※本記事は、アメリカで33年間アメフトに携わっているスポーツジャーナリスト、オースティン・マーフィ氏による寄稿になります。

日本のことではありません。いま、アメリカで最上位に位置するプロアメリカンフットボールリーグであるNFL(ナショナル・フットボール・リーグ)に、何かが起きているのです。2018年9月6日(木)に、第52回スーパーボウルを制した王者フィラデルフィア・イーグルスがアトランタ・ファルコンズを迎え撃つという“バード対決”という第一戦から2018年NFLレギュラーシーズンが幕を開けたばかりです。それでは、それが何か?をまとめてみましょう。

さっそく2018年9月9日(日)に、人種差別に抗議するため国歌斉唱時に起立を拒否するという問題が発生しました。この日、フロリダ州に本拠地を置くマイアミ・ドルフィンズのワイドレシーバーであるケニー・スティルス選手とアルバート・ウィルソン選手の2選手は、地面に膝をついて起立を拒否したのです。

このような選手たちによる起立拒否のムーブメントは2016年から始まったものであり、2年の歳月を経た2018年シーズンも開幕早々発生しました。

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その発端となった選手が、当時サンフランシスコ・49ersに所属していたコリン・キャパニック選手です。彼は2016年8月26日に行われたプレシーズンマッチで、試合前の国歌斉唱でベンチに座ったまま立ち上がらず、起立を拒否したのでした。その理由を、「黒人や有色人種への差別がまかり通る国に敬意は払えない」と述べ、人種差別に対しての抗議を表現したのです。それらはTwitterにも投稿されて物議を醸し、賛否両論が飛び交いました。

そこで当時のチームからの声明では、「宗教や表現の自由をうたう米国の精神に基づき、個人が国歌演奏に参加するかしないか選択する権利を認める」と同選手の決断を尊重すると発表。NFL側のほうも、「演奏中に選手たちが起立することを奨励するが強制ではない」と声明で指摘しました。その後も起立を拒否し続けているうちに、賛同する他の選手たちも増えるのです。

そして、同調するようにNFL全体に拡大。すると、この彼らの行為に対してトランプ大統領がSNSで批判するなどし、社会問題にまで発展していったのです。

するとNFLは今シーズンから、新ルールを導入することを決定。選手らに起立を義務づけるとともに、違反すれば罰金を科すことにしたのです。しかし、屈強な選手たちは、これに反発。折り合うことなくシーズン入りしたというわけです。

しかし一方で、われわれはこの素晴らしいスポーツを楽しむということは忘れてはいけないのです。

アメリカ国民にとって、最高の娯楽スポーツに位置づけられているのですから。たとえ、このスポーツを運営している”強欲な資産家”や権力者の存在を知っていようとも、このスポーツ自体に関して言えば、私(筆者)は愛せずにはいられないのです。

私が大学2年生のときのことです。私は父に、「フットボールを辞める」と言うと、父は思わず泣き出してしまったのです。しかし、私の中ではフットボールをやり尽くしたと感じでいたので、後悔はありませんでした。しかし、私の最初の仕事は、フィラデルフィア郊外にある「Bucks County Courier Times(バックス・カウンティー・クーリエ・タイムス)」でのフットボール取材でした(笑)。私はせっかく、この世界から足を洗おうと思っていたのですが。フットボールは、私を解放してくれなかったのです。

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アメリカで最も人気のあるスポーツ誌『スポーツ・イラストレイテッド』で33年間働いていた間、私は「オークランド・レイダース(オークランドに本拠地をおくNFLチーム)」から、フロリダのグレイズ中央高校の「レイダース」までと、あらゆるレベルのフットボールを担当していました。彼らの近隣校のライバルは「パホーキー・ブルー・デビルズ」で、毎年恒例の定期戦となっているマックボウル(Muck Bowl)が最大のイベントのひとつであり、それも取材し続けました。すると、9年目を迎えた年のマックボウルまであと少しというところで、その担当を外されたことを覚えています。

リック・ラモンズ氏という名のコーチが、試合前のロッカールームで選手たち対して行ったペップコールは、いまもその映像は新鮮に頭の中に蘇ります。

「田舎者のあいつらが、俺たちに戦争を挑んできやがったんだぞ! それでいいのか、お前ら? よく考えてみろ、あいつらの実力にそんな資格などないはずだ。そうだろ! いいか、ここからは俺たちが戦争を仕掛けるんだ。そして、最初からクライマックスになるぐらい怒涛のパワーを見せつけて叩き潰してやるぞ!」と発破をかけるコーチの姿と、そして選手たちによるロッカールームのとどろき音が目の前に現れてきます。

