マツダ肝入りの「エンジン」史
18世紀半ばから19世紀にかけて起こった産業革命、そのなかで蒸気機関を応用した形で、初の蒸気機関で動く蒸気自動車は1769年に登場しました。そして約1世紀の月日を経て、1870年には初のガソリン自動車が発明されたのでした…。そしてさらに1876年に、ニコラウス・オットーによってガソリンで動作するは内燃機関(ガソリンエンジン)が完成。するとすぐさま、ゴットリープ・ダイムラーがこれを改良したものに二輪車や馬車に取り付けて走行試験をすることに。こうして自動車産業の変革が始まったのです…。
※本記事は、米国人記者ブレイク・ロング氏による取材を元にした記事です。
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…つまり、クルマの歴史は「内燃機関(燃料をシリンダー内で燃焼させ、燃焼ガスを直接作動流体として用いり、その熱エネルギーによって仕事をする原動機)」の登場によって開始されたといっていいでしょう。そうして人類が自動車をつくり始めて、すでに1世紀以上の時間が流れました。
いまでは、ほぼすべてのクルマのボンネットの中には「内燃機関」である「エンジン」が鎮座しています。「エンジン」とはつまり、燃料をシリンダー内で燃焼させ、その熱エネルギーによって仕事を行う原動機になります。具体的に言えば、シリンダー内に燃料であるガソリンと酸素を流し込み、そこで爆発が引き起こされ、その爆発によって推進力を生み出すものになります。そしてこの原理はもう100年もの間、変わらぬまま進化を遂げています。
しかしエンジニアたちは、クルマをより速く、そして少しでも効率的に、さらにはスーパーカーのような圧巻のパワーが引き出せるよう、この「エンジン」を進化させることに日々精進してきたのです。そうして彼らの血と汗が結晶となり、飛躍的な進化をもたらす改良も多々なされてきたのです。
1955年「燃料噴射(ねんりょうふんしゃ)」
写真:イギリス人レーシングドライバー、スターリング・モスが新記録でミッレミリアを優勝したときの模様。
燃料噴射の技術が改良される以前は、燃焼室へのガソリン供給は不安定で厄介な課題でした。当初、それに使用されていたのが「キャブレター」。重力やピストンが下がるときの負圧などのパワーで、霧状にした燃料と空気を適切な割合で混ぜ、そしてアクセル開度に応じた量をエンジンに送り出す装置になります。この「キャブレター」が非常に難儀なもので、クリーニングや修理が頻繁に必要でした。また、天候や気温、標高などの外的環境からも、多分に影響を受けてしまうデリケートな装置だったのです。
これに比べ、「燃料噴射装置(フュエル・インジェクター)」はとてもシンプルでレイアウトの自由度も髙く、なによりエンジンの回転をスムースにサポートするのです。そして、アイドリングを安定させ、クルマはより良く走るようになるわけです。この変革によって、調子が悪くなる度にチョーク(吸気中の燃料の比率を高めることでエンジンの始動、特に冷間時の始動を容易にする装置)で調整をする必要もなくなったのです。
この「燃料噴射装置」は戦時中の飛行機開発により生み出された技術であり、第二次世界大戦終結以前までのドイツ空軍における航空用エンジンに盛んに用いられていました。自動車に応用されるようになったのは1995年。その年にスターリング・モス氏とデニス・ジェンキンソン氏の運転する「メルセデス・ベンツ300SLR」が、イタリアで開催された自動車レース「ミッレミリア」を走り、10時間7分48秒という驚異の記録を打ち立て優勝したのです。
ベンツの乗用車は、世界で初めてボッシュ社により開発された「燃料噴射装置」を備えたものとなり、また世界最速のクルマとなったのでした。その2年後、シボレー社がコルベットに、ローチェスター・ラムジェット燃料噴射システムを装備した「フューリー・モーター」を搭載することに。そして、「ベンツ300SL」の独壇場を崩すことになったのです。しかし、それでもまだ、ボッシュの電気制御システムがヨーロッパにおいて主流であることは変わりませんでした。やがて80年台に入り、「燃料噴射装置」が世界を制圧したのです。
