エミリー・ラタコウスキーが2021年11月9日に出版した新しいエッセイ集の中で、「私の身体が持つパワーとは何か?」「それはそもそも、私のものではないのか?」と問いかけています。

この問いかけはモデル、起業家、女優として活躍し、そこに作家という顔も新たに加わったラタコウスキーの鮮烈なデビュー作、『My Body』の随所に登場します。ラタコウスキーは全12章からなる内省的なエッセイを収録したこの本を発表し、文学シーンへのデビューを果たしました。

それぞれの章では、女性の身体が商品として扱われるときに起こることを個人的な体験を交えて明らかにし、思索しています。第2章「Blurred Lines」では、彼女をスーパースターに押し上げた2013年のロビン・シックとファレル・ウィリアムズがコラボした楽曲『ブラード・ラインズ』のミュージックビデオの撮影現場で起こったことについて書き、性の「搾取」を「エンパワーメント」だと誤解していた21歳の自分自身を振り返っています。

これはyouTubeの内容です。詳細はそちらでご確認いただけます。
Robin Thicke - Blurred Lines ft. T.I., Pharrell
Robin Thicke - Blurred Lines ft. T.I., Pharrell thumnail
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第9章「Buying Myself Back」では、"リアルなエミリー"と "ハイアートなエミリー"の狭間にある問題について考え、自分の画像が同意なく販売、共有された場合に発生する侵害問題について詳しく分析しています。また第11章「Men Like You」では、女癖の悪い写真家に向けて辛辣な公開書簡を書き、モデル業界を仕切る略奪的な男たちを非難しています。

ラタコウスキーは、自分が性的な搾取にあっていると考える一方で、この「妥協の範囲」における自分の共犯性についても認識し、「自分の偽善が頭痛の種になっている」とも述べています。

『My Body』にまとめられたエッセイはラタコウスキーが個人的に、また仕事上で経験してきた性的物象化と女性蔑視についての、感情を揺さぶられるような回顧録と言えるでしょう。またそれと同時に、セクシュアリティ、権力、名声、消費について文化的側面から痛烈に批判した作品でもあります。ですがラタコウスキーに答えを求めようとも、彼女は答えを持っていません。

ラタコウスキーは以下のインタビューで、「私は家父長制の解決方法を知りません」「資本主義の解決策は、私にはわかりません。答えを持っていればいいのだけど…」などと語っています。

『My Body』は彼女の声明というものではなく、政治や権力、自身のあり方についての生涯の疑問を思索する人のポートレートと言っていいでしょう。才気あふれる作家への前段階…覚醒の時期と言えるかもしれません。

『My Body』の発売を前にラタコウスキーは、Zoomで「エスクァイア」US版のインタビューに応じ、進化を続けるフェミニズムや若いモデルへのアドバイス、そして自分自身のストーリーを語ることへのコミットメントなどについて語ってくれました。


エスクァイア:作家として目覚めたときのことに関して教えてください。エッセイを書き始めたのはいつ頃で、そのことでどのように変わりましたか?

エミリー・ラタコウスキー(以下、エミリー): 書くことはずっと好きでした。一時は、著述のための学校に通おうと考えたこともありましたね。結局、大学ではビジュアルアートを専攻しましたが、大学は中退しました。書くことについて、人生の一地点でそれに目覚めました。それは私が26歳か27歳ころ、母が病気になったときです。私は、自分がとても恥ずかしく思っていた経験について、理解したいと思うようになりました。また、女性であることや、自分の処世術などについて自分自身が信じていることを理解したいと思ったのです。書くという行為は、そのための方策のひとつだと感じていました。実際、友人との会話の中では、そんなことはできませんでしたし…。書かなければ自分の考えをまとめたり、視点のニュアンスや複雑な部分を説明したりできなかったのです。しばらくの間、私は自分自身のために書いていました。そして最終的に出版できれば…と、思うほどになったわけです。

エスクァイア:このエッセイに繰り返し出てくるテーマは、「自身でコントロールしたい」、「主体性を持ちたい」という思いではないでしょうか。ハリウッドでの経歴を自己分析し、次のように書いていますよね。「私は自分自身について、さまざまな考えやアイデアを持ち、つくりたいものや言いたいことを持つ、完全で複雑なひとりの人間だと思っていました。『彼らが間違っている』と言いたくて、たまらなかったのです。ただ、まだそのチャンスがなかっただけなのです」と…。『My Body』を書いた今、人々が間違っていることを証明する機会を得たと感じますか? あるいは、自分自身の完全で複雑な部分を表現することができたと感じますか?

