『蛇にピアス』のサディスティックなシバ、『平清盛』で見せた怨み祟る崇徳上皇、そしてCMで見せる人の好(よ)さそうなサラリーマン…。幅広い役を静かに確実に演じてきた井浦新氏の最新作『アンダーカレント』。秘密を抱え、夫が失踪した女性のもとにやってくる謎めいた男性を演じています。そんな井浦氏にロングインタビューを敢行しました。 

これはyouTubeの内容です。詳細はそちらでご確認いただけます。
真木よう子×今泉力哉×細野晴臣 映画『アンダーカレント』予告編【23年10月6日公開】
真木よう子×今泉力哉×細野晴臣 映画『アンダーカレント』予告編【23年10月6日公開】 thumnail
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『アンダーカレント』(2023年10月6日全国公開)

銭湯の女主人・かなえ(真木よう子)は、夫・悟(永山瑛太)が突然失踪し途方に暮れる。なんとか銭湯を再開すると、堀と名乗る謎の男(井浦新)が「働きたい」とやってきて、住み込みで働くことになり、二人の不思議な共同生活が始まる。一方、友人・菅野(江口のりこ)に紹介された胡散臭い探偵・山崎(リリー・フランキー)と悟の行方を探すことになったかなえは、夫の知られざる事実を次々と知ることに。悟、堀、そして、かなえ自身も心の底に沈めていた想いが、徐々に浮かび上がってくる――。

<STAFF&CAST>
監督:今泉力哉『愛がなんだ』
音楽:細野晴臣『万引き家族』
原作:豊田徹也『アンダーカレント』(講談社「アフタヌーンKC」刊)
出演:真木よう子、井浦新、リリー・フランキー、永山瑛太、江口のりこ、中村久美、康すおん、内田理央

公式サイト


人同士の関わりが暖かみにあふれた時代にこの映画はどう観られるのか

Esquire:この作品への出演を決心されたときの動機をお聞かせください。

井浦新(以下井浦、敬称略):今泉力哉監督作品で漫画の『アンダーカレント』が原作で主演が真木よう子さんだと、早い段でお話をいただきました。今泉組は2作品目の参加になるし、真木さんとも映画での共演は2回目。真木さんはできることならば共演したい俳優さんですから楽しみでしたし、原作を読んでこれは今泉監督の世界観で料理していくと、とても親和性がある作品になると思いましたね。

Esquire:難しそうだと感じませんでしたか?

井浦:「難しさ」というより、「魂削ってやる仕事だ」と思いました。今は(役が)自分とかけ離れているから難しいといったような感覚はなくなってきていて、自分にないことをやってることのほうが刺激的で楽しかったり、自分には理解できないからお芝居を通して知っていこう、やってみたらどんな気持ちになるのだろう? 「わからないから、とにかくやってみよう」という感じなのです。「難しさ」があるとしたら、そこですね。同時に、それこそが刺激的で好奇心をくすぐられる点でもあります。

arata iura actor looking at something
Shun Yokoi
ジャケット9万7900円、シャツ3万9600円、パンツ7万1500円(ATON / ATON AOYAMA TEL:03-6427-6335)

Esquire:演じられた「堀」は、外に向かって感情を表出させない人物。演じてみて、彼は人に対しての優しさから自分を出さないのか、それとも自分のエゴとして出せないのか…どう捉えられましたか。

井浦:僕が今の時点で感じているのは、「怖さ」や「弱さ」からだと思っています。自分の過去を知られたくない悟られたくない。でも、(町の古株的存在)サブ爺(田島三郎 演:康すおん)の優しさや思いやりや気遣いでつい彼のペースになって話してしまうと、「気づかれてしまう」「(隠していたものが)漏れてしまう」といった怖さを多分に抱えている。だから、必然的に口数も少なくなるでしょうし、人と深く関わることをやっぱ自分から拒絶していると捉えています。

Esquire:一番印象的だったのが、正座してかなえと面と向かってご飯を食べるシーン。こちらまで緊張して動悸がしてしまうようなシーンでした。彼がどういう心持ちだと思ってシーンを演じられたのでしょうか。