そして世界中で、キャブレター搭載のクルマ、いわゆる「キャブ車」から、「燃料噴射装置」搭載のクルマ、いわゆる「インジェクション車」へと製造販売の主流が移り変わるにつれ、「キャブ車」は廃れていきました。日本では2002年に、生産終了した三菱の「リベロカーゴ」が最後のキャブ車となったとのこと。オートバイに関しては、その後も「キャブレター」は使用されていました。ですが、2006年には「キャブ車」のバイクは排出ガスの規制対象になって、インジェクションへと移行していったそうです。
1962年「ターボチャージャー」
「ターボチャージャー」の発明は、エンジン進化の歴史における金字塔のひとつです。
カタツムリのような形状のタービンが、より多くの酸素をシリンダー内に送り込むシステムになります。第2次世界大戦下で活躍した12気筒の戦闘機にこの技術が用いられ、より高く、より速く、より遠くへの飛行が可能になりました。地上においても、その性能は同じように示されたわけです。
「ターボチャージャー」を搭載した乗用車のデビューは、1962年になります。皆さんの認識としては、「BMW『2002』やSaab『99』といった軽量級のヨーロッパ車では?」とイメージするかもしれません。ですが、最初のターボ車の誕生は、好景気に支えられ新たなテクノロジーへの挑戦を続けていたゼネラルモーターズ(GM)の乗用車のボンネットの中に初めて装備されたのでした。
それが、世界初のターボエンジン搭載量産車であるGM「オールズモビル・ジェットファイアー」です。このクルマは満タンのガソリンに加えて、水とメタノールの混合水である「ターボロケット液(Turbo Rocket Fluid)」を必要とするものでした。
長らく、この技術は正当な評価を受けませんでした。しかし1970年台終盤になると、BMWやSaab、そしてポルシェがこれに着目し、モータースポーツでその性能が活きることを証明したのです。今日ではほとんど、どのクルマにもターボチャージャーが搭載されています。
間に合わせとも言える「ターボチャージャー」を備えた「930ターボ(ポルシェ911ターボの原型)」から、2016年に発表された2.5リットル直噴ガソリンターボエンジンであるダイナミック・プレッシャー・ターボ・システムを備えたファミリー向けのマツダ「CX-9」まで、その歴史は幅広いものになります。
「庭のホースの水圧を上げるために、その先を親指でギュッと押す」理屈に基づいて、圧縮された流れがタービンへとより素早くエグゾーストを生じさせる仕組みになります。それは低回転での反応を高め、誤差を減少させることを可能にしたわけです。
これを制御し、安定した噴射が行えるようになることで、極小型で極軽量なエンジンが大きなパワーを生むことができるようになりました。この進化により、素晴らく効率のいいトルクが生み出されるようになったわけです。この進化を目の当たりに体感したドライバーは、きっとこの上ない快感を得たことでしょう。敵機を打ち落とすために改良が施された戦闘機のシートではありません。その気分は最高だったはずです。
写真:マツダの新型ロータリーエンジン「レネシス」
このエンジンの特性としては、まずその重量の軽さ、形状の明快さ、そして、回転数の高さを挙げることができます。
マツダとそしてドイツの自動車メーカーであるNSUが、まずこの技術との契約を結びました。そして1964年にNSU「スパイダー」が、ヴァンケル氏の技術を用いた世界で初めてのクルマを製造したのです。
しかしながら、このエンジンを量産化した企業はマツダのみでした。マツダのつくったロータリーエンジンを搭載した最初の車が、1967年の「コスモ」になります。同車は、その後マツダの生み出したスポーツカー、セダン、さらにはピックアップ・トラックを含め、2012年まで販売された「RX−8」の祖先でもあるのです。
写真:マツダ・コスモスポーツ110S、1967年のエンジン
2015年の東京モーターショウで発表され、2016年に発売された「RX-Vision」のコンセプトは、「さらなる進化を遂げたロータリーエンジンが、広島の最先端技術工場で開発されているのではないか?」との噂を呼びました。
写真:マツダの新型ロータリーエンジン「レネシス」
◇1981年「気筒休止エンジン」
その発想はシンプルです。低負荷運転時あるいはアイドリング時に、一部または全部のシリンダーを休止させる機能を搭載したレシプロエンジン、いわゆる「気筒休止エンジン」にすれば燃焼の効率化がなされ、走行距離の効率も上がるというもの。
V8エンジンを4気筒に変換するには、どうすれば良いのでしょうか?
