「会津木綿を使ったパンツは、たちまち売り切れているよ」というのは、ブルックリンにある人気ブティック、「Pilgrim Surf+Supply(ピルグリム サーフ+サプライ)」のオーナー、クリス・ジェンティルさんだ。
ブルックリンのウィリアムズバーグにある、天井が高い店舗にはサーフボードとメンズ、レディースの衣料品、そしてキュレートされたグッズが並べられており、その一角に会津木綿を使ったパンツやシャツが下げられている。
この新店舗は、オリジナルの店舗よりもはるかに広々として、バックヤードがあるのも気持ちがよい。商品のラックひとつからクリスさんみずからがデザインした特注の物を使っている。サーフィンを愛し、自然を愛しながら、気持ちよく都会生活を送るアイテムを提案している。
「Pilgrim Surf+Supply」では、会津木綿を用いたウェアを2019年から採用。すでに6シーズン目となっている。
「アイズ・イージーパンツ」はメンズ、レディースともに、会津木綿といわれてみないとわからないほど、アメリカに溶けこんでいるが、「実際に触れてみて、履いてみると、その良さがわかる」とクリスさんはいう。
「ピルグリムのコンセプトの根底にあるのは、ワークウェア。機能的であり、実用的であり、その上でデザインがいいものを選りすぐっています。会津木綿はまさに労働者が生み出した布地で、頑丈で年月に耐え、実際に使えるもの。実際に自分自身も履いていて、これは良い布地だと感じています。とても履きやすく、乾きやすいし、心地いい」
会津木綿は幅が38センチと非常に狭い。そのためパンツひとつ作るのに約6メートルもの生地を使用するのだが、イージーパンツは315ドルとリーズナブルな価格だ。
会津木綿の魅力は実際に履いて、洗って、乾かしてみて、より肌になじんでいく肌触りと、何度洗っても型くずれしない丈夫さにある。
機能性とデザインの両方を取りこみたいニューヨーカーにぴったりだ。
Pilgrim Surf+Supply
会津木綿を日本からアメリカに紹介した立役者が、「ヤンマ産業」代表の山崎ナナさん。山崎さんは会津木綿を使用したファッションブランド「ヤンマ」のデザイナーであり、120年の歴史をもつ会津木綿工場「はらっぱ」の経営者だ。
まず、「会津木綿」の特徴とは何なのだろう。
「会津木綿は、盆地気候の会津でも冬は暖かく、そして夏は涼しく着られるように工夫された布なんです。野良着として着られていたので、とても丈夫です。先染めの糸を使っているので、ほぼほぼ色落ちしません。汚しても、どんどん洗濯して、毎日着られる素材なんです」
会津木綿は会津郡(現在の福島県西部)に伝わる布地で400年の歴史を持ち、長らく野良着に用いられてきて、厚みのあるふっくらした質感が特徴だ。
山崎さんは日本の良い品をアメリカでも伝えようと、2015年ブルックリンのウィリアムズバーグに、器と布製品のセレクトショップ「サンガ」をオープン。会津木綿のストールも披露した。
当時、近くに「Pilgrim Surf+Supply」があったので、「ここで乾きも早く、軽くて丈夫な会津木綿を使って欲しい」と夢見ていたという。その後、縁があって会津木綿をプロモーションすることができて、素材としてあつかわれるようになった。
「会津木綿はできあがるまで、たくさん人の手がかかっています。うちの製品は糸を仕入れた以降は100%トレーサビリティがあります」と山崎さん。
長い歴史をもつ会津木綿だが、今や織元は三軒のみとなり、山崎さんはそのうちの一軒、120年の歴史がある原山織物工場を、先代から2015年に引き継いで、現「はらっぱ」として経営している。
会津木綿の生地作りは、糸染めから始まる。
ぐるぐると束になった状態の糸をカセといい、この状態の糸に染液を噴射して染色するのを「カセ染め」と呼ぶが、会津木綿ではその技法をもちいている。
タービンに巻いた糸を染料にドボンと浸す「チーズ染め」と呼ばれる方法に比べると、効率はよくないが、「カセ染め」はムラなくしっかり染め上げられ、本来の風合いも生かせる。
