米誌『PLAYBOY(プレイボーイ)』の表紙を飾った歴代の美女たち ― 66年の歴史に幕を閉じる
マリリン・モンローにマドンナ…、キム・カーダシアンとリンジー・ローハンからハイディ・モンタグまで、時代の象徴となった美女たちがカバーガールを務めてきました。
これは、一つの象徴的な時代が終わったことを示唆していると言ってもいいかもしれません…。
2020年3月、米国を代表するカルチャー誌『PLAYBOY(プレイボーイ)』が、紙媒体の発行を2020年春号をもって終了することを発表…そんなショックなニュースが、世界をかけめぐりました。1953年シカゴに故ヒュー・ヘフナー氏によって創刊され、およそ66年間の歴史に幕を降ろすことになったわけです(ちなみに、オンライン版は今後も継続)。
◇ヒュー・ヘフナーによる『PLAYBOY』創刊
学生時代から憧れていた米誌『エスクァイア』のUS編集部で働いていたヘフナー“先輩”は、女性のヌードが掲載された洒落た男性向け雑誌を創刊するアイデアを持ち、1952年に独立します(実は、50年代の『エスクァイア』は戦勝が終結したばかりで、抑圧的なアメリカ国内の風潮に同調するように雑誌も保守的になり、かつて憧れた『エスクァイア』の魅力的な要素が消えていたとヘフナー氏は後に回想しています。一方で、当時洗礼された都会的な男性誌は『エスクァイア』くらいしかなかったと言及し、『PLAYBOY』を発行するにあたって目指す(超える)雑誌であったとも語っています)。
彼は創刊号を出版するにあたって数千ドルを借金し、さらに第2弾が出せるのか彼自身、確信が持てなかったそうです。
そのためと言えるでしょう…1953年9月に発行された創刊号には、日付が入っていないという裏話があります…。初めての中とじグラビア写真は、ノーマ・ジーン(後のマリリン・モンロー)でした。
その写真はマリリン・モンローがカレンダー用に撮影したヌード写真の流用であり、『プレイボーイ』誌のための撮りおろしたものではなかったようです。が、創刊号は即座に話題となり、数週間で売り切れとなりました。1冊の値段は当時50セントで、発行部数は5万3991部だったと言います。
また、ヒュー・ヘフナーは『PLAYBOY』を通して、「性」に対する既成概念に挑んだだけでなく、人種差別に関するコラムを積極的にとりあげ正義についても戦った人物でもあるのです。公民権運動に共鳴し、キング牧師やマルコムXに発言の機会を与えていたのです。
そんな、一つの時代をつくり上げた『PLAYBOY』誌と故ヒュー・ヘフナー氏への敬意を込めて、歴代の表紙を飾ったアイコニックな美女たちを振り返っていきます。
【1980年3月発行】ボー・デレク(Bo Derek)
日本でも映画『テン』で、当時人気となっていた彼女。10点満点…パーフェクトな女性の一人として、デレクが表紙を飾りました。