2017年、NFL(米アメリカンフットボールリーグ)では、ドナルド・トランプ大統領が国歌斉唱中に抗議を行った選手たちを「クソ野郎」と侮辱したことで、抗議行動が大きく拡大しました。

大統領への嫌悪感は選手だけにとどまらず、分断を煽るトランプ氏の発言に対し一部のチームオーナーたちも、団結への思いを口にしました。そのなかでシカゴ・ベアーズのジョージ・H・マッカスキー会長は、選手たちの表現の自由について次のようにコメントしています。

「米国を世界でもっとも偉大な国家としているものは、建国の礎となった“自由”であり、また敬意をもって平和的なやり方で自分の信念や考えを示すことができる“自由”です」と。

そんななか、同様にNFLのオーナーたちは、2018年5月23日に自分たちの主張をかなぐり捨てるかのように、国歌斉唱中の抗議(そもそもは警察の取り締まりや刑事司法制度における人種差別に光を当てるために、コリン・キャパニック選手とエリック・リード選手が始めたものでした)に関する、リーグの新たなポリシーの導入を承認したのです。

「ニューヨーク・タイムズ」紙によれば、オーナーたちは「国歌斉唱中にフィールド上、あるいはサイドライン上で起立せずに抗議を行った選手がいた場合、チームに罰金を課す」という新ルールを承認した記せられています。

ただしこのルールでは、選手たちには国歌斉唱の際にロッカールームにとどまる選択肢も与えられています。

個々の選手が罰則の対象になるわけではないということはポイントですが、この意図は明らかです。罰金を積極的に課されたいようなチームがない以上、罰金をもたらすような選手を敢えて雇うチームもないということになるのです。

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民間の組織として、NFLが新たなルールを取り入れるのは自由です。

とはいえ、今回の決定は「選手たちに事実上表現の自由はない」ということを強調するものではないでしょうか。こういった抗議が一部の人を不快にさせると言っても、そもそも何らかの抗議が誰かにとって耳の痛い話であるのは当然のことです。

ですが、お気づきの通り、こういった人々にとってはすべての抗議が不都合なタイミングで、間違ったやり方で不適切な代弁者によって行われるものなのです。

抗議とは本来、何らかの問題から影響を受けていない人々の生活を妨げるものであり、彼らに問題の存在や緊急性に気づかせるためのものなのです。

選手たちが国歌斉唱中に抗議することを選んだのは、選手からコーチ、オーナー、ファンまでリーグに関係するすべての人が、この瞬間を目にしているからであり、この瞬間こそ、米国の偉大さに敬意を払うよう意図されたものだからです。選手たちは、人々がしっかり聞いているのがわかっているタイミングで、「米国がすべての人にとって、必ずしも素晴らしい国家というわけではない」ということを示唆していたのです。

キャパニック選手の抗議に反対する人には、この抗議が「星条旗あるいは米軍に対して敬意を欠く、非愛国的な行為だ」と指摘します。今回の決定を発表したNFLコミッショナーのロジャー・グッデル氏の声明も、このような意識を反映しています。

「フィールド上の抗議活動が、多くの選手たちに愛国心がないという誤った認識を与えてしまったことは残念です。これは過去においても現在においても、まったく事実ではありません」とロジャー・グッデル氏。

国の政策に批判をする人に対し、一部の市民が「愛国心がない」というような見方をするのは、米国社会の奇妙なところです。

ブッシュ政権の時代にも、イラク戦争を「大嘘から始まった破滅的な意思決定である」と批判すると、「軍隊の不支持」や「愛国心の欠如」と混同されたものでした。実際、米国政府やその政策を誠実に批判することは、国家を良くしようとする試みなのです。言うなれば、それは米国の建国理念や理想に少しでも近づこうとする動きに他なりません。

NFL選手たちは自らのキャリアや暮らしをリスクに晒しながら抗議活動をしている

抗議をする人々は、それが国歌斉唱(この曲は米国の独立宣言から155年後に正式に採用されたものです)の途中であれ、愛国心がないわけではありません。

保守派たちは、大学のキャンパスや主要メディアの扱いなどを指摘しては「表現の自由の弾圧」と落胆を示すにも関わらず、結局は、一部の人々の表現の自由に関心があるだけではないでしょうか。

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米国が「法の前での人種の平等」という点で、「国家の理念に恥じない行いをしているのか?」を疑問視する選手たちを追いやろうとするNFLの決定は、愛国心から出てきた行動ではありません。