井浦:どちらかというと緊張してるから、正座になっちゃってるんでしょうね。ちゃんとしてるように見せようということではなく、きっとあれは堀の生理的な心の態度。「きちんとすること」による防御だと思います。

井浦新 arata iura esquire アンダーカレント
(C)豊田徹也/講談社 2023「アンダーカレント」製作委員会

Esquire:この物語と違い、今は他人に寄り添うこと自体が否定されてしまっている気がします。

井浦:簡単に、すぐに、さまざまな情報を手に入れることができて、簡単に自分の思いを匿名で伝えることも、誰が見ているかも分からないけど、自分の言葉を伝えたりもできる。そんな時代と、コミュニケーションツールもまだまだアナログだったバブル崩壊直後の90年代は、まるで重ならないように思えるのに、見立てによってはこの作品の他人との関わり合い…つまりは、誰かへの眼差しとか人の温かさみたいなものは、やはり普遍的なものなのだなとも思わされます。どんな時代でもそれが希薄になるのであれば、こういった作品は重ね合わせて見られるでしょう。じゃあ逆に、希薄ではなく本当に人の関わりが暖かみにあふれた世の中になっている時代に、この映画はどうやって観られるのだろうなとも思います。

Esquire:逆に、そんな時代は来るのでしょうか。

井浦:本当にそんな時代が来たら最高なのですけど、もしかしたら、どんなに経済が豊かでも、逆に経済が不安定だったとしても、経済は人と人の関係に影響を及ぼしてしまうような気がしています。では、どうすればその影響を乗り越えて豊かな人間関係や、懐の深い優しい社会といった、助け合えるような社会ができるのだろうか。その疑問ひとつとっても、今作品はヒントになりそうな気がます。

「当たり前の家族」を「当たり前」と思わせてくれていた親がどれだけ特別で素晴らしいか

Esquire:例え余裕がある社会だったとしても、何かが違えばこの作品にあるようなコミュニケーションは成立しません。他者との関係性を拒絶しない状態がデフォルトになるためには、何かの工夫が必要だと思います。何があれば他者との関わりに期待できるようになるのでしょうか。

井浦:個人個人違うものだとは思うのですが、堀にとってサブ爺の存在は、ギリギリ自分の過去と社会をつなげてくれる「ハブ」のようなものだと思います。タバコ屋のおっちゃんで、そこだけは変わらずあの町の移り変わっていく姿をずっと観てきて、子どもの頃からどんどん成長していく人たちを見続け、それぞれと関わり続けている人――。サブ爺自身も寂しい何かを持っているかもしれませんが、そういう存在は大切です。

そんな人が近くにいることは本当にラッキーで幸せなことなのだなと、年齢を経て思います。あんな都合のいい人が、誰にでもどんな地域にでもいるわけではないので。「他人は関係ない」じゃなくて、うざったいと思うかもしれないけど、それでもいつも自分を観てくれている…言ってみれば、「親」のような眼差しを向けてくれている人は本当にありがたいんだなと、堀を演じて実感しました。

Esquire:井浦さん自身にはそういう方はいらっしゃいましたか?

井浦:僕の場合は、完全に実の親がそうでした。いつでも暖かく見守ってくれますし。

Esquire:でも、親が必ずしもその「親的」な役割を果たすわけではないですよね。

井浦:本当におっしゃる通りで、全ての家族に親はいるわけですが、そんな「親の役割」が常にあるわけでもありません。だから僕は、本当にラッキーだなと思います。必ずしもそうではないということを、大人になってどんどん知っていきます。「当たり前」の家族というものを「当たり前」と(親が)思わせてくれていたことが、どれだけ特別で素晴らしいか、自分が大人になってから気づいたりしますよね。子どもの頃は逆に当たり前すぎる家族像が――例えばサザエさんみたいな家族像が…――「普通すぎて嫌だ」と考えることもあるでしょうし…。

actor iura arata with a city in the background
Shun Yokoi

実際に手にし、目にして、触れることの大切さ。電波に乗らないモノがたくさんある

Esquire:かつてはコミュニケーションのツールもすごくスピードが遅く、範囲も狭かったので、思いやれる「他人」の範囲も限られていたものが、今はツールを使って繋がることで、考えを及ぼすことのできる会ったこともない「他人」が地球の裏側にいたりする。90年代から今の2020年代に至るまで過ごされてきて、「他者」の範疇が広がってきた感覚はありますか。