エミリー:ええ。間違いなく、何かをつくる、そしてアートを生むチャンスを得たという感じがしています。これはとても気持ちのよいことです。この本は私自身を、表現しているものだと感じています。そのように皆さんが受け止めてくれるかどうかはまだ、わかりません。ですが私にとっては、ひとりの人間として、「以前よりも完全な存在になった」と感じられる達成感があります。それはとても喜ばしいことです。

My Body: Emily Ratajkowski's deeply honest and personal exploration of what it means to be a woman today

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エスクァイア:そうした受け止め方について言えば、特にアクティビズムということに関して私たちは、微妙な差異に抵抗のある世界に生きているのだと思えます。もちろん、私たちは皆そうなのですが、アクティビストとしての旅をする余地はあまりないのではないでしょうか? 間違っていたり、考えが不完全だったりすると、特に人前では緊張でいっぱいになりかねませんから…。『My Body』では、フェミニストとしてのあなたの旅を紹介していますね。この本を書いているとき、そしてこれを世に出すことを考えているとき、自分のアクティビズムが周知されるという問題に対しては、どのように対処しましたか? その旅を明かすことに、不安はありませんでしたか?

エミリー:理想的なのは、人々が本全体を読んでくれることですが、必ずしも実現しないことはわかっています。そのせいでちょっと寝られなかったりもするのですが、私はこの本の冒頭で、「これは私が長い間、断固として信じてきたことですが、私の意見は変わりました。なぜ変わったのか? その理由を書いた本です」と書いています。

いつかそういうことが、もっと受け入れられる世の中になってほしいと思います。現在、人が「悪いチーム」か「良いチーム」のいずれかに二分されてしまうような状況だと思います。特に左派の人たちは、すべてを正しくしなければならないと思っているようです。私の経験では、すべてを正しくすることなどできません。私は成長している人間です。10年後にこの本を見て、「自分の経験について、全く違う考えを持っている 」と思うかもしれません。進化することは、議論のきっかけとして貢献するという意味でとても重要だと思います。結論としては、「進化することは素晴らしいこと」ということなのですが、自分が正しいと思っていても、「もしかしたら、すべて変わってしまうかもしれない」と思いながら自分自身を出していくのは、とても怖いことでもありますね。

エンパワーメントの意味、出産を機に得た変化

エスクァイア:この本では、エンパワーメントという概念と、その言葉とのあなたの関わり方の変化がよく取り上げられています。あなたは、「真のエンパワーメントとは、どのようなものでしょうか? 求められていると感じることですか? 誰かに注目されることですか?」と問いかけています。私たちは、あなたが人生のあらゆる段階で、この問題に取り組んでいるのを見ています。今のあなたにとって、真のエンパワーメントとはどのようなものでしょうか?

エミリー:「エンパワーメント」について語るのは難しいですね。この言葉は一人歩きしすぎて、そもそもの意味すらわからなくなっている気がします。私はモデルとしての地位を得ることで、紛れもなくパワーを得ました。そこには、経済的な成功もありました。この本についてあなたに話すことができるのも、本を出版することができるのも、私が「有名な女性」だからこそできることなのです。私は自分の身体を利用して、名声を得ました。この本を読むと、私がそのことを意識していないと思われる可能性があるので、その点は明らかにしておく必要があります。そのような印象を持たれないことを願っていますが、この本では、私がパワーだと考えている他の部分に焦点を当てています。私のパワーの源泉は、私という存在そのものです。が、書くことによって、制作また創造物によって自分のストーリーをコントロールすることによって、エンパワーメントの意味をより深く理解することができたと言えます。

エスクァイア:自分の身体からの分離感について書いていますね。自身の存在感、あるいは身体との一体感を感じさせるものは何でしょうか?

