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ますますユーザーの高齢化が進み、「クール」とはほど遠いものになりつつあるフェイスブック。このSNSが再び若者たちの支持を得るためには、どんな改革が必要でしょうか。 
 

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 そういえば、フェイスブックが「クールなもの」とみなされていた時代もありましたよね。 

 (アメリカでの話になりますが...)2005年10月ごろ、学生世代の若者たちは、ザッカーバーグが開発したこの新たなツールを使って、退屈な感情を綴ったり、ホームパーティーを計画したり、女の子を引っ掛けようとしていたものです。当時は、交際ステータスを変えたり、ナイトクラブでの写真を日付入りで投稿したり、授業で会ったかわいい女の子に「poke」機能で控えめにアピールしてみたり、といったことは日常茶飯事でした。テクノロジーとインターネットが、音楽やファッションといった前時代的なものを、若者のサブカルチャーの主役から引きずり落とした時代でした。あの頃、オンラインにいることは本当に素晴らしいことだったのです。 

 とはいえ、あなたのティーンネイジャーの甥にこんな話をしても、もちろん信じてくれるはずもありません。彼にとって、フェイスブックはもう終わった存在なのです。「ガーディアン」紙は今週報じたニュースのなかで、「25歳以下の若者はもはやフェイスブックに興味を抱いていない」という、誰もが気づいていたことをはっきりと述べました。2018年、フェイスブックを使用する12〜24歳の若者の数は、2017年より70万人減少すると見られており、いっぽうで55歳以上のフェイスブックユーザーはこれまでになく増加しつつあるそうです。フェイスブックは、若者が集まる「レイヴ」のような場所から、年寄りばかりの「ビンゴホール」に様変わりしてしまったようです。 

 ですが、諦めるのはまだ早いかもしれません。フェイスブックはここから起死回生し、スナップチャットから若者たちを取り返すことができる可能性もあります。流行は繰り返すものですし、フェイスブックの時代も再び戻ってくるかもしれません。とはいえ、この実現にはいくつかの根本的な改革が必要なのです。

赤ちゃんの投稿を禁止

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 最近のフェイスブックのニュースフィードは、終わりのない家族の洗礼式のようです。そこで目にする赤ちゃんの投稿は1つや2つではなく、数百・数千という数です。そして、他人の赤ちゃんのずんぐりした顔つきを見つめてあなたが感じるのは、ぼんやりとした優しい気持ちではありません。むしろ、冷めたような、「自分に人間としての心がないのでないか」と動揺するような空虚な感情です。 

 ニュースフィードが赤ちゃんの写真でいっぱいになるのは、何も両親が悪いわけではありません。人間は生物学的に自分の子孫を魅力的に感じるようになっており、だからこそ私たちは赤ちゃんを養い育てるのです。そこで、フェイスブックには例のぞっとする顔認識技術を使って対策してもらいましょう。この技術でよだれを垂らした、あるいは歯のない赤ちゃんの顔を識別して、孫の顔を見たい祖父母以外のあらゆるフィードから見えないようにしてくれればいいのです。

「友達記念日」のような余計な機能を失くす

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 いつからか、フェイスブックはユーザーエンゲージメントを高めるために、「グリーティングカード会社の回し者ではないか」と思わせるような振る舞いを始め、「友達記念日」や「フレンズデー」といった押し付けがましくナンセンスな機能を追加し始めました。 
 そして、問題はこの機能がまったく的外れだということです。平均的な人はフェイスブック上で338人の友達がいます。ですが、元クラスメイトや元恋人、元同僚などの「友達から削除するほどでもない」という人を除けば、本当の友達と呼べるのは3人くらいかもしれません。そして、この3人と仲がいいのは、「友達記念日みたいなものを祝うくらいなら、何もかもぶち壊しにした方がマシだ」といった考えが一致するからなのです。

「いいね!」ボタンを変更する

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 フェイスブックの「いいね!」ボタンは、もっとも手軽にドーパミンを分泌させる手段です。誰もが死ぬまでプレーしなければならないこのソーシャルメディアというゲームにおいて、「いいね!」はもっとも簡単で与える満足感も低い「持ち上げ行為」なんです。フェイスブックの問題は、そこにあるあらゆるものが厳密に言えば「いいね」の対象になり得るということです。あるいは、別の言い方をすれば、それが5kmランの新たなパーソナルベストを喜ぶ投稿であっても、「バースデーメッセージをありがとう。素晴らしい一日だった!」といった近況アップデートであっても、嬉しそうな誰かの投稿にちょっとした承認さえ与えないことは、自分が嫌な人間に感じてしまうものなのです。 

 もし、「いいね!」ボタンを変えるなら、「その投稿について真剣に考えてみましたが、心から最高だと思います。考えさせられるだけでなく、笑えるものであり、私の世界の見方を少し変えてくれたとさえ言えるかもしれません。「ありがとう!」ボタンにするのはいかがでしょうか。途端にユーザーの投稿との向き合い方は変わることでしょう。フェイスブックのちょっとした機能が改めて意味を持つのです。 

 私は以前、リビングルームの塗り立て壁の写真を投稿した人を見たことがあります。「watch paint dry(ペンキが乾くのを見る。退屈で無意味な行動の意)」を文字通り実行したこんな退屈な投稿にさえ、17いいね!がついていました。

横にあるチャットバーを、適切に機能するようにする

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チャットバーの妙な動作はとにかく迷惑です。誰がオンラインであるか分かりやすいことはとても助かるのですが、もう少し適切に機能してもらいたいところですね。

投稿して一週間が経ったら、すべての投稿を消す

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 フェイスブックが始まった頃には「私たちはもうサヨナラを告げる必要はなくなります」という美しい謳い文句がありました。知り合いや経験、頭に思い浮かんだ考え、そういったあらゆるものをインターネット上に保存することで、私たちはある種の永遠の命への鍵を手に入れたと思ったものです。 

 そして、ある意味で私たちの考えは正しいものでした。問題は、永遠の命が最悪なものだったということです。現在の世界では、自らの誤解に基づいた政治的意見や体験したくだらない仕事、退屈過ぎて携帯を取り出してしまった酒場でのクイズなど、ありとあらゆることをSNS上で振り返ることができます。ですが、こういったものは将来、自分の遠い子孫にも見られるかもしれません。私たちは、プライバシーやミステリアスである権利、自分のイメージを変える権利を売ってしまったのです。こんなことになってしまったのは、21歳の私たちが、自分たちが永遠に面白い存在だと考えていたからです。そして今、私たちは毎日、当時の自分が作り上げたイメージに向き合うはめになっています。楽しげでハンサム、あるいは美人であったあの頃の自分を見つめながら、いつかは死ぬ運命や当時思い描いた自分とのギャップに直面させられているのです。 

 現代の子供たちが理解しており、マーク・ザッカーバーグのモルモットとも言えるフェイスブック全盛期のユーザーが予想もしていなかったのは、青春は儚いもので、そうあるべきだということです。若い頃の私たちは、オンラインのどこかに放置され、人生というビュッフェにおける紙皿のように捨てられるべきではないのです。だからこそ、フェイスブックもスナップチャットのように過去の投稿をどんどん消していくべきです。永遠に生きたい人などいないのですから。

By Sam Parker on February 12, 2018
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ESQUIRE UK 原文(English)
TRANSLATION BY Wataru Nakamura 
※この翻訳は抄訳です。 
編集者:山野井 俊