井浦:「広がりをしっかり感じるからこそ、一番近くにいる手の届く範囲をしっかり考えることがどれだけ大事なのか」、なおさら分かるようになりました。世界中に何かを伝えたり訴えたり貢献したりできるツールがものすごく増え、海の向こうで何かの必要を求めている人たちのことも、調べればすぐに知ることができます。本当にいろんなことの距離感が、電波を通してものすごく近づいていくことになりました。ですが、だからこそまだ「便利ではない時代」からやっていた「個」だったり「家族間」だったり、「お隣」だったり「ご近所」だったり、そういった手の届く範囲内のコミュニティがまずみんな幸せなのか? 笑顔なのか? といったことがきちんと確認できて、その小さな小さな手の届く範囲内の幸せを確かめあえたり、安否を気遣いあえたりとかすることがやはり大事ではないでしょうか。そうすることで、それぞれに心を寄せ合ったりする誠意が伝染していくのではないかと…。便利で何でも簡単にできる時代にしては真逆のアナログなやり方ですが、だからこそこういうやり方がより確かなものなのだということを押し進めてはじめて理解できることがたくさんあると思います。

時間かけて手間暇かけてその地に行ってみて見ないと本当は分からない

井浦:実際、人がその地で何をどう求めているのか? 何に苦しんでいるのか? 何を喜びに感じているのか? は、時間をかけてそこに行ってみて見ないと本当のところは分からない。欲しいものをネットで検索して、出てきたものをポンと手に入れることもできます。でも、例えば音楽だったら、配信で何でも手に入るように思われますが、実は配信はまだ一部でしかなくてもう絶版になっている音楽なんて、レコードしかなかったりもします。テープにしかない曲だってある。レコードもオンラインで「あったー!」と見つけて、地球の裏側から取り寄せられて実際手にとったら針飛んでちゃんと聴けないし…みたいな。それがあるところに行って針落として聴いてみて、試聴して、これはちゃんと聴き続けられる盤であることを確かめるためには手間暇がかかる。

一生大切にできるものとか、愛情込めて付き合っていけるものを手に入れるのは、面倒くさい。だから、そういう幸せを得ることも喜びを分かち合うことも正直簡単にはできなくて手間暇かかるのです。簡単に手に入れられるような感覚に陥りがちですが、実際その本質は、時間をかけて、手の届く範囲をちゃんと人が人と関わり合って支え合い、少しずつ拡散されていって、いろんな地域でそれが同時多発的に生まれていくということなのかな…と。

actor iura arata looking at the camera
Shun Yokoi

Esquire:その場になるべく行かない、コストをかけない方法論を考えがちですが、やはり直接その場に行くと得られる情報量などが全く違うということに、COVID-19の流行を経て実感しています。以前、私たちエスクァイア日本版でも取り上げた「Kruhi(クルヒ=環境負荷を低減させたヘアケア)」の記事でも、井浦さんはすごく地に足のついた取り組まれ方をしているという感覚がありました。どういう過程を経て、そういう自分にたどり着けたと思いますか?

井浦:すっごく時間かかりますよその話(笑)。でもそうですね、突発的にひらめいたからではなくて、自分がどう生きてきたのか? 何を大事にしているのか? もしくは、何に傷ついたり苦しんだりするのか? それでもなお、何に喜びを感じているのか? 何が幸だと思うのか? できることとできないことは何なのか? これらの問いかけが重層的に存在したからこそ、「今の自分ができることはこれなんじゃないか」と、一定の答えにたどり着けたと思います。僕らの「Kruhi」の場合は、自分だけではなくて、家族でいろいろなことを実践しているのですが、やはり理想のものになかなか出合えないこと、しっかり選んでいるつもりが騙されるとか…そんなこともやはりあるので、歯がゆさは感じます。