そのあとに会津木綿のキイポイントともいえる作業として、糸に強く糊づけして、伸ばす工程がある。
「糊づけした糸を、竹竿に通して乾すことで、重力によって糸が伸びきった状態にします。重みでひっぱられた糸を、乾いた糊が固定するので、糸を最大限伸ばすことができるのが特徴なんです」
機械を使わずに、糊付けして竹竿に乾すというローテクな手法で、糸を伸ばす先人の知恵に感心する。
つぎにその糸を織るのは、旧式なシャトル織機だ。現在、主流となっているコンピュータ制御のシャトルレス織機に比べると、布を織るスピードは10分の1以下だという。
「それでも使うのは、シャトル織機でなければ、会津木綿にしかない風合いが出せないからです。ゆっくり織るために独特な密度の布を織ることができるんです」
「はらっぱ」の工場では、トヨタ創業者である豊田佐吉が作った豊田自動織機をいまだに使用している。
稼働しているシャトル織機は26台。さらに使えなくなってはいるものの、他の織機が故障した時に部品とりのために予備の織機4台所有していて、大事に使い続けているのがよくわかる。
このシャトル織機で織られた会津木綿は、幅が38センチと狭い。
そうやって織りあがった布は、糊付けされたバリバリと堅いものだが、これを洗って乾かすと、8%ほど生地が縮んで凹凸のある質感の布になる。
「このふわふわが空気を含むために冬は暖かく、また通気性がよいので夏は涼しく着られるんです」
ヤンマでは縫製された衣服を、わざわざ家庭用洗濯機でいったん洗って乾して縮ませてから出荷しているので、そのあと縮みにくいし、色褪せもほぼしないという。
これだけ多くの工程を経て、布ができあがっているのだ。
伝統工芸を継承する山崎さんだが、なにも最初から会津に関係があったわけでも、アパレル企業に勤めていたわけでもない。意外なことに、そのルーツは、東京芸大時代にコンセプチュアルアートを学んだことにあるという。
芸大時代には舞台衣装を手がけてきた経歴をもつが、「ファッションは好きですが、ファッション産業は嫌いでした」と語る。コンセプチャルアートではつねに社会問題を視野にいれて、いかに人々の意識や見方を変えていけるか徹底的に考えてきた。
一方、ファッション産業では安い労働力を使って大量生産をして、セールをしたり、廃棄をしたりするというサステナブルでない現状がある。そこでムダが出ない受注生産という形式を選ぶことにして、服のデザインも布になるべくムダを出さないスタイルを追求して、2008年に「ヤンマ」を起業した。
ヤンマのデザインは、ほぼ直線で、ムダがない。「自己表現は芸大時代にやりつくしたので、もういいんです(笑)」と言う山崎さんだが、ムダが出ないデザインを駆使しながら、38cm幅という制約を楽しみつつ、着た時にきれいに見えるでき上がりにはこだわりを持っている。
デザインはシンプルで、サイズもワンサイズでありながら、痩せて小柄な人からふくよかな人まで着こなせるスタイルだ。
受注生産は当時、かなり無謀ともいえる試みだった。縫製工場では、小ロットで発注することができないので、まとまった受注数がなければ生産できない。ところが山崎さんはここで逆転の発想をした。ならば、少しの数でも受注してくれる縫子を探せばいい。
そこで高齢者の方に縫製してもらうことを考えつき、武蔵野市役所のシルバー人材センターで募集した。シルバー世代であれば、多くの女性が針仕事をでき、おばあちゃんたちにとっては勤めなくても小づかい稼ぎができるというウィンウィンな雇用形式だ。
そして6点からでも縫製できるという小生産体制で、
「おばあちゃんが手作りする」
「作った人の名前がタグに記されている」
という特徴のあるブランドが立ちあがった。
現在では初期メンバーであったお年寄りたちは世代交代しているが、受注会で注文して、数カ月から半年後に届けるという形式は変わっていない。
山崎さんが工場を受け継いだときは糸の染め方もわからず、織機の故障をどうしていいかもわらず、試行錯誤の連続だったという。
だが一方、新参者であったために、今までにない発想で改革もできた。それまで完全に経営陣が家族で、家屋も敷地内にあり、給料が必要ではなかった。
