒造メーカーがカリフォルニアを拠点に手掛けてはいました。しかし、造り手の個性が現れる高品質なクラフトSAKEを醸す、いわゆる “酒蔵”のアメリカ進出はありませんでした。

一方で近年増えているのが、日本酒に魅了されたアメリカ人たちが開業したクラフトSAKEのマイクロブルワリー(小規模醸造所)。日本で酒づくりを学んだり、独学したりして醸すクラフトSAKEはさまざまに進化。まさに、MADE IN USAのSAKE多様化のうねりが起きているのです。

そこにアメリカでプレミアム日本酒として人気を博している「獺祭=Dassai」が、本家本元の矜持と技術を携えてニューヨークで本格的な酒蔵を開業。日本と全く違う環境でどんなプレミアムなSAKEを醸していくのか、大きな注目を集めたのは当然のことと言えるでしょう。

ことわざ「青は藍より出でて藍より青し」から名づけられた「DASSAI BLUE」

アーカンソー州の農家isbell farmsの田んぼに実る山田錦。山田錦の安定供給のためのサプライチェーン作りにも取り組む。
アーカンソー州の農場Isbell Farmsの田んぼに実る山田錦。山田錦の安定供給のためのサプライチェーン作りにも取り組む。

「DASSAI BLUE」の醸造所で使われる原料は、ハイドパークの水、そしてもちろん「獺祭」に欠かせない良質な山田錦。初年度の醸しは日本から輸入した山田錦を使っていますが、アーカンソー州で山田錦を育てている農場と契約し、順次アメリカ産と日本産の混合に移行予定ということです。

敷地内には精米専用の建物を新たに建設。醸造方法は仕込みごとに、手づくりの麹(こうじ)と小さなタンクで醸造する「獺祭」の手法をそのまま踏襲。酒を醸すのは岩国で酒づくりに携わってきたベテラン3人と、現地採用の6人の計9人という布陣でスタートしました。

新しく敷地内に建てられた、米を磨く精米所。
新しく敷地内に建てられた、米を磨く精米所。

「この地で最高品質の酒を醸す」ため、ほぼ岩国とそっくりそのまま同じ設備を導入し醸造所をつくったと話す桜井さん。「考え方や設備は今までと同じなんです。しかし、環境が違うとこうも違うのかと思うほど、全然納得のゆく酒ができませんでしたね」。

麹づくりも手作業で
麹づくりも手作業で。アメリカゆえ最初は手袋をはめて麹づくりを始めたそうだが、手の感覚が鈍るため、日本と同様素手で仕込む。

2023年5月に醸造許可が降りてから、すぐに酒づくりを開始。けれど最初に絞った1号タンクから始まり、2号、3号と絞り続けるも、この酒を「獺祭」の純米大吟醸と名乗るのは許せない…という味にしか仕上がらなかったそうです。

「岩国では、条件がビシッと決まっているところでつくっていますが、やはり水も湿度も気候も違いますからね。うまくいかなければ、なにがダメなのか原因を探って一つずつ潰していく。トライ&エラーの連続でした」と桜井氏。

気がつけば、7号タンクまで全部NGとなってしまったそう。祈るように8号タンクの酒を飲んだときに、ようやく及第点を出すことができ、少しだけ安心したとのこと。

発酵の様子を確認する桜井氏
発酵の様子を確認する桜井氏

ここまで難しい酒づくりとなったもう一つの理由が、アメリカで実現すべく掲げた味づくりへの挑戦でした。

「世界的な醸造酒のアルコール度数は、ワインに代表されるように12度前後です。一方で『獺祭』は16度。12度を飲みなれている人には、高すぎる。食中も楽しんでもらえるようにするには、美味しくて低いアルコール度数にする必要性を感じていました。そこで14度を目指して醸したんですね。もちろん加水は一切していません。醸造のすべての過程を微調整しながら完成させました」

旭酒造が米国に酒蔵を開業
古いことわざ「青は藍より出でて藍より青し」から名づけられた「DASSAI BLUE」。

お披露目会で飲んだ「DASSAI BLUE」は、「獺祭」らしい華やかな香りがあり、ふくよかな旨味を感じながらも、きれいですっと身体に染みわたるような味わい。ワイングラスがこれほど似合うエレガントなSAKEがあったでしょうか?

まさにニューヨークという地で醸し、アメリカの流通を視野に入れたからこそ誕生した新しいタイプのSAKEと言えるでしょう。

「ニューヨークでの酒づくりは、『獺祭』と全く同じもの、または『獺祭』のまがい物をつくるということではありません。あくまでこの環境で、一番おいしいものをつくることが大切なんです。『DASSAI BLUE』は『青は藍より出でて藍より青し』ということわざから名付けました。“弟子が師より優れる”という意味ですが、日本の『獺祭』にとって『DASSAI BLUE』がライバルになる。お互い切磋琢磨しながら、お互い品質を上げていける存在にしていきたいですね」

「DASSAI BLUE」の挑戦はまだまだ始まったばかり。けれどこの挑戦は、世界中の人々にSAKEが愛され、日常的にSAKEが食卓にのぼる光景へと一歩近づく、記念すべき第一歩となるに違いありません。