エミリー:私はまだ、その問題に取り組んでいます。これまで、ずっとこの分離感にさいなまれる生活を送ってきました。自分の身体との一体感が、全く感じられないときもありました。いまではニューヨークの街を歩くことに、喜びを感じます。食べることにも、喜びを感じます。確かなこととして、妊娠して息子を出産したことで自分の身体を改めて尊重するようになりましたね。そのおかげで、自分の身体をコントロールする必要性や、自分が管理しているように感じたいという欲求を手放すことができました。ですが、それは私にとってまだ途中経過であり、これからそうならなくなるのかもわかりません。

エスクァイア:母性と妊娠について言えば、最後の出産についてのエッセイは、とても生々しい感覚になりました。それは同時にとても美しく、原始的なものにも感じました。あなたは男性が女性の人生のステージに対して、非常に縮小的な見方をする傾向があることを書いています。「男性は女性を、性の対象から母親、そして目立たない存在へと追いやっている」と主張していますね。母親になったことで、この問題に対する考え方はどのように変わりましたか?

エミリー:私はこの点については、まだ経験があまりありません。私の息子はまだ8カ月にもなっていません。「母性について書きたい」という衝動を抑えたときもあります。それは自分が、まだ十分な視点を持っていないと思うからです。とは言え、この世界で女性が果たすことのできる役割については、改めて理解できたように思います。私は、息子の出産と同時にこの本も出版しました。人の命に責任を持つようになっただけでなく、自分の話をしたり、何かをつくり出す人間になったことで、この2つのことが現在の文化で示されているものを超えて、女性のライフサイクルに対する新たな理解を与えてくれました。

エスクァイア:「Buying Myself Back」では、「それまでインスタグラムは、世界に向けて自分をどう見せるかをコントロールできる唯一の場所であり、自分の自律性を守るための聖域のように感じていた」と書かれています。あなたのソーシャルメディアとの関係は、この本の中でも重要な位置を占めています。私たちの多くは、このような苦悩を共有していると思います。ソーシャルメディアについて、最近ではどう考えていますか?

エミリー:難しいですね。私はまだ、インスタグラムが自分でコントロールできる場所だと思っています。キャプション、投稿内容、切り取り方など、何でも自分で決められます。私生活をどのように公開するか? あるいは、この本をどのように宣伝するか? は、私が日々模索していることです。私はインスタグラムを使用する際、1時間のタイマー設定を行っています。気がつくと、1時間を超えていることがよくありますね。自分自身を表現する手段を持たなかった過去の女性たちのことを考えると、インスタグラムという媒体があることにとても感謝しています。ただインターネットは、女性が自分の画像をコントロールできなくなる場所でもあります。リベンジポルノの心配をするのは、有名人ばかりではありませんし…。答えがあればいいのですが、私にはわかりません。私はまだ、この問題を理解しようとしている真最中です。

「女性は怒っているときに泣く。
怒るのには理由がある」

エスクァイア:私が興味を持ったエッセイの一つが 、「Men Like You」です。この本のほとんどは一人称で書かれていて、自分の考えを判断するように内省的に書かれていますが、「Men Like You」ではスタイルが異なります。このエッセイではスタイルが直接的な問いかけになっており、他のエッセイとは一線を画しています。違った視点から書くことで、どのような効果がありましたか?

エミリー:本の執筆がほぼ完了した頃、一緒に仕事をしたことのある写真家からメールが届きました。その内容に腹を立てて、かなり生意気で怒りの文面で返信しました。そのとき、「このことは、エッセイとして書く必要があるのではないか?」って思ったんです。その人に対して、言いたいことのすべてが言えなかったからです。とは言え、この本で私の人生に関わった人への直接的な制裁や怒りを向けないように気をつけました。腹が立ったことははっきりと書きましたが、誰に対しても懲罰的なものにならないよう心がけました。一方で、それに疲弊している自分もいましたね。「誰かに対して怒ることを、なぜそんなに恐れているのか?」と自分に問いかけてみたくなりました。もしかしたら、怒ってもいいのかもしれない。その怒りを表現することこそが、重要なことなのかもしれない…と思いながら、それをどうやって文章にし、どう伝えればいいのかを悩みましたね。

エスクァイア:「女性は怒っているときに泣く」、と書いてあったことを思い出しました。「女性が無念さから泣くものだ」という言い伝えは知っています。私たちは怒りを恐れます。それは、怒りが自分たちを変えてしまうことに戸惑うわけですが、怒りが私たちに何かを伝えようとしているときでも、怒りがあって当然なときでも、私たちは感情を鎮めるために泣くのでしょうか?