もしあなたのクルマが「キャデラック」の1981年式であったとしたら…。それはV8-6-4 エンジンを搭載した型であり、2気筒か4気筒エンジンに似て、電子制御式ソレノイドを備えたものになります。高速運転での安定性に重点のおいたエンジンになるはずです。
しかしながら、それは失敗作として名高く、その後20年に及んで汎用されることはありませんでした。現在ではさまざまな試みの結果、やっと信頼性が高まり、今では小型エンジンの技術として用いられるようになっています。
写真:187馬力と186lb-ftのトルクを誇る、マツダのスカイアクティブGエンジン(2018)
◇2012年「高圧縮比エンジン」
エンジンのシリンダー内で、酸素とガソリンの圧縮を高めることにより、最大のパワーを引き出そうという発想で生み出されたのがこのエンジンです。ピストン内の圧縮率がその特徴となっています。開発者たちはこの圧縮率を高めること、そして、その点火方法を最適化することに対し、苦心することになります。ノッキングによって、エンジンが不具合を起こすことになるからです。
環境問題に関する規制や無鉛ガソリンへの移行により、1970年台の自動車メーカーのV8エンジン開発の取り組みは、非常に困難を極めます。大型のエンジンは、圧縮率の問題という壁に突き当たったのです。しかし電子制御技術の発達と排気量規制への対応の結果、エンジンのパワーはどうにか増加することになります。
2012年、量産型乗用車として14:1(※米国では13:1)という高圧縮比を誇るスカイアクティブGエンジンの生産がはじまりました。
有害な外気ガスを最小限に抑えたうえで、ガソリンの一滴も無駄にせずにエネルギーを生み出すエンジンの誕生です。この次世代を見据えたマツダのイノベーションによって、高圧縮の技術を次世代のレベルへと引き上げることができたのです。スカイアクティブXエンジンは、スパーク/コントロール・コンプレッション・イグニション(SPCCI)を採用し、ディーゼルエンジンのトルクとガソリンエンジンの特性である高回転数を組み合わせた、最小限の燃料でのイグニションを可能にしたわけです。
その誕生から1世紀が経過した今日においても、「エンジン」の進化は、この市場における最大の課題となっています。長い時間を経てもなお、その基礎は変わることはありません。それでもまだ、新たな何かを生み出す自動車メーカーが存在するのです。終わりなき改良への挑戦が、「エンジン」の将来を支えているのです。
現在再び、2012年に生産が終了したマツダのロータリーエンジンが脚光を浴びています。
それは2018年1月にトヨタ自動車が発表した、モビリティサービス専用の次世代電気自動車「e-Palette Concept(イー・パレット・コンセプト)」が航続距離延長を目的とするレンジエクステンダーに、ロータリーエンジンを採用する予定になっているから…。
この装置はいわば発電用エンジンになります。ガソリンを使って発電し、バッテリーを充電することによって、EVの弱点である航続距離を伸ばすわけです。マツダとトヨタは2017年に資本提携し、EVの共同開発を進めてきました。マツダ渾身の「ロータリーエンジン」が誕生してから半世紀を過ぎ、次世代の電動車両の心臓部として復活することになるストーリーは実に感動的ではないでしょうか。
ここで東洋工業(現マツダ)の2代目社長である故・松田恒次氏が、座右の銘としていた言葉が頭に浮かびます…それは「照一隅者是国士」。これは天台宗の開祖である最澄が、『山家学生式』で述べているもの。「いま自分がいる場所や置かれた立場で精一杯努力して、周りを明るく光り輝くことのできる人こそ、何物にも代えがたい国の宝となる」とでも言いましょうか、この言葉はいまもなおマツダに伝承されているに違いありません。