ここには2つの動機があります。

1つ目は、経済的な動機です。昨シーズン、NFLの視聴率は下がりました。抗議を非難する人々は、これが「選手たちの抗議活動のせいである」と主張します。実際は様々な要因が絡み合って、視聴率の低下をもたらした可能性が高いのですが、このロジックがオーナーたちの決定に影響したのは確かです。

そして、もう1つの動機は当然政治的なものです。

ドナルド・トランプ大統領のツイート

「スポーツファンは国歌斉唱時に誇りをもって起立しない選手たちを、決して許すべきではない。NFLはポリシーを変えるべきだ!」

トランプ大統領はこの抗議を取り上げ、自らの支持基盤を強める格好の標的とし、最初に抗議を起こした黒人選手を「非愛国的」で「恩知らず」であると非難しました。

後者の言葉は「NFLの選手たちが報酬以上の何かを社会から与えられているということ」、「選手以外の人々は、彼らをこれほど裕福にしたことに責任がある」ということを示唆しています。

また、「選手たちは大金持ちなのだから、不満を言う権利はない」と解釈することもできます。2017年に行われたインタビューのなかで、元シーホークスのディフェンダーのリチャード・シャーマン選手(この社会問題が広がったときに、ひざまずかないことを選びました)は、トランプ氏の発言が非常に侮辱的である理由について次のように説明しています。

「(トランプ氏の発言は)NFL選手たちの抗議に対する主張として、もっとも無知なものでしょう。お金を持っているわれわれは、このトピック(黒人や有色人種への人種差別)について何も知らないだろうと言うのですから…。ほとんどの選手たちは、有名になるまで貧しい生活を送ってきました。彼らは金持ちになるはるか以前から、社会的不正や人種差別の問題に直面してきたんです。一生のほとんどの時間、自らに差別的扱いや差別的な発言をする人々と向き合ってきたんです。そうして数年前に、裕福な立場になりました。7、8年前のリチャード・シャーマンは誰だったかわかりますか? ただのドレッドヘアの黒人ですよ」とリチャード・シャーマン選手。

「ほとんどの選手たちは、以前は何も持っていませんでした。それ以上に崩壊した、あるいは低所得の家庭の出身なのです。彼らは賢明に努力し、最底辺からアメリカンドリームを叶えたのです。彼らは大金を稼いできましたし、現在も稼いでいますが、だからといってこれまでに起こったことを忘れるわけではありません。『金持ちになったから、自分の生まれ育ったコミュニティや自分のルーツは忘れよう』なんて選手はいません。彼らは自らのキャリアや暮らしをリスクに晒しながら、抗議活動をしているのです」とリチャード・シャーマン選手はさらに語ってくれました。

NFLオーナーたちのどこが愛国的なのか?

選手たちがリスクを承知で抗議活動をしているという証拠が欲しい人は、キャパニック選手やリード選手を見てみればわかるでしょう。

2人はNFLを訴えており、「国歌斉唱中に片膝をついて抗議をしたことで、NFLから追放された」と主張しています。つまり、真実はこうです。抗議した選手たちは、快適な地位にあったにも関わらず国家をより良くするために、それが自らに数百万ドルの損害になろうと、困難な選択肢を選んだのです。これが非愛国的と言えるでしょうか。

また、右寄りの偏向報道で知られるFOXニュースの女性キャスターのセリフ、「…黙ってドリブルしてなさいよ」と伝えるような意思をもつ彼らの雇い主たちの、どこが愛国的なのでしょうか。

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オーナーたちの新たな取り組みがうまくいくかどうかについては、時間が教えてくれることでしょう。

ちなみに「ニューヨーク・タイムズ」紙によれば、新たなルールは「拳を突き上げること」など別の抗議方法については特に言及していないと言い、この点では選手に一定の敬意を払ったという見方もできるかもしれません。とはいえ確実に言えるのは、トランプ大統領も含めて「米国の黒人が警察や司法制度に差別的に扱われている」というような主張を聞きたくない人に受け入れられるのは、従順な服従だけだということではないでしょうか。

それでは2018年9月6日に始まる、99回目となるNFLレギュラーシーズンの開幕を楽しみに待ちましょう。ちなみに気の早い話ですが…このシーズンのスーパーボウルは第53回。ジョージア州アトランタにあるアトランタ・ファルコンズの本拠地メルセデス・ベンツ・スタジアムにて、2019年2月3日に開催されます。

Source / ESQUIRE US
Translation / Wataru Nakamura
※この翻訳は抄訳です。