エミリー:私は、そのことについて書きながら考えるまで、自分が「怒ったときに泣くのだ」ということに気がつきませんでした。それは、自分自身をソフトにする方法だと思います。自分は怖いものではなく、配慮されるべき存在であることは再確認できます。時には怒ってもいいのではないでしょうか。怒るのには、それなりの理由がありますから…。

男性にも読んで欲しい、
女性という身体で生きること

エスクァイア:多くの女性が、この本に自分自身を投影することでしょう。あなたが書いているように、「モデルやインフルエンサー、俳優であろうとなかろうと、すべての女性は何らかの立場を保証されるために、自分のセクシュアリティを利用することがどのようなことかを知っています」。ですが、男性がこの本をどのように受け取るのか? そして、そのページに反映された自分自身をどう見るのか? が気になりますね。男性に、この『My Body』から何を感じ取ってもらいたいですか?

エミリー:まずは女性の経験に、目を向けてもらいたいと思っています。この本は女性の経験について女性のために書かれた本です。でも、多くの意味でこの本を書かなければならないと思った理由は、男性が私の経験に共感したり理解したりすることが少ないことへの苛立ちからでした。私がデートした男性や、私の友人の男性たちへ。「彼らに私の経験を理解してもらうには、どうしたらいいのだろう?」と考えた結果でもあります。男性がこの本を読んで、この世界で女性という身体で生きることの意味を、より深く理解してくれることを願っています。

エスクァイア:先ほどの「活動家としての成長」の話ですが、もしかしたらこの本は、フェミニストとしての彼らの旅の途上の道しるべになるかもしれませんね?

エミリー:私はタラナ・バーク、アニタ・ヒル両氏と一緒に、「Time 100」のパネリストを務めたばかりです。彼女たちは、「ジェンダー暴力や性差別が問題であることを認めるまでに、あと何人の女性が自分自身をさらけ出して、信じられないほど無防備な話をしなければならないのか?」と言いました。それはそれとして、この本が何らかのカタチで人々の意識を変えるものになることを期待しています。

エスクァイア:この本を書くに当たって…女性が自分自身をさらけ出す物語を描いた作品として、あなたに影響を与えた作品はありましたか?

The Reckonings: Essays (English Edition)

The Reckonings: Essays (English Edition)

The Reckonings: Essays (English Edition)

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エミリー: レイシー・M・ジョンソン著の、『The Reckonings』を本当におすすめします。彼女はかつてのボーイフレンドに誘拐されたときの、常軌を逸した体験をつづっています。この本は正義と変化について書かれたもので、それはどのようなものなのか? 自分の身に起こった恐ろしい出来事をどうやって癒すのか? 気候変動の話から、お悔やみの言葉のかけ方、自身の娘の個人的な体験まで、さまざまなことがつづられています。この本は、私自身の中で何かを切り開いてくれました。最初は「世の中にはたくさんの本がある。このほかに、私に何が提供できるだろうか?」と思っていました。ですが彼女が行った場所や、彼女が得ることのできた微妙な差異を見て、本当の意味で刺激を受けましたね。

エスクァイア:これからモデルや女優として活躍する若い女性に、アドバイスをお願いします。あなたは序文で、「若い頃の自分に対して優しい気持ちを感じている」と書いています。自分の後に続く若い女性に対しても、同じような優しい気持ちを感じますか?

エミリー:多いに感じます。私たちは、若い女性に対してとても厳しく接していると思います。22歳の女性のインスタグラムを観て、「なぜ、この女性はこのように自分を表現したいのだろう」と考えるのではなく、自分を表現する方法自体で判断してしまうのです。「私は若い女性にモデルになるな」と言っているのではありません。それは、モデルとして成功することでさまざまな道が開けるからです。私自身、自分のキャリアが私の人生を導いてくれたことに対し、とても感謝しています。とは言え、すべてが華やかさとパワーに満ちているというのは全くの間違いです。本の中で私は、「自分がハスラー(やり手)で知識があり、システムを利用しているように感じた」と書いています。多くの若い女性が、そのように感じています。年上の男性との関係では、私たちは自分が主導権を握っていると思っているでしょう。なぜなら、このような力関係は、世の中の文化の中で覆い隠されているからです。私たちは、女性が若くて美しいことで権力を持っているように見せようと努力していますが、それほど単純な話ではありません。若い女性には、「自分に厳しくするのではなく、自分を休ませるようにしてほしい」と思っています。このような人間関係や力関係について考え、その怖さを理解してほしいと思うんです。

premiere of a24's "uncut gems" arrivals
Axelle/Bauer-Griffin//Getty Images
2019年12月公開の映画『アンカット・ダイヤモンド』のプレミアでラタコウスキーは、プロデューサーのハーヴェイ・ワインスタインが性的違法行為を2500万ドルで和解したことを受け、腕に「Fuck Harvey」と書いて出席しました。

