ロシアで開催となる2018年W杯を記念し、「エスクァイア・デジタル」がレジェンドな選手たちを11名! ※ポジションバランスは考えていませんので、ご了承ください。

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ファンが待ちに待ったこの祭典を前に、これまでサッカー界に貢献してきたレジェンド選手たちでベストイレブンを構成してみました。そんな彼らの写真&エピソードはわれわれのココロのゴールネットまでに揺らしてくれたのです。

▶▶▶ストイックなエリートから破天荒な問題児まで、フィールドで大声援を浴びてきた名プレイヤーたちをご覧あれ。

フランツ・ベッケンバウアー

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 1945年ドイツ生まれ。20歳で旧・西ドイツの代表としてデビュー。高い技術力と恵まれた肉体で、すぐにヨーロッパ中にその名を知らしめました。ドイツサッカーにとって伝説の選手であり、「皇帝」と呼ばれるほど愛されかつ恐れられた存在に。

 今では当たり前となった守備陣による攻撃参加ですが、当時は画期的なシステム。その発端となった「リベロ(攻撃に参加する守備役)」システムを確立させた人物でもあります。

 サッカーファンが「世紀の一戦のひとつ」と呼ぶ1970年のW杯メキシコ大会では、相手チームの選手からのタックルで右肩を脱臼してしまうものの、バンテージで無理やり固定して延長戦を戦い抜いた…その気迫は人々に強い印象を残しました。

 引退後は1984年から監督を務め、1990年の東西ドイツ合併にともない、西ドイツ最後の代表監督となっています。

これはThird partyの内容です。詳細はそちらでご確認いただけます。

デヴィッド・ベッカム

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 1975年イギリス生まれ。俳優顔負けの甘いマスクで「イングランドの貴公子」と呼ばれ、そのためハンサムなスポーツ選手を「○○界のベッカム」と呼ぶ動きも出るなど、そのコロコロ変わるヘアスタイルをマネする人が続出したり…と、社会現象とも呼べる人気を誇ったことは周知の通りかと…。

 もちろんプレイヤーとしての実力もピカイチで、マンチェスター・ユナイテッドやレアル・マドリード、ACミランなどビッグチームで活躍し、英国のメディアから「愚か者」と罵られても、ここぞという場で得意のフリーキックやアシストで大活躍。
 
 1999年に結婚した元スパイス・ガールズの妻ヴィクトリアとともに、現在ではスタイルアイコンとしても世界中を夢中にさせています。ただ、おしどり夫婦としても有名ですが、最近では離婚の噂で騒がせれいます。編集部として好きなところは…デッドプールはちょっとビビるかもしれませんが、声です。
 

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オリバー・カーン

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 1969年ドイツ生まれ。欧州最優秀ゴールキーパーに4度、世界最優秀ゴールキーパーに3度選ばれた伝説のGKです。

 その長身から、ギリシャ神話の巨人「タイタン」のニックネームで親しまれましたが、チームメイトに「この世で怖いのは、戦争とオリバー・カーン」と言わしめるほどの完璧主義者。
 
 自分だけでなく味方のミスも許せないタイプで、ロッカールームでチームメイトを何時間も説教したり、キッズと対戦するチャリティイベントで子どもたちのシュートをすべて本気で防いでしまったりしたそうです(その後、チャリティの予定金額をすべて、自腹で寄付!)。

 2008年に引退した後は、大学に通って経営を学んでMBAを取得しています。
   
https://www.youtube.com/watch?v=H4BvCUuU4oE

ディエゴ・マラドーナ

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 1960年アルゼンチン生まれ。アルゼンチンを代表するスター選手で、魔法の左足を武器に黄金時代を築きました。

 伝説となった1986年のW杯メキシコ大会では、“本来ならば反則である、手でボールに触れてゴールを決める”プレイで論争の的に。ここで「神の手が現れた」と彼が語ったことで、これ以降この行為は「神の手」と呼ばれることになります。また、同大会では驚異の5人抜きを披露し、アルゼンチンを2度目の優勝に導いています。
 
 ですが、1991年にはコカイン所持で逮捕。ナポリマフィアとの黒い関係までもが明らかに…英雄のポジションから転落してしまうのでした。
 
 その後も自宅前でマスコミに対して、エアライフルを乱射したり、コカイン服用で心臓発作になったり、肥満に悩まされたり、TV映りをよくするため美容整形を受けて「ママドーナ」と呼ばれたり、暴言を繰り返したり…と、いろいろな意味でインパクトの強い人物として知られる人物です。
    

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リオネル・メッシ

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 1987年アルゼンチン生まれ。なんと13歳という若さでFCバルセロナと契約し(しかも、その場にあった紙ナプキンをとっさに契約書がわりにしたのだとか)、17歳でトップチームデビューしていることからも、その凄さは明らかです。

 成長ホルモン分泌不全症という難病のため、身長には恵まれなかったメッシ(公称170cm)。ですが、それ以外のフィジカル面は補って余りあるほど。一流選手たちが「まるでTVゲームで遊ぶように軽々とプレイする」と、こぞって絶賛するとおり、その驚異のドリブルさばきやシュートの正確性、パス能力などを武器に、所属チームを次々と勝利に導き、数々の世界トップクラスのタイトルを獲得しています。
 
「マラドーナ2世」との呼び声も高く、あのマラドーナ本人もそれを認めていますから…。

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中田英寿

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 1977年山梨県生まれ、日本のサッカー史を語る上で欠かせない存在の一人「ヒデ」。

 高校時代からイタリアのセリエAでプレイすることを夢見て、イタリア語を勉強していたというから驚きです。実際、世界最高峰であるセリエAでもアジア人選手が珍しいなか大活躍をはたし、“NAKATA”の名を世界に知らしめています。

