タイムトラベルを描いた傑作映画と言えば、誰がなんと言おうとも「バック・トゥ・ザ・フューチャー」シリーズです。タイムマシン「デロリアン」に乗り、誤って未来と過去を行き来するという物語は、映画界における代表的なアドベンチャー作品として多くの人々に愛され続けてきました(ちなみに編集長は『ビルとテッドの大冒険』だそうです、わからないでもないですが…)。
そんな「バック・トゥ・ザ・フューチャー」シリーズの主人公マーティ・マクフライ役を演じたのが、爽やかなイメージが印象的なマイケル・J・フォックス。そんなマイケルはこのたび、2020年6月9日に59回目の誕生日を迎えました。
シリーズ第1作目『バック・トゥ・ザ・フューチャー』が公開されてから35年もの長い年月が経ちますが、今でもどこかマーティらしいイメージが残るマイケル。今回、そんな彼のこれまでの人生を振り返ってみましょう。
生い立ち
マイケルは1961年6月9日、カナダ・アルバータ州エドモントンに生まれます。警察官であった父親の影響で、幼少期はカナダを転々とする生活をおくっていました。
15歳で俳優デビュー
俳優デビューは15歳のとき。カナダのTVドラマなどに出演し、早い時期にデビューしたことが後の「バック・トゥ・ザ・フューチャー」シリーズでの安定感のある演技につながったのでしょう。
18歳になると活躍の場をアメリカへと移します。まず、最初に彼の名前が知られるようになったのは、TVドラマシリーズ『ファミリータイズ』(1982年~1989年)でした。主人公アレックス・キートンを演じたマイケルは、この人気ドラマと出会ったことで俳優人生における大きな転機を迎えることになったのです。
「バック・トゥ・ザ・フューチャー」シリーズで大ブレイク
そしてその後、彼の代表作である「バック・トゥ・ザ・フューチャー」シリーズ(1985年~1990年)で、青春真っ只中の主人公マーティを演じることになります。ちなみに起用されたばかりのマイケルは、当時24歳…。この歳で高校生役を演じることになるわけです。
しかし、そのキャスティングは功を奏します。コーラとスケートボードが大好きで好奇心旺盛なマーティ役を見事に演じたマイケル。誰もが持つ少年から大人へと成長する過程で思い悩む心情を見事に表現し、世界中から愛されるキャラへと構築していったのです。
それは当時の現代社会によく馴染んだキャラクターでもあり、さらにはクリストファー・ロイド演じるエメット・ブラウン博士(通称ドク)との絶妙のコンビネーションも手伝って、映画史に名を残す名コンビとなったのです。
この「バック・トゥ・ザ・フューチャー」シリーズの見どころと言えば、マーティとドクがタイムマシンに乗て未来や過去へ行き、自身そして家族、そして社会の変化を目の当たりにしてしまうこと。そして、そこでの葛藤など…。例えばマーティの母ロレインが、未来からやってきたマーティに恋してしまうという淡(あわ)いラブストーリーもあれば、2020年のアメリカでは空飛ぶスケートボード「ホバーボード」が開発されていて、そして自動車は全て空を飛んでいる…などのワクワク感のあるストーリーもあります。
他の出演作品
そんな大ヒット作品「バック・トゥ・ザ・フューチャー」シリーズに出演し、マイケルは瞬く間にハリウッドを代表する人気者になったわけです。同シリーズが公開された同じ時代に、彼は『ティーン・ウルフ』(1986年)や『摩天楼はバラ色に』(1987年)、そして『カジュアリティーズ』(1990年)などの人気作品にも出演していることからも理解できるでしょう。
マイケル・J・フォックスの家族
マイケルがハリウッドスターへの階段を駆け上がっていたのは、1985年~1990年。そんな彼はプライベートでも好調であり、1988年にはテレビドラマ『ファミリータイズ』や映画『再会の街/ブライトライツ・ビッグシティ』で共演した女優トレイシー・ポランと結婚します。
二人の間には長男と双子の娘、そして三女の4人の子供が生まれており、幸せな家庭を築いています。そして現在も、仲睦まじく一緒に暮らしています(最後にそれを証明します!)。
パーキンソン病との闘い
「バック・トゥ・ザ・フューチャー」シリーズ以降は、『ハード・ウェイ』や『ドク・ハリウッド』など、さらに映画出演を重ねていきます。多忙ながらも俳優人生を満喫していたマイケルだったのですが、1990年頃からパーキンソン病を発症します。ですが本人は、1998年までパーキンソン病と闘っていたことを隠していました。
それだけ彼は役者人生に全てをかけていたことと言えるでしょう。発症から1998年の間には、自らプロデュースに参加し主演も務めたテレビドラマシリーズ『スピン・シティ』を含め、映画も10本以上出演し続けました。しかしながら身体のことを優先に考え、2000年には『スピン・シティ』を降板して俳優活動から退いたのでした。
その後、パーキンソン病の研究助成活動を始め、「マイケル・J・フォックス パーキンソン病リサーチ財団」を設立します。また、自らの生い立ちやパーキンソン病との格闘を綴った自伝『ラッキー・マン』(Lucky Man)を発売し、世界中でのベストセラー作品となりました。
バンクーバー五輪の閉会式で元気な姿を見せる
パーキンソン病と闘い続けているマイケルですが、2010年に行われたバンクーバー五輪での閉会式に彼は姿を見せ、元気な姿を見せてくれました。そんな彼の姿に、彼と同じくパーキンソン病と闘う患者たちの励みになったことは間違いないことでしょう。
また2010年からは、法廷もの・政治 テレビドラマシリーズ「グッド・ワイフ」の第2シーズンより準レギュラー的にゲスト出演するようになります。そこで嫌味な弁護士であるルイーズ・カニング役を見事に演じ、これが高く評価され、2016年第68回エミー賞ドラマシリーズ部門ゲスト男優賞にノミネートされています。このときマイケルは、「病気を利用した最低な男を演じことができて、光栄だった」と語っていました。
2013年9月からは約13年ぶりの主演テレビドラマとなる『マイケル・J・フォックス・ショウ』の放送が開始され、2014年4月まで続きます。また、2014年公開の映画『ANNIE/アニー』では本人役で出演。さらに最近では、2019年公開のネットフリックス映画『See You Yesterday(シー・ユー・イエスタデイ)』で主人公が通う高校の科学教師役で出演するなど、病気に屈することなくポジティブに役者人生をなおも歩んでいるマイケル。
「バック・トゥ・ザ・フューチャー」シリーズが名作であり続けると同時に、俳優マイケル・J・フォックスも忘れられない存在として映画界に名を残し続けることでしょう。そして、いつまでも仲の良い伴侶とともに…。