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現代において「ウォーターゲート」という言葉は、「地に落ちた政治」や「大統領の失脚」、あるいは「ジャーナリズムの真骨頂」といった様々な事象を象徴するものとなりました。日本の現状も、それに近いかもしれません…。
1960年代半ばから1970年代前半にかけて「ウォーターゲート」といえば、ワシントンD.C.にある高級分譲マンションのことで、裕福で政治につながりの深い人々が暮らしていました。
そして1969年、広く知られた民主党全国委員会本部オフィスへの侵入(「ウォーターゲート事件」の発端)の3年前、米『ライフ』誌は自社フォトグラファーであるマイケル・ルジェ氏をウォーターゲートに送り出し、この建物に住む人々の華やかな生活の様子を写真に収めていました…。
※上の写真は、ウォーターゲートプールのライフガード。
ワシントン、ベルベットロープの向こう側
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米『ライフ』誌に掲載されたこの記事は、「Just Everybody Lives There(誰もがそこに住む)」というタイトルでした。ルジェ氏は自らの写真を通して、ベルベットロープの向こう側にあるウォーターゲートの裕福な暮らしを…ときに扇情的に、ときに皮肉っぽく捉えました。たとえば、この記事では当時の住人について次のように描写しています。
「過去の成功者であれ、『時代に忘れられた』というようなカテゴリーに入る人は、ここに住もうとしない方がいいかもしれません。ウォーターゲートの会員には現在、(共和党側だけでも)3人の閣僚、2人の上院議員、ニクソン政権の儀典長(Chief of protocol)やホワイトハウスの多くの補佐官たちが含まれており、会員になるための条件は社会的にも経済的にもかなり厳しいものです。典型的な住人は50歳前後で、子供の数よりも飼っている犬の数のほうが多いような人々になります」とのこと。
「アフリカーナ」ルームの内側
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この写真は、ウォーターゲートの住人で当時の商務長官のマウリス・スタンス氏とその妻のキャスリンさんが、彼らの「アフリカーナ」ルームでくつろいでいる様子を撮影したものです。
この部屋の家具は、彼らが度々訪れたサファリでのバケーションで購入したものだといいます。
米『ライフ』誌はこのアパートメントの設計について、「スタンス夫人は当初、彼らの13万ドルのアパートメントがジグザグで目まいがするように感じたそうです」と言及しています。ちなみに1969年当時の13万ドルは、現在の価値で90万ドル(約9800万円)ほど、アパートメント1区画の値段としてはかなりの額ですね。
独自の世界
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ホワイトハウスからわずか、8ブロックの距離に位置するウォーターゲート。ここの住人たちには外出の必要性を感じさせないよう、1つの完結した街を意図して建設されました。
総額7000万ドルをかけたこの複合施設は、1965年後半から住人たちの入居が始まり、ルームサービス(ウォーターゲートホテルが提供)からフィットネスクラブ、複数のスイミングプール、レストラン、小売店、診療所、歯医者、郵便局、酒屋まで、ありとあらゆる設備が揃っていました。
レッドルーム
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ウォーターゲートのラグジュアリーな内装について、米『ライフ』誌は次のように説明しています。
「きらびやかなロビーには、周王朝のイメージしたランプやスワジランドの手織りカーテンが備え付けられています。エレベーターではBGMが流れ、大理石が敷かれたバスルームにはビデもあり、蛇口は純金製です。また、多くのリビングやダイニングルームは、台形または鈍角三角形をしています」
※上の写真は、真っ赤なアパートメントに座るのは、共和党員でニクソン政権下で商務長官を務めたモーリス・H・スタンズ氏。
外界を見下ろす
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見晴らしのいい屋上テラスでのおしゃべりをするのは、ジョンソン大統領政権下で初代運輸長官となったアラン・スティーヴンソン・ボイド氏の妻ジョアニータさん(左)と、ジャーナリストのアンナ・チェナルトさん(右)。
ちなみに、チェナルトさんはその後、中華民国のロビイストとなりました。
D.C.エリートたちのためのヘアサロン
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米『ライフ』誌の記事は、この建物の豪華な設備(写真は住人専用のヘアサロン)を紹介しながらも、住人たちに渦巻く不満についても嬉々として伝えています。
「ウォーターゲートは、完璧ではないことが徐々に明らかになっていきました。用心深いドアマンや警備員、23個もある監視カメラにも関わらず、大胆な宝石の盗難被害は何度もありました。また、地上近くを飛ぶ飛行機によって、バルコニーでの会話が邪魔されるのも日常茶飯事です。アパート暮らしに慣れていない住人たちは、消毒したガラスやコンクリートに囲まれた環境に、墓の中に閉じ込められたようにも感じています。汚染されたロッククリークパークやポトマック川はわずか1ブロック先にあり、夏の暑い夜にはスイカズラの匂いもほとんどしません」