Esquire:いわゆるグリーンウォッシュは、トレンドなのではないかと思えるくらいです。

井浦:そうですね。切実な問題なのに、いまだにビジネス推しで考えることがやはりあるんだなと寂しい気持ちになります。

Esquire:ビジネスにならなければ続かないので、環境のためにはそれも必要だけれど、動機の根底までビジネスであることを肯定してしまっていいのか考えることがあります。

井浦:環境保全に参加している気分になっていたけど、いつまで経っても「実は全然していなかった」という人もいるでしょう。また、「何のために自分がそれを選んで購入するのか」「どこにお金をかけるのか」といった(ビジネスの)捉え方でも変わってしまいますよね。「Kruhi(クルヒ)」は2022年にローンチしましたけど、去年気づいたからやろうと決めたわけではなくて、僕自身東京の田舎の山のほうで生まれ育った環境があり、年を重ねていくと、自分が好きなものが自然の中でのアクティビティであることがわかってきたりする。若い頃は無条件に自然を楽しんでいたものの、ある程度の年齢になると人間が自然の中に入ればネイチャーアタックになってしまうことや、それでも自然の中に入って人間の野生性に気づく必要性やそこで得る喜びと、どう折り合いを付けるかを考えるようになりました。僕らが10代後半~20代前後の時にオゾン層の問題とかが話題に出始めましたよね。それからもう20数年経っているのに、いまだに解決できていない。すぐに消費して、すぐに壊れて、すぐ捨ててっていう社会はあまり変わっていない。かといって、そこに合わせていたら何も変わらないし何も良くならない…。そうすると今きちんとできる自分の活動ってなんだろうと考えると、まずは手の届く範囲の人たちの健康なのではないかと。そんな気づきにはなります。

Esquire:この作品自体も、自分の中の生活を見直す、足元を見るという視点で思い返すと、人とのコミュニケーションは本来どんなものだったのか、顧みるきっかけになるようなシーンがたくさんありました。

井浦:そこまでキャッチしてくださったら、すごくうれしいですね。他者から見た自分だって本当のあなたで、それを「自分自身も受け入れられるか」の違いだけ。「本当の自分なんかいつまで経ってもわからないし、本当の相手の気持ちなんていつまで経っても絶対に分かってあげることなんかできない」とは思うんですけど、でも誰かに寄り添ってあげることはできたりもする。誰かと関わり合ったりしていくことで自分が気づいてなかった自分と出会えて知ることになったりとか、人間は他者との関係で形作られるということもよくあります。「自分が持つさまざまな側面も、恐れるものではなく、それもあなたで、これもあなたで、だからあなたのままでいいんだよ」って、そんな優しい気持ちになれたらいいですね。これは諦めとか開き直りとかじゃなくて、自分を肯定してあげれるかどうかという話。背伸びしたら疲れちゃうし無理しちゃうし、心が壊れちゃうから、今の自分を肯定してあげる。映画を観た人たちが、そう考えるきっかけになるとうれしいです。

actor arata iura looking at the camera
Shun Yokoi

Profile 

井浦新(いうら・あらた):1974年生まれ、東京都出身。1998年に映画『ワンダフルライフ』に初出演。『11・25自決の日 三島由紀夫と若者たち』(2012)で日本映画プロフェッショナル大賞主演男優賞、『かぞくのくに』(2012)でブルーリボン賞助演男優賞を受賞する。今泉力哉監督作品は、『かそけきサンカヨウ』(2021)に出演。近年の主な出演作は、『朝が来る』(2020)、『恋する寄生虫』(2021)、『麻希のいる世界』『ニワトリ☆フェニックス』『こちらあみ子』(2022)など。NHKでは長年芸術番組の司会を務めた経験があり、2022年環境負荷を低減させた生分解性の高いシンプルなヘアケア「Kruhi(クルヒ)」をローンチさせるなど多彩な活躍を見せている。 

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Photo: Shun Yokoi
Styling: KENTARO UENO
Hair&Make: NEMOTO(HITOME)
Edit, Interview&Text: Keiichi Koyama(Esquire)