そして、すぐのそれは静まり返り、「オーケー、じゃ、みんな祈りを捧げよう」と冷静な口調へと切り替わるコーチの姿が。それはまるで、映画『Any Given Sunday(エニイ・ギブン・サンデー)』(1999年公開)のアル・パチーノのようでした。

そう、私たちアメリカ国民はこのゲームを心底愛しているのです。

なぜなら、統制などできないはずなどない「勝利への熱望」という錯乱状態の中にありながらも、プレープレーはきちんとしたシステムに則られ、そして、統制のとれた指揮系統で進行していくスポーツだからなのです。そして明らかに、これ以上のスポーツはないからなのです。

そんな最高峰のスポーツではありますが、過去20年間においてはフットボールが抱える危険性に関して、さまざまなことが明らかになってきました。

しかしながら、どんなことがあったとしても私は、選手たちへ敬意は揺るぎありませんでした。

彼らの才能はもちろんのこと、驚いて開いた口が塞がらないほどのレベルにまで達する献身さ、そして規律、さらに観戦者からすれば単なるエンターテインメントであるスポーツであるのに、自らの肉体をギリギリまで追い込む、最高のゲームを見せようという意欲は、「素晴らしい」のひと言では済ますことなどできませんの。

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そうです、このスポーツは私たちを存分に楽しませてくれるのですが、その崇高なまでの素晴らしさとは対照的なところで、非常に残念なことながら、このスポーツの大切な精神までも破壊するような事態が起こっていることが報告されています。

NFLはまさに今、全速力で「悪しき伝統」を一掃中なのです。

フットボールというスポーツが政治的にも文化的にも、アメリカの政治用語でいう「サードレール」(切り出すと常に物議を醸し非難されるような項目)になっていようとも、アメリカンフットボールは未だに全米一人気のあるスポーツなのです。

テレビにおいても、いまだに視聴率が最も期待できる番組はアメフト中継なのです。2017年のTOP50のテレビ番組においても、NFLの試合中継は37も占めているのです。つまり、この最も視聴された番組とされるうちの74%がアメフト中継だったのです。

TV番組『NBCサンデーナイトフットボール』は2017年のプライムタイムにおいて、人気コメディドラマ『ビッグバン セオリー/ギークなボクらの恋愛法則』を叩きのめし、最高視聴率に輝いているのです。フットボールに関するTV番組『マンデーナイト・フットボール』と『サーズデーナイト・フットボール』、そして、(ペイトリオッツの選手を特集した番組)『ハウス・オブ・グロンク』は、なんと世界的に超人気のドラマである『ゲーム オブ スローンズ』よりも視聴率を稼いでいるということを忘れないでほしいのです。

リーグに所属する32チームは2017年の収入分配プログラムを通じて、前年よりも0.9%増加の80億ドル以上を分配を得ているのです。

俳優トミー・リー・ジョーンズは映画『逃亡者』において、邪悪な大手製薬会社について「この会社は怪物だ」と述べています。いわば”合法的な怪物”のように、NFLはかなりの2次的な損害を引き起こしているというわけです。

ピッツバーグ・スティーラーズ、カンザスシティ・チーフスで活躍後、1997年に殿堂入りに輝いたマイク・ウェブスター氏(引退して11年後の1990年に享年50歳で逝去)に対し、彼がアメフトの名選手だと知らなかったある医師は「いままで自動車事故を起こしたことはありますか?」とたずねたと言います。

するとウェブスター氏は、「恐らく2万回以上は事故を起こしているね」と答えたということも有名な話です。そして彼は晩年、「脳の外傷が原因では?」と囁かれながら奇行を繰り返し、家族が知らない間に散財を繰り返すうち、記憶障害や苛立ち、怒りっぽさ、うつなどの症状が現れ、その後は妻に去られたかと思ったらホームレスとなり、そして死亡したのでした。

NFLの選手たち自身も、そのリスクを理解しています。

アトランタ・ファルコンズのランニングバックであるデボンタ・フリーマン選手は、何度も「脳しんとう」を経験していることから「フットボールの申し子」とまで言われています。2017年8月の練習中に脳震とうに症状を発症し、脳震とうプロトコルにしたがって、その年の12月まで復帰できなかったのです。