歯のついた建物
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米『ライフ』誌はこの建物について、「歯を出したようなデザイン」と描写しました。そしてそれ以上に…建築デザインに関するネガティブな指摘はこれに留まりませんでした。
この記事はウォーターゲートビルの外見について、「ギザギザのパネルがちりばめられており、ドラゴンの牙や牛乳瓶、あるいはボウリングのピンを連想させる」としています。…とはいえ、現代においては褒め言葉にも聞こえてしまうのは気のせいですね。
建物からの景色
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この建物からの景色を称賛する声もありましたが、米『ライフ『』誌は多くのアパートから見渡せる景色について、「ハワード・ジョンソンのモーテルが見える程度」としています。
ウォーターゲート内のパーティ
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ニクソン政権の司法長官であったジョン・ミッチェル氏の妻マーサ・ビール・ミッチェルと彼らの娘が、アパートメントのパーティでピアノの周りに集まっている写真です。
ジョン・ミッチェル氏はその後、ウォーターゲートビルへの侵入やその隠蔽に関する罪に問われ、刑務所に19カ月服役しました。
ホステス
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ジャーナリストで後にロビイストとなったアンナ・チェナルト氏が、自らのアパートメントでゲストに挨拶をしているところがこちらになります。
13種類のメニューからなるコースディナーは、彼女自身が用意したそうです。
書斎
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ニクソン政権の運輸長官であるジョン・ヴォルプ氏が、自らの3ベッドルームペントハウスの書斎で仕事をしているところになります。
米『ライフ』誌は、「1つの問題はワシントン・ナショナル空港に着陸する、耳をつんざくようなジェット機の騒音です」とし、「ヴォルプは、この騒音問題がまもなく解消に向かうことを願っています」と皮肉っぽく記しています。
ウォーターゲートでのワークアウト
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最近の高級アパートメントをお求めになる方には、フィットネスジムが完備されていることが必須条件のひとつとなっているようですが…。
60年代後半においては、アパートメントにローイングマシンやエアロバイクが完備されているということは、非常に珍しいこと。これは、当時のウォーターゲートにおける看板設備の1つとされていました。
世界でもっとも美しいのは誰?
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バロック式の鏡に映っているのは、ニクソン大統領に指名されたジョン・ミッチェル司法長官と妻のマーサさんです。
ミッチェルは14万ドルのこの2階建てアパートメントについて、「便利だがそれだけだ」というシンプルな言葉で表現しています。
ウォーターゲートに住んでいたスパイ
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米『ライフ』誌のフォトグラファーであるマイケル・ルジェ氏は、ウォーターゲートビルに住んでいた面白い人物に話を聞いています。
写真のウォルター・フォーツハイマー氏は、ウォーターゲートビルの取締役でありCIAの職員でもありました。フォーツハイマーはよく補強された2階建てアパートメントに、3000冊のスパイ関連書籍をコレクションしており、このなかにはマタ・ハリ(オランダ出身のスパイ)のサイン入りの写真もあったそうです。
ちなみに彼は、このビルにもう一部屋コンパクトなアパートメントをもっており、こちらで生活していたということです。
クールダウン
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ジェイコブ・ジャヴィッツ氏も、このビルの住人でした。ジャヴィッツ氏は閣僚や上院議員として活躍し、ニューヨークには彼の名を冠した巨大なコンベンションセンターもあります。
写真は、彼がウォーターゲートウェストのプールに飛び込むところ。当時ニューヨークの上院議員であった彼は、ここに7万ドルの2ベッドルームアパートメントを買ったばかりでした。
ウォーターゲートに住んでいた権力者たち
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そして「ウォーターゲート事件」は、ウォーターゲートビルの民主党全国委員会本部オフィスへの侵入と盗聴機器の設置が発端となり、最終的にニクソン大統領の側近ら7人が刑務所行きとなりました。
さらにニクソン大統領は、当然ではありますが辞任しました。そんな米国政治のいわくつきの場所とも言えるウォーターゲートビルですが、現在もワシントン経済を象徴する建物であり、2016年には336室のウォーターゲートホテルがリニューアルオープンしたところです。
By Foto Editors on April 30, 2018
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ESQUIRE US 原文(English)
TRANSLATION BY Wataru Nakamura
※この翻訳は抄訳です。
編集者:山野井 俊