編集部が知りえる範囲なので、正確にはわかりませんが…。日本でもっとも多く、さまざまなフェラーリを街でリアルに乗りこなしている男といえばこの人しかいません。そう、モータージャーナリストでもある清水氏。自ら「大乗フェラーリ教教祖」とも語る氏が、フェラーリの魅力をわかりやすく語ってくれました。
「フェラーリ 328GTS」を、颯爽(?)と試乗する清水氏。
清水草一 × Ferrari
フェラーリというと、「チャラチャラした金持ちが、周囲に見せびらかすために乗るヤな感じのクルマ」というイメージをもっている方は、少なくないだろう。あるいは、あまりにも自分とは無縁すぎて、まったく想像力が働かず、単に「雲の上のクルマ」と捉えている方もいるかもしれない。私は後者のタイプだった。
そう、私はフェラーリに一切何の興味もなかった。運転するまでは。
だいたい、初めてオーナー様に「乗ってみる?」と誘われたときは、怖いので断りたかった。本当の話、嫌々運転した。がしかし、運転した瞬間、正確には発進してちょっとだけアクセルを踏んだ瞬間、脳天に雷が落ちた。
「世の中にこんなものがあったのか!」
そう思った。
私の脳天に雷を落としたもの。それはフェラーリのエンジンであった。正確にはフェラーリ水平対向12気筒エンジンが発する音や振動、その他五感に訴えるありとあらゆる刺激だった。それは、得体の知れない悪魔的な何物かとしか言いようがなかった。
その時、若かった私の脳裏に浮かんだのは、「自分が接したこともないような、とんでもない悪女がこの世に存在した」という感覚だった。その悪女は、言うまでもなく絶世の美女である。
その悪女はもちろん美しく、さらに強力でなくては…
人間、普通に生きていたら、そんな女と接する機会は一生ない。よって興味もないしどうでもいい。それより付き合ってくれたり、結婚してくれたりする女の方が大事だ。クルマで言えば大衆車である。しかし、この世には、そういう女も確かにいる。たぶん。それをクルマの形にしたものがフェラーリなのだ。たぶんだが。
フェラーリと聞くと、多くの方は「赤くてカッコいいスポーツカー」というイメージを抱かれるだろう。がしかしフェラーリは、デザインは常に外注に出していた。フェラーリのストラダーレ(市販車)は、主にピニンファリーナというカロッツェリア(イタリア語で乗用車のボディをデザイン・製造する工房)がデザインを手掛けてきた。現在のモデルはついにピニンファリーナ・デザインではなくなり、個人的にはそのことに大いなる悲しみを抱いているが、とにかくフェラーリは、その命とも思える美しいデザインを常に外部に任せていた。
創業者であるエンツォ・フェラーリは、デザインについては「自分の領分ではない」と思っていたらしい。それについては、「フェラーリは美しくなければならない」としか語っていない。
では、フェラーリの命は何か。
それはエンジンである。フェラーリは創設当時、エンジンパワーを最重視してきた。具体的には、強力な12気筒エンジンを作ることに心血を注いできた。エンツォ・フェラーリは、「クルマは強力なエンジンさえあればいい」と思っていた節がある。
60年代、モンツァにてF1マシンの
テスト走行を視察するエンツォ・フェラーリ。
Photograph/Alinari(Aflo)
なぜそれほど強力なエンジンにこだわったのか。
レースに勝つためだ。それ以外はまったくどうでもいい。レースに出ない市販車なんぞは本当はまったくどうでもいい。そんなものはレーシングカーの性能を落として、金持ちに高く売りつけ、それでレース資金が稼げればいい。すべてはF1での勝利のために!
それがフェラーリというスクーデリア(厩舎:レーシングチーム)のポリシーであった。とにかくパワーなのである。スイスイ曲がるとかしっかり止まるとか、そういうことは二の次だ。エンツォ・フェラーリが思い描いたフェラーリは、この世で最も強力なV12エンジンを積み、その地獄のようなパワーでF1を勝ちまくる、この世で最も美しいマシン。それだけだった。
フェラーリがもつ決定的な違いとは?
2017年3月7日から開催されたジュネーブショー2017にて、「F12ベルリネッタ」の正式後継車として発表された最新のフェラーリ「812 SuperFast(スーパーファスト)」。フェラーリの量産モデルとしては史上最高となる最高出力800psを誇り、フェラーリ12気筒の新時代を拓くモデルに位置づけられています。オフィシャル・フェラーリ・ウェブサイトはこちら >>> https://www.ferrari.com/
実際のフェラーリの市販車は、この世で最も強力なエンジンを積んでいるわけではない。しかし、魂はエンジンにある。レースに出ない市販車であっても、レーシングエンジンをベースにしている。つまり勝利のために燃焼する機械なのである。そこには、大衆車的な耐久性や信頼性など考慮になかった(※注/現在はあります)
フェラーリエンジンに火を入れて、アクセルに全開をくれようとするとき、ドライバーはオリンピックの陸上100メートル決勝前のような緊張感に包まれる。なぜなら、ステアリング中央に跳ね馬のエンブレムが付いているからである。跳ね馬を駆る者の義務として、その瞬間に自らのすべてを叩きつけ、燃焼し尽くさねばならない。
発進。脳内でファンファーレが鳴り響く。βエンドルフィンが全開で放出される。フェラーリエンジンは高回転高出力型の極致である。回せば回すほどパワーが出る。回さなくてはいけない。回さなければ意味はない。フェラーリは敗者となることはできない。常に勝利と栄光とともになければならないのだ。
エンジンをレヴリミットまで回す。鳴り響くフェラーリサウンド。その時ドライバーは神を見る。そして思う。「このまま死んでもいい」と。
それがフェラーリの本質だ。
実際には、フェラーリは決して最速ではない。しかしフェラーリは、70年間F1という最高の舞台で勝利を求めて戦い続けてきた、唯一のチームだ。そこには、他の速いだけのクルマを作るブランドとは決定的な違いがある。フェラーリは情念の結晶。その赤は血の赤なのである。
筆者/
清水草一(しみず そういち)氏
編集者を経て、フリーランスのライターに転身。
代表作『そのフェラーリください!!』をはじめとする
フェラーリに関する文献多数。
そのほか、『首都高はなぜ渋滞するのか!?』などの
著作で交通ジャーナリストとしても活動している。
日本文芸家協会会員
https://www.shimizusouichi.com/
Text/清水草一
Photograph/池之平昌信
構成/高橋浩司