雑誌『Esquire(エスクァイア)』が創刊したのは1933年。創刊の地はイリノイ州シカゴでした(『Esquire』は後にニューヨークへ移転)。そのシカゴの街に本拠を構える航空会社が、ユナイテッド航空です。連載1回目は、このアメリカ最大級の航空会社について。前編となる今回は、その歴史と本拠地シカゴの魅力を紹介します。


反トラスト法が遠因となって誕生

ユナイテッド航空は1931年に設立されましたが、その黎明期は航空業界大手のボーイング社と密接な関係にありました。ボーイング社が行った複数の合併や買収を経て、1929年に創業した「ユナイテッド・エアクラフト&トランスポート社(UATC)」がユナイテッド航空の母体に当たります。

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United Airlines
「ユナイテッド・エアー・トランスポート」時代の機体とCAたち。当時は看護婦の資格を持ち、「フライトナース」と呼ばれていました。

旅客や貨物などの多岐にわたる航空事業と、機体やエンジン製造業を擁するUATCは大きく躍進を遂げます。ところが当時のアメリカ合衆国ルーズベルト大統領政権は、「航空機製造や航空事業を併せ持つ大企業は反競争的である」と結論づけ、1934年に「機体や航空機エンジンの製造業者が航空会社に関心を持つことを禁止する」という反トラスト法が可決されます。

そのあおりを受けて、航空機製造を行っていたボーイング社の傘下にあったUATCは3つの会社に分割されることに。そして、1931年にUATC傘下で設立されていたユナイテッド航空が中核となる航空サービスを担うことになるのです。

そんなユナイテッド航空に1933年に導入されたのが、ボーイング247型機です。東海岸のニュージャージー州ニューアークと西海岸のサンフランシスコ間に就航し、乗り継ぎなしでのアメリカ大陸横断が可能となった。給油や気圧の関係で途中8都市を経由する19時間半のフライトでしたが、これはアメリカ航空業界にとっての大きな躍進を意味していました。料金は片道160ドル。当時としてはかなり高額ですが、このフライトによって航空機の利用は大きく拡大へと向かうのです。

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Museum of Flight Foundation//Getty Images
東海岸のニューアークと西海岸のサンフランシスコを結ぶ大陸横断便に就航したボーイング247。

第二次世界大戦後、ユナイテッド航空は主力事業を旅客サービスに大きくシフトさせることで、1950年代の10年間で旅客収入をおよそ4倍に増やしています。その間には戦争中に開発された、空調を可能にした与圧キャビンをダグラス・エアクラフト社製の飛行機「ダグラスDC-6」に導入し、アメリカ大陸横断便で必要だった停機回数を1回に減らすことに成功した。1955年には同じダグラス・エアクラフト社に30機の「DC-8」を発注し、アメリカ初のジェット旅客機を擁するエアラインとなるのです。

 
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与圧キャビンが導入されたダグラスDC-6。
 
MUSEUM OF FLIGHT FOUNDATION//Getty Images
ダグラスDC-6の機内。
 
David McNew//Getty Images
アメリカ初のジェット旅客機となったダグラスDC-8。

拡大するネットワーク

1970年にボーイング747をいち早く導入し、サンフランシスコ-ホノルル線に就航させます。その後はロサンゼルス、ニューヨーク、シカゴ、ワシントンDC、アトランタなどのアメリカ国内主要空港に展開させ、その後の10年間、ユナイテッド航空の国際線ネットワークはボーイング747によって強化されていきました。

1983年4月、シアトル-成田便で日本初就航を果たし、1985年には経営がひっ迫していた「パンナム」ことパンアメリカン航空から太平洋路線を全て買収。1986年2月より、そのアジア太平洋13都市への就航も果たします。さらにタイやベトナム、香港やグアムにもボーイング747を導入しネットワークを拡大させていく。1991年には、衰退の続くパンアメリカン航空からロンドン・ヒースロー路線を買収し、中南米やカリブ海の路線も引き受けるのです。

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United Airlines
ユナイテッド航空の国際線を大きく飛躍させたボーイング747。この塗装は2代目、尾翼のロゴは「チューリップ」と呼ばれる塗装でUnitedの「U」とチューリップを表現しています。1974年から1993年まで使用されました。
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United Airlines
1993 年から2004年にかけて使用された「バトルシップ」と呼ばれる3代目の塗装。グレーにネイビーが絶妙なこのカラーリングは名前のとおり「軍艦」を表現しています。

2001年のアメリカ同時多発テロ事件という悲劇の後、アメリカの航空業界は何年も苦境に立たされることになります。ユナイテッド航空は2002年12月に連邦破産法第11条の適用を申請し、その後再建計画の認可を受けて2006年に破産から脱却。2010年には、長年検討が続けられてきたコンチネンタル航空との対等合併を果たしました。

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United Airlines
現在の主力旅客機であるボーイング777。

多くのエアラインは2020年から続いたコロナのパンデミックによって、大きな転換点を迎えようとしています。その中でユナイテッド航空は、パンデミックの中でも航空機を退役させなかった大手エアラインとして、その対処能力を大きくアピールしました。そして現在、次世代超音速旅客機を自社航空機に迎え入れる準備が着々と進められています。