 そのクールなカリスマ性で、彼に憧れてサッカーを始めた人や、彼のおかげでサッカーファンになった人も少なくないでしょう。
 
 引退した現在は、世界各地で慈善活動に勤しんだり、実業家としても日本サッカー界に貢献しています。さらに、ファッショニスタとしても有名で、ルイ・ヴィトンなどのフロントロウで目撃されることもしばしば…。
      

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ペレ

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 1940年ブラジル生まれ。本名はエドソン・アランテス・ド・ナシメント(Edson Arantes do Nascimento)。

 サッカーファンなら知らない人はいないほどの、永遠に語り継がれる伝説的存在。15歳でデビューして1977年に引退するまで、ブラジル代表のエースとして実働22年間で通算1363試合に出場。1281得点を記録したその実績から、「サッカーの王様」「サッカーの神様」と呼ばれています。

「ペレ(Pelé)」の愛称は、父の所属していたサッカークラブのゴールキーパー「ビレ(Bilé)」のファンであったことに由来するそうです。

 両足を同じように器用に使え、身体能力もズバ抜けており、あのアンディ・ウォーホルをして「彼は私の理論に反する数少ない人物のひとり」と言わしめています。
   

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クリスティアーノ・ロナウド

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 1985年ポルトガル生まれ。わずか16歳でプロデビューし、2009年には史上最高額の移籍金(約128億円)で、マンチェスター・Uからレアル・マドリードに移籍。

 サッカー記者の投票で決まるバロンドール賞の受賞は、リオネル・メッシと並んで史上最多の5回。負けず嫌いで努力家としても有名ですが、その容姿端麗さも人気の理由のひとつ。マンUに移籍後は真っ先に自分のスペースに鏡を置き、何度も自分の姿を確認していたのだとか…。

 SNSでのフォロワー数も世界No.1で、名実ともに最も人気と言えるでしょう。
   

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ジーコ

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 1953年ブラジル生まれ。本名は「アルトゥール・アントゥネス・コインブラ(Arthur Antunes Coimbra)」で、その小柄で細身の体から、「痩せっぽち」を意味する「ジーコ(Zico)」のニックネームで親しまれました。
 
 ティーンの頃から実力派プレイヤーとして活躍し、1980年代にはサッカー界におけるスーパースター的存在に。世界でもトップクラスの得点王として君臨しています。
 
 1989年に一度引退するも、1991年には日本の住友金属工業蹴球団(現・鹿島アントラーズ)に入団し、現役復帰。その後も日本代表の監督を務めるなど、日本のサッカー発展に大きく貢献している人物です。
    

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ジネディーヌ・ジダン

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 1972年フランス生まれ。1988年からプロ契約し、恵まれた肉体と天才的なプレイを武器にユヴェントスやレアル・マドリードで活躍。そして、フランス代表でも大活躍。
 
 1998年のW杯フランス大会ではフランス代表の優勝に大きく貢献し、この年のバロンドールであるFIFA最優秀選手賞を受賞。W杯で優勝した22人のメンバーと監督とともに、レジオンドヌール勲章のシュヴァリエ(Chevalier、騎士)の階級を得ています。UEFA EURO 2000でも優勝に貢献し、大会最優秀選手そして2度目のFIFA最優秀選手賞を受賞しました。
 
 現役引退後は、レアル・マドリードで2018年監督になりましたが、2017-18シーズンをもって退任。選手&監督の双方で、オンズドール(フランスのサッカー雑誌が選ぶ年間最優秀選手賞)とFIFA最優秀賞を受賞した初の人物となるなど、数多の賞を総なめにしている「実力派」のレジェンドです。
 
 2006年のW杯では、引退試合にもかかわらず対戦相手に頭突きをお見舞い。そのまま出場停止となってしまったことも、伝説となっています。
  

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ヨハン・クライフ

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 1947年4月25日、オランダ生まれ。少年時代から華奢な体格で、実際の年齢より幼く見えたほどだったそう。しかしながら、ストリートサッカーで身に付けたテクニックは、少年時代から話題となるほど。10歳のときに兄の後を追って、アヤックスの下部組織に入団しています。
 
 すると、15歳でユースチームに昇格。もち前の突破力を生かし、センターフォワードとして1シーズンの公式戦で74得点を挙げるなど才能を発揮。1963-64シーズンには、オランダのユース年代の全国大会で優勝を果たしています。そんな経緯からトップチームの監督ヴィク・バッキンガムに見い出され、16歳となる1964年にトップチームへの昇格をはたします。
    
 1965年にアヤックス監督に就任したリヌス・ミケルスが目指した組織戦術「トータルフットボール」を、ピッチ上で見事に体現した選手となります。そんなアヤックスでは、UEFAチャンピオンズカップ3連覇、オランダ代表ではFIFAワールドカップ準優勝に導いた実績などから、バロンドール(欧州年間最優秀選手賞)を3度も受賞しています。 
 
 フランツ・ベッケンバウアーと並ぶ1970年代を代表する選手であり、ペレやマラドーナと並ぶ20世紀を代表する選手のひとりです。
 
 引退後は指導者に転身。古巣のアヤックスやFCバルセロナの監督を務めると、バルセロナではリーガ・エスパニョーラ4連覇やUEFAチャンピオンズカップ優勝などの実績を残し、監督としても成功を収めました。
 
 相手のタックルを柔軟なボールタッチやフェイントで飛び越えたプレースタイルに由来し、「空飛ぶオランダ人(フライング・ダッチマン)」など、さまざまなニックネームをもちます。
 
 そして2016年3月24日に68歳でこの世を去り、本当の意味でのレジェンドそしてフライング・ダッチマンとなりました。
     

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