そう、選手たち自身もこのスポーツの悪い面も、そして良い面もわかっているのです。

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現在、ピッツバーグ・スティーラーズのワイドレシーバーであるアントニオ・ブラウン選手は、MVPにもっとも近い最高のレシーバーであると注目が集まっています。昨シーズンは、ふくらはぎを負傷するまでは14週を通じてリーグの最優秀選手であったことはほぼ間違いありませんでした。しかし、最終的にMVPに輝いたのは、代わり映えなく3度目となるトム・ブレイディ選手だったのです。

ヒューストン・テキサンズのサックの名手であるJ.J.ワット選手は、2シーズン連続で負傷し、リハビリに専念していることも話題になっています。そして、元大リーガーであり、このリーグの中では小柄な(180cmですが)シアトル・シーホークスのクオーターバック、ラッセル・ウィルソン選手の脳震とうも大きな話題となっていました。

私はこれまで、数えきれない多くの誇るべきNFLのベテラン選手たちに会っています。それは、文字に起こすには苦労するほどの人数です。だからリーグが選手たちの頭と頭による激突を取り締まり、基本的にクオーターバックにはバブルラップ緩衝材を着用させているという措置は、個人的にはうれしいことなのです。

現在も論争されているように、このスポーツがクラシックバレエのようにその美しさを鑑賞するものではなく、どちらかと言えば総合格闘技的であるという事実はくつがえせないことです。地球上で最も速く、巨大な男たちによってプレーされる荒々しくも高速で、前に突進していく試合なのですからいつだって危険と隣り合わせなのです。

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しかしながら現在の選手たち、そしてチームドクター、コーチ、トレーナーは、過去に比べてはるかに多くの知識を身につけています。

彼ら自身、自分たちがどんな世界に足を踏み入れているのかも十分理解していますし、そのリスクに関してもより理解しています。そして、そのことからよ自分たちを守るための管理能力にも長けているのです。

ですが、男同士が本気で対峙するスポーツ、フットボールです。決して、安全なものだとは言えないのです。しかしながら最近、あるコーチが私にこう言ったのです、「過去よりも安全になっている」と。

例を挙げれば、2011年12月からリーグは怪我を各試合監視するため、それぞれのチームとは関係のないトレーナーによる独立した「コンカッション・スポッターズ」なる機関を設立させているのです。

今日のアメフト選手たちは、かつてないほどに高収入を手にしていることも事実です。が、“アメリカンフットボール”という世界は、彼らにその額以上のことを求めているのも事実なのです。

このような状況の中、前述のJ.J.ワット選手は「いつだって命がけさ」と強く言っています。また、ピッツバーグ・スティーラーズのランニングバックであるラッシャード・メンデンホール選手は、「偉大になる、忘れられないものになる、殿堂入りするんだ」と切望しているのです。

そう、彼ら選手たちはまさに刀の刃先の上で戦っているも同然、まさに凌ぎ(鎬)を削る戦いを日々しているのです。いま以上のプレーを常に求められ、しかも、それを自分自分も切望しているのです。

そんな彼らなのです。常に究極の選択をしているとも言っていい彼らが、2017年9月のシカゴ・ベアーズの選手たちのように、黒人への暴力に抗議したNFL選手たちを「くびにしろ」とツイートで罵った大統領に対して抗議するのは当たり前のこととは言えないでしょうか。政治家や栄養士、そして文化人コメンテーターのように、2016年8月26日のキャパニック選手に賛同することを表明してもさらには 、ホワイトハウスへの表敬訪問の中止することだっていいのではないかと、私自身は思うのです。

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「国歌演奏中に、ひざをつく者を罰する」というみっともないリーグの尽力にもかかわらず、選手たちは抗議する方法を模索し続けるでしょう。

しかし、良心からの沸き立ったこれらの行動に対して、一部の人は彼らをゲーム外へと追い払おうとするでしょう。そして私たちの多くが理解しているようにマスコミでは、NFLに差し迫った危険性ばかりを唱え、NFLの存続を批判的にとらえている人数が誇張されながら報道されているのです。

ドン・デリーロの小説「エンドゾーン(End Zone)」の作品中において、ナレーターでもあるゲイリー・ハークネスに対して、一人のコーチが忠告をしたシーンがあります。「ゲームを見に来ている者の中に、神学者が唱えたパスパターンを見ようと思っている者なんていない」と。

確かに、このスポーツには問題があります。

しかしながら、私たち自身の問題から逃れるために「NFLを観ない」、と言うほど馬鹿げたことはありません。それこそがことわざであるように、「throwing out the Brady(Baby) with the bathwater」ことになるのです。訳すなら、大事なもの(ブレディ選手)を無用なものと一緒に捨てる、または細事にこだわり、ブレディ選手を逸する)」ことになるのです。

Source / Men’s Health US