「しかし私が引き継ぎ、事務職に家族以外の社員を入れたことによって、それまではいうなれば、家族が食うに困らなければいいという感じでやってきた経営を見直す必要がありました。給料を払わなければならないので、商品の値段を上げるしかなかった。それでまず、生地自体の値段を50%あげました」
それまで土産店で安価なお土産品などに使われ、卸価格も低く抑えられていた会津木綿商品を、高額な商品に切り替えたのだ。
「昔は社員旅行だとか団体旅行だとかで観光客がやってきて、ばらまき用のお土産を買っていたわけですが、もはやそういう時代じゃない。もっとその地方特有の良いものを自分や大切な人のために求めるんじゃないか。自分用にだったら、なにを欲しいかという視点で商品を考えてみました」
そこで1万円前後するエプロンやバッグを用意した。土産店では当初は「そんな高いモノは売れない」といわれたが、実際に置いてもらっているうちに売れて実績がついていった。1万円の商品が一個売れれば、500円の小物を20個売るのと同じ利益になる。
低価格帯商品を切って、新たなデザインで現代にアップデイトし、会津木綿の布のバリューじたいを上げたのだ。
ソーホーにある「Blue in Green(ブルー・イン・グリーン)」にも、今年の夏から会津木綿が上陸する。
同店は、質が高い日本製のメンズウェアをあつかっているセレクトショップだ。2006年に日本製のデニムをニューヨークで販売しだした先駆者であり、セルビッチデニムのメッカとして名高い。現在、日本製のジーンズは10ブランドとりあつかっており、300ドルほどの値段帯で出している。
Blue in Green
アメリカのメンズウェアで、日本製の素材が注目されるようになったのは、やはり岡山産のセルビッチデニムがきっかけといえる。
セルビッチデニムは、先ほど説明したシャトル織機で作られ、表面に凹凸(ネップ)の風合いが生まれるので、履きつづけるほどに経年変化して色落ちが楽しめ、量産デニムにはない魅力がある。この生地の端のほつれ止めの部分がセルビッチ(耳)と呼ばれるゆえんだ。アメリカではもはや存在しなくなったセルビッチデニムを少量生産しつづける日本製ジーンズは、アメリカのデニム愛好家の間では大きな関心を呼んだ。
「ブルー・イン・グリーン」では、岡山児島のアパレルメーカー「KAPITAL」(キャピタル)や同社の「KOUNTRY」(カントリー)の服やアクセサリーも人気があり、また久留米絣を使った「坂田織物」のウェアもあつかわれている。
古着を表す「BORO」という日本語もすでにアメリカでは浸透していて、「キャピタル」のボロを使ったパンツは986ドル、パッチワークをほどこしたジーンズは2500ドルという高額商品だが、ニューヨークではこだわりある高額商品を買う層がいるので、高額な製品も必ずファンがつく。
この「ブルー・イン・グリーン」でも今夏から会津木綿のヤンマ製品がトップス、ボトムス、ストールといった10数点ほどのアイテムが販売されることになり、バイヤーの浜野直城さんもアイデアを出して和服のエッセンスを取りいれた「サムエ・ローブ」(480ドル)もあらたに考案された。
「ニューヨークで暮らしてみて、自分でも気づいたのは、ダイバーシティやジェンダーのことです。自分が女だからヤンマでも、無意識に女性ものをつくってきていたんですが、ニューヨークに来て、ジェンダーレスというコンセプトが入ってきたんです。
特に会津木綿は老若男女国籍問わずに紹介したいので、(浜野)直城くんから色々アドバイスいただき、本腰入れてYAMMAMAN(ヤンママン)をローンチする流れになりました。アメリカではサイズが違うので、三度ほど試作品を作り変えましたね」と、山崎さんは言う。
「ヤンマforメン、ではなく、ヤンマforマン(人類)というコンセプトで、ジェンダーレス、エイジレス、ボーダレスなお洋服を作りたいと思っています。私なりに、人類と人生をテーマにしてものづくりができたらな、と思っています」
山崎さんが本格的に「ヤンマ」の服をアメリカでも売りたいと考え出したのは、パンデミックになってからだという。
