初代「ホンダ・シビック」は石油危機を笑い飛ばしていた!
石油危機のキッカケとなった、第四次中東戦争の勃発(1973年10月6日)以前のこと。1969年にイタリア人たちは、「アウトビアンキ112(Autobianchi A112)」と呼ばれるコンパクトなハッチバック車を発売し、市場の動向を探りました。
そして、その反応の良さを受け、1971年にフィアット社は「127」を発売、結果は大成功となったのでした…。そんなヨーロッパのトレンドを踏まえてでしょうか? 1972年9月にホンダは、日本人に最もふさわしい回答を用意していたのです。
※本記事は、米国人気モータースポーツ誌『Road & Track』の記者マット・ミートレニー氏の寄稿になります。
初代のホンダ「シビック」は、「N360」という軽自動車の成功の上につくられたものでした。「N360」はより強力な「N600」とともに外国にも輸出されていました。1970年代に入ると、この「N360」よりもやや大型の「シビック」がまず欧州で1972年に発売されます。
そして「シビック」が大西洋をはさんだ反対側で発売されたのは、その1年後。1973年のことでしたが、米国で投入されたのは2ドアのハッチバックだけで、4ドア・セダンは出されませんでした。
第1次石油危機の到来は、奇しくも「シビック」を投入したホンダに幸運をもたらしたのでした。
そして、「フロントサスペンションのコイルスプリングを保持するスプリングロアーシートの形状が不適切なため、当該スプリングとロアーシートの間に入った砂等によりスプリングの塗装が剥れて錆が発生する」という内容でのリコールなど、いくつかの問題はおこしながらも、「シビック」は発売と同時に大ヒット商品となり、ホンダはらくらくと第10世代まで販売できることができたのでした…。