本拠地は全米第3の都市・シカゴ

 
Hidehiko Kuwata

ミシガン湖の南西岸に位置するシカゴは、アメリカ中西部を代表する大都市です。古くから国際貿易と商業の中心地として繁栄し、さまざまな国籍や背景を持つ人々がアメリカンドリームを追い求めるグローバルな文化都市として発展しました。その経済規模は、ニューヨーク、ロサンゼルスに継ぐ全米第3位とされています。

1871年にはシカゴ大火が起こり、建物や道路などの都市インフラの多くが焼失してしまいました。しかし、再建はすぐに進み、瓦礫(がれき)の多くはミシガン湖に埋められ、その埋立地には現在のグランドパーク、ミレニアムパーク、シカゴ美術館の下地が建設されました。このグランドパークは、かの有名な「ヒストリック・ルート66」のスタート地点となっています。

 
NurPhoto//Getty Images
シカゴと言えば、高架鉄道CTA、通称「シカゴL(Chicago L)」も有名です。8路線ある内の2つは24時間操業。その一つのブルーラインはオヘア国際空港と都市部を結びます。

ユナイテッド航空最大のハブ空港「シカゴ・オヘア国際空港」

 
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そんなシカゴの主要空港こそ北米大陸のほぼ中央部に位置し、ユナイテッド航空最大のハブ空港である「シカゴ・オヘア国際空港」です。その地乗りの良さを活かし、北米のみならず全世界の航空交通網の拠点として機能する世界有数のメガ空港です。アメリカにおいてはジョージア州のアトランタ、テキサス州のダラス/フォートワースなどと並んで、全米で最も忙しい空港の一つとなっています。

シカゴの中心から北西約25kmに位置し、タクシーやシャトルサービスに加えて、ターミナル2の地下駅から出発する鉄道が、空港とダウンタウンを約40分で結んでいます。空港は24時間稼働で4つのターミナルを擁し、ATSトラムと無料シャトルバスが各ターミナルをつなぎます。ユナイテッド航空はターミナル1と2で運行され、到着便の一部はターミナル5に到着します。ターミナル1のコンコースCには、ユナイテッド航空のビジネスクラス利用者のためのラウンジとして名高い「ポラリスラウンジ」があります(後編でこのラウンジを紹介します)。

芸術と建築の街・シカゴ

シカゴ観光の拠点となるのが、ビーンと呼ばれる巨大なオブジェが印象的なミレニアムパークです。ここから公園散策や、美術館・博物館めぐりを満喫できます。シカゴは街自体が巨大な博物館のようでもあり、美術館や博物館の所蔵品の素晴らしさは世界でもトップクラスと言えるでしょう。アメリカ3大美術館の一つに数えられる「シカゴ美術館」には19世紀印象派や近代美術などの巨匠たちが残した、世界的な作品が館内を飾ります。同時に、シカゴ科学博物館やフィールド博物館などのユニークな展示物も必見です。

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NurPhoto//Getty Images
シカゴにあるミレニアムパーク。中央に設置されているのが、通称「ビーン」と呼ばれる巨大オブジェ。
nighthawks by edward hopper
Fine Art//Getty Images
様々な広告やパッケージにも使用されたエドワード・ホッパーの『ナイトホークス』。シカゴ美術館が所蔵する名作として知られています。

シカゴは、「建築の街」としても知られています。建築家のフランク・ロイド・ライトとミース・ファン・デル・ローエはこの街をベースに活躍し、「摩天楼が生まれた街」と呼ばれるシカゴの近代建築に貢献しました。1871年のシカゴ大火を経て、その後定められた耐火対策などを盛り込んだ建築基準が建築デザインの先鋭化につながり、土地の利用効率をあげる建物の高層化を含めてシカゴ建築のスタイルが確立されてたと考えられています。ダウンタウンに建ち並ぶ重厚な建築物の眺めも、シカゴの大きな魅力の一つと言えるでしょう。

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RAYMOND BOYD//Getty Images
フランク・ロイド・ライトが手がけたロビー邸は、アメリカ合衆国国定歴史建造物に指定されています。
 
CHICAGO HISTORY MUSEUM//Getty Images
ユニティテンプルも国定歴史建造物に指定されており、ライトが手掛けた中では現存する唯一の公共建築物です。
 
Michael L Abramson//Getty Images
シカゴ商品取引所が入っている「シカゴ・ボード・オブ・トレード・ビルディング」。1930年に完成したアール・デコ様式の超高層ビル。

ケヴィン・コスナーやロバート・デ・ニーロ、ショーン・コネリーらが出演した映画『アンタッチャブル』をはじめ、シカゴを舞台にした多くの映画に登場するのが「シカゴ・ボード・オブ・トレード・ビルディング」です。45階建てのアール・デコ様式で、まさにシカゴ摩天楼の代表格。完成した1930年から35年間はシカゴ一の高さを誇り、街の金融界の顔として君臨しました。

尖塔にはローマ神話に登場する農作物・穀物の女神ケレースが、右手に小麦、左手にトウモロコシの袋を持って立っています。そして建物下部の時計には、先住民がトウモロコシと小麦を物々交換している様子が彫られているのです。周辺には高層ビルの原型と称されることもある「ルッカリー・ビルディング」もあり、シカゴの街全体を巨大な建築博物館と捉えて散策するのもおすすめです。


Vol.1_ ユナイテッド航空[後編]では、ユナイテッド航空の機体や、評判のラウンジについてお届けします。