幸いコロナ禍でも顧客にむけた販売は落ちなかったが、会津木綿の卸先でのアパレルメーカーでは受注がストップ。より多岐にわたる販路を求めて、この機会にアメリカでの展開も試すことにした。
初めてマンハッタンにあるセレクトショップ「H.P.F, Christopher(エイチ・ピー・エフ, クリストファー)」でポップアップを開催。そこでの手応えからトレードショーやテキスタイルアートセンターでの展示販売、そしてロスやサンフランシスコでのポップアップに参加した。
「日本ではレディースが主流だったのですが、アメリカではメンズでも手応えを感じます」と、山崎さんは語る。
そして2022年、「ヤンマ」はNY拠点のタイダイウェア「PeaBoy(ピーボーイ)」と協業した新ブランド「Yampea(ヤンピー)」も誕生。 こちらはタイダイを生かして、ストリートウェアのテイストを取りいれている。シンプルでナチュラルながら、タイダイの個性が強く、ユニセックスの商品展開だ。
ウィリアムズバーグにあるグリーンショップ「Geometry Gardens(ジオメトリー・ガーデンズ)」でもポップアップを開催した。タイダイを生かしたヤンピーの作品は、「The Noguchi Museum(ノグチ美術館)」にも納められている。
では、日本の伝統工芸の魅力とは、何なんだろう。
「日本人には、新しいものは野暮で、使い込んでこそ味が出て、自分のものにするのが粋だという美意識が昔からあり、それはまさに今で言うサステナビリティの考え方ではないかと思うのです」と山崎さんは語る。
「たとえば38センチの小幅の生地をつぎたし、着物やモンペを作ると言う考えかた、布をむだなく使い切るもったいない精神も、日本人のエコロジーに対する考え方だと思います」
今やシャトル織機を使っている織物会社は世界でも数えるほどだが、日本には何軒も残っていて、古い機械を磨いたり修理したりして使い続けており、その風合いはアメリカやヨーロッパでも評価されるものとなってきている。
「思想や哲学は、人種が変わっても共有できるものだと思っています」と山崎さん。
そして、さらにこう続ける――「会津木綿は、何百年も前の布がいまだに博物館にあるほど、本当に長く着られる布なんです。日本人は、自然を敬い、共生やエコを考え、生産に対する誠実さみたいなものが常に求められてきたので、そういった哲学を、会津木綿を通して伝えていけたらと思っています」
自然と共生すること、もったいと感じること、ムダをなくして誰も犠牲にせず誠実に生産すること。これはまさに今、世界で求められている価値観と言える。
長い時間をかけて日本が育んできた伝統ある布地の魅力は、今こそ価値をもって、さらに世界に広がっていくに違いない。
「“ヤンマ for メン”ではなく、“ヤンマ for マン(人類)”というコンセプトで、ジェンダーレス、エイジレス、ボーダレスなお洋服をつくりたいと思っています。私なりに、人類と人生をテーマにしてものづくりができたらなと思っています」
ヤンママンのポップアップに訪れたのは、ほとんどがアメリカ人の客たちであり、会津木綿という素材じたいに興味を示していた。そして、ソーホーに住む女優ケイティ・ホームズが訪れて、パンツとバッグをお買い上げしていったという…。まさに、ユニセックスにアピールするラインだ。
【取材協力】
ヤンマ産業
公式サイト
Pilgrim Surf+Supply
公式サイト
HARAPPA
公式サイト
Blue in Green
公式サイト
Geometry Gardens
公式サイト
Photographer / Takako Ida Goze
公式サイト
Ellie Kurobe-Rozie
東京都出身。早稲田大学第一文学部卒業後、ライターとして活動開始。『Hot-Dog-Express』で「アッシー」などの流行語ブームをつくり、講談社X文庫では青山えりか名義でジュニア小説を30冊上梓。94年にNYへ移住、日本の女性誌やサイトでNY情報を発信し続ける。著書に『生にゅー! 生で伝えるニューヨーク通信』など。