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アルフレッド・ヒッチコックが世に送り出した名女優たち
Good evening(グッド・イブニング)、アルフレッド・ヒッチコックのお話をしましょう。半世紀をかけてこの伝説の名監督は美しき女優たちとともに、人の意表をつくようなストーリー展開とハッとするような危険に満ちたスクリーンで観客たちを魅了してきました。そしてその才能に対する称賛は、現在もなお絶えることはありません…。
1899年8月13日、ロンドンはイーストロンドンの一角レイトンストーンに生まれたヒッチコック。イギリスでは少数派であるアイルランドのカトリック教徒の一家で育った彼の幼年期は常に孤独であったと語っています。
ヒッチコックが14歳の時に父親が死去。学校を卒業した後はW.T.ヘンリー電信会社の技術部門で働きながらロンドン大学の美術学科で絵の勉強をし、のちに同社の広告宣伝部に異動します。その後ヒッチコックはアメリカの映画会社フェイマス・プレイヤーズ・ラスキーのロンドン支社に映画のタイトル用イラストを売り込み、採用されることに…。
1920年にはサイレント映画のタイトルデザインを担当したのち、脚本・助監督などもこなすようになります。やがて1925年に、彼の処女作となる映画『快楽の園』で監督を務めるチャンスを射止めることに。こうして彼の監督としての第一歩を踏み出し、以降、彼は毎年のようにメガホンを取り続けます。1970年代後半まで、彼は200本近い映画にかかわってきたのでした。
そうして2019年8月13日(月)、ヒッチコック生誕120周年を迎えたのでした。
ヒッチコックと言えば、何を思い浮かべますか? 「エスクァイア・デジタル」の読者の皆さんにとって彼の作品は、皆さんの親の世代のものかもしれません。ですが、『北北西に進路をとれ』(1959年公開)、『サイコ』(1960年公開)、『鳥』(1963年公開)などの作品は当然ロードショーとして観ないまでも、DVDなどで観たことは1度くらいはあるのではないでしょうか!? このように、ヒッチコックと言えばスリラー映画で大成功し、製作・脚本も映画界の神様的存在。実際に、“サスペンス映画の神様”とも称されています。また、ヒッチコック自身が自分の映画で頻繁にカメオ出演することも有名で、それを期待するファンも少なくなかったのだとか…。実に多くのファンに愛されていたのです。
また、世界中の映画界から尊敬の念を抱かれていたことも忘れてはいけません。
特に、フランスの若い映画監督たちから絶大なる支持を得ていたのです。当時のフランスでは、1950年代末に始まった新たな映画運動である「ヌーベルバーグ」の真只中。それをけん引する監督であるクロード・シャブロルやジャン=リュック・ゴダールらから崇拝されていたのです。中でもフランソワ・トリュフォーの思いはひと際強く、ヒッチコックの作風へ意識した作品として『黒衣の花嫁』を残しています。また、ヒッチコックへロングインタビューを敢行し、『Le Cinéma selon Alfred Hitchcock』という本を出版しています(英語版は『Hitchcock/Truffaut』、日本語版は『映画術 ヒッチコック/トリュフォー』)。
彼がなぜ、これほどまで同業者から愛されていたのでしょう!? それは、彼の作品はその物語性の面白さだけでなく、そのストーリー展開を効果的に映し出す高度な映画技法を駆使して撮影しているからということなのです。しかも、その映像テクニックは技術本位ではなく、あくまで演出上必要であるからこそ使われていて、その的を射た表現方法が絶大な効果を上げていることに感動した後輩たちが、続々とヒッチコックの技法を学ぼうと必死になったようです。スティーヴン・スピルバーグもその一人で、彼もヒッチコックの演出法をリスペクトした演出を行っていたことも映画界では有名な話となっているようです。
そしてもうひとつ、ヒッチコック作品の魅力で忘れてはならないことがあります。それはキャスティング、特に女優の起用に関して。
彼は常に、一流の女優を探し続けていました…。それは新人・ベテランを問わず…ヒッチコックは疲れ知らずに妥協することなく、自分の作品にふさわしい女優は誰か?を突き詰めていたのです。
そうして彼自身の作品に出演させることで、その女優のさらなる魅力を引き出していったのです。例えば『レベッカ』(1940年公開)で起用したジョーン・フォンテーヌは、ヒッチコックの望んだ「抑制された演技」と「静かで恥ずかしがり屋」を見事に表現。この年のアカデミー主演女優賞にノミネートされ、翌1941年には同じくヒッチコック監督作品の『断崖』でアカデミー主演女優賞を受賞しているのです。さらに『ダイヤルMを廻せ!』(1954年公開)、『裏窓』(1954年公開)、『泥棒成金』(1955年公開)では、あのグレース・ケリーを起用し、ヒッチコックは「間接的なセックスアピール」の奥深さを表現したのです。
特に、ブロンドの美女が登場することに気づくかもしれません。それにはヒッチコック特有のロジックあり、彼自身「ブロンドは最高の犠牲者になる」、「彼女たちは、血に染まった足跡を鮮やかに見せる新雪のようなものだ」と語っています。この言葉を現代で言っていたら、大問題になっていたかもしれませんね…。
そんなこともすべて含め、ヒッチコックは映画界に大きな爪痕を残した代表的な人物なわけです。それではヒッチコックの生誕120周年を記念して、彼が見出し華開いた女優たちをご確認ください。ちなみにヒッチコックは、大物監督には珍しく、生涯で一度も離婚歴がありません。1926年に、アシスタント・ディレクターであったアルマ・レヴィルと結婚し、自身の最期まで共に過ごしたのでした。このことに関しては、後継する映画監督はあまりいないようです…。