私たちが解決すべき問題、女性たちの自覚

エスクァイア:『My Body』には、「モデルやハリウッド、世界を、どのように変えていきたいか?」という明確な主張はありません。あなたは序文で、「自分は現在進行形であり、すべての答えを持っているわけではない」と書いています。ではこの本を、「変化のためのロードマップ役にもなる本にしたい」と思ったことはあるでしょうか? それとも、それは避けたかったのでしょうか?

エミリー:それは避けたかったことです。というのも、私は家父長制を解決する方法を知らないからです。資本主義をどうやって解決したらいいのか、私にはわかりません。私に答えがあればいいのですが。例え答えがあったとしても、何が問題なのか? 皆が納得しなければ解決に向けて取り組むに至らないでしょう。私がこの本で目指したのは、言葉にならない、あやふやではっきりしない状況を、できるだけシンプルに整理して、明確に感じてもらうことでした。モデルであれ、貧困にあえぐ若い女の子であれ、さまざまな人とのやりとりにかかわる要素を、男性にも女性にも理解してもらいたいと考えたのです。

エスクァイア:多くの女性は誰かがその真実を教えてくれるまで、自分の身に何か恐ろしいことが起こったとは気づかないものではないでしょうか?

エミリー:それは、私の経験でもあります。高校時代、男の子とデートしたときのことはこの本にも書いています。それは迷惑な関係のように感じられ、安心できず、いろいろと不安になりました。女友だちに相談して、初めて実際に何が起きているのかがわかったのです。この本を読んだ人から、「あれはストーカーだ」と言われたこともあります。15年前に自分の身に起きたことを書いているのに、「ストーカー」という言葉を使ってもらえたことで、これまでの年月分の安心を得た気がしました。「そうだったのか…。あれはストーカー行為だったんだ」って、曖昧さが解けた思いでした。書くことで、自分自身について多くのことを学び、展望を得ることもできるのものだと気づきました。

エスクァイア:この本の中で最も魅力的な文章の一つは、最後のほうにあるこの呼びかけです。「私は自分自身に、もっと多くことを求めています。それができないすべての女性のために、私は間違いや矛盾をすべて公表します。名前を知られることなくミューズと呼ばれ、その沈黙を同意と勘違いされたすべての女性のために…。私は彼女たちの存在があってこそ、ここまで来られたのです」と、つづっています。ここまで、この本が若いモデルや女優にとって、どのような意味を持つか?という話をしてきましたが、もっと日常的な生活を送っている女性にとっては、どのような意味を持つことを望んでいますか?

エミリー:私の経験は、私の経験でしかありません。他の人の経験に対して、思うことを書こうとは思いませんでした。つつしみ深さが重要視される宗教的な家庭で育つことが、どんなことなのか? 私にはわかりません…それは、私が経験しえなかったことなので。私はこの本が、西洋文化の核となる理想、特に美や女性を物象化することに光を当ててくれることを願っています。また、自分の選択か、生来のものかにかかわらず、全く違う人生を歩んできた女性にも、「女性の経験の中の普遍性を認識してもらいたい」と思っています。

今後の展望

エスクァイア:次の本の構想はありますか? それとも、既に執筆中でしょうか?

エミリー:今はありません。というのも、「次に何を言いたいか?」を考える自由な時間を持ちながら、ある本について語るのは、とても難しいからです。ですが、もっと書きたいとは思っています。これが多くの著書の、最初の一冊になることを願っています。

エスクァイア:フィクションを書くことに興味はありますか?

エミリー:あまりにも赤裸々で無防備なこの本を書いた後に、「フィクションとして書いてもよかったのかも」と、思うようになりました。でも、自分のストーリーを書くことは、私にとってとても重要なことだと感じています。これをフィクション化したら、それほどのインパクトはなかったと思いますし…。とは言え、将来的にはフィクションを書く決心をするかもしれませんね。

Source / ESQUIRE US
Translation / Keiko Tanaka
※この翻訳は抄訳です。

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