「グレース・ケリーのようになりたいと、いまなお多くの女性たちが憧れを抱いていることは確かなことと言えます。しかしながら、彼女は唯一無二の存在なのです」と言っているのは、2007年にマグナム・フォトグラファーが撮影したこのプリンセスの未公開写真200枚を収録した写真集『Grace Kelly: A Life in Pictures』で序文を寄稿した、ファッション・デザイナーのトミー・ヒルフィガーです。

「グレース・ケリーのルックは、クリーンでクラシック、そしてシンプルでした ...彼女は爽やかで健全、自信に満ちあふれ、情熱的で冷静さに満ちていた」「ファッション業界に入ったときから、私のデザインセンスに大きな影響を与えた女性に敬意を表する機会を夢見てきました」「彼女の死によって、この現在の世界は別のものになってしまいました。それだけ彼女という存在は、偉大だったのです」と続けます。


マンハッタンにある、ファッショナブルなグラマシーパーク・ホテルのラウンジの角のブース席に腰をおろした女優ジーナ・レヴァイン(グレース・ケリーの姪の娘にあたる)は、注意深くダイエットコークをすすりながら素晴らしい陽射しのもと、セントラルパークでその日どんな良いことがあったのかを振り返っていました。

グレース・ケリーの
姪の娘にあたる
女優ジーナ・レヴァイン
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Courtesy of JEAN-FRANCOIS CAMPOS
女優ジーナ・レヴァインは、グレース・ケリーの姪の娘にあたります。

銀色がかったグレイのチュニック(丈が長めの上着)にジーンズ、ブーツ、首には繊細なゴールドのチェーンという格好です。輝くようなブロンドの髪は、かつて一世を風靡した『チャーリーズ・エンジェル』時代の女優ファラ・フォーセットを彷彿とさせます。しなやかで愛くるしい顔には緑の瞳が光を放っており、カリフォルニア・ガールのような陽気な魂が宿っているのを感じさせます。

確かな集中力と神経の行き渡ったエネルギー、そしてちょっと変わり者といった魅力も併せ持っている女性です。まるで人気ドラマ『フレンズ』に登場するあの3人(レイチェル、モニカ、フィービー)の性格が、ひとつに合わさったかのようです。

例えばバレエ教室やアイススケート、ジム通いそしてラクロスやサッカー、水泳などを思う存分に楽しみながら恵まれた幼少期を送ってきたジーナでしたが、やがてその闘争心を演技に向けるようになったのです。演技を学ぶためにワークショップに通い、ロンドン留学も経験し、高校時代には演劇部の『ウエスト・サイド・ストーリー』の主演女優にも選ばれました。

「たぶん、史上最もブロンドの髪をしたマリア役ですね」と、彼女は笑います。イェール大学に合格しますが、選んだ進路はカーネギーメロン大学の演劇学院。大学では、彼女の家柄については公然の秘密でした。

「彼女がグレース・ケリーの親族であることは、誰もが知っていましたよ」と証言するのは、演劇の指導教師だったイングリッド・ソニチセンです。「でも、そのような恵まれたコネクションを持っていたとしても、鍛錬をおろそかにしてしまえば、そのときには諸刃の剣となって自らを傷つけることになります」とも語ります。実際、ジーナは幸いにして努力家であり、演技の勉強に情熱を注ぎました。「そうなれば、レガシーが良いほうに作用するのは当然です」とも言います。

「夢を実現するための助けになったはずです」と分析するのは、メグ・パッカー。彼女はグレースの姉ペギー・ケリー・コンランの娘であり、クリス・レヴァインの従妹に当たります。

「だからと言って、ジーナはグレース・ケリー自身ではありません。並大抵の努力ではなかったのではないでしょうか。ゴールディ・ホーンの娘(女優ケイト・ハドソン)だってそうでしょう、そこに努力は必要なのです」と…。

ですが、「それは誰にとっても簡単なことではない」とメグ・パッカーは言います。

「一番末の孫が私のところにやってきて、こう言うんです。『おばあちゃん、運動選手になるのはやめて、役者になるために頑張ろうと思うの』と。私は反対しましたよ」と笑います。「素敵な考えだけど、とても難しいことなのです」、メグ・パッカーは頭を振って言葉を探しました。「私は孫たちには劇場を目指すよりも、公園で遊んでいて欲しいのよ」と。

そして大きな夢を抱いていたのは、ジーナ1人ではありませんでした。

彼女の姉のケリーは、既にニューヨークでコスチューム・デザイナーとして成功を手にしています。ジーナの従姉であるジョン・ブレンダン・ケリー3世の娘キャサリーン・ケリーは、フィラデルフィアの劇場で舞台監督をしています。

とは言え、カメラの前に立つという夢を追っているのはジーナだけかもしれません。そこにはジレンマもあるでしょう。ジーナとグレースの間柄は、他の多くのブロンドのオーディション参加者と彼女とを区別するプラス要素となるかもしれませんが…。しかしながらあの名女優グレース・ケリーと比較される運命からが、とうてい逃れることができないという一面もあるのです。

華麗なる一族は、ときとして世間の厳しい目により晒される宿命

例えばドリュー・バリモアにとって、叔母ダイアナ・バリモア(バリモア家は俳優一族)の存在があるように、輝かしい家紋の裏側にある一族の系譜によって、厳しい目に晒(さら)される宿命というものがあるのです。

「私は夢をかなえ、目標に達したい思っていますし、それに向けてキャリアを築いていくつもりでいます」と、ジーナは言います。「自分がグレースの一族の出であることは変えようのない事実であり、私はそのことをマイナスに考えようとは思っていません」とも。

ジーナは一度、メリル・ストリープの娘で女優のメイミー・ガマーに助言を求めたことがあると言います。「深呼吸して自分は自分自身であり、それ以外の何者でもない、そう意識すればいいのよ」と、ガマーは答えたと言います。

「ありがたいアドバイスでした」とジーナは振り返ります。「でも、なにかあればすぐにまた、自分の出自について思い出さずにはいられないのも事実なのです」とも言います。

夢を抱えた若い女優なら誰もがそうするように、ジーナも演技学校に通い、ギターの練習なども行い、オーディションに参加し、ネットワーキングに励んでいます。

「ジーナと一緒の空間で過ごせば、誰もが彼女のことをとても、とても好きになってしまうでしょう」と顔をほころばせるのは、ジーナの子ども時代からの親友であり、いまはルームメートとして生活を共にするクリスティーナ・ハークです。「剽軽(ひょうきん)で楽しいところもあるんですよ。グラマーで華々しいばかりじゃなくてね…」と

これまでのところジーナの最大の実績と言えば、CBSの人気ドラマ『グッド・ワイフ』に2009年、ゲスト出演を果たしたことになります。死亡したある男性の元恋人として、民事訴訟に巻き込まれていく役でした。その出演オファーを伝える電話をエージェントから受けたときには、ベッドで泣き崩れたそうです。

グレースケリー 実家 写真 フィラデルフィア 生涯 ドレス ファッション
Courtesy of JEAN-FRANCOIS CAMPOS

ジーナは、偉大な大叔母が初めての大役を射止めた年齢を既に超えています。『真昼の決闘(High Noon)』で主演のゲイリー・クーパー演じる保安官クエーカー教徒の妻を、グレースが演じたのは22歳のとき。その出演を境に、彼女が無名に戻ることなどありませんでした。

私(筆者)はジーナに対し、「もし同じように有名になったとしたら、どのような人生をおくると思うか?」とたずねました。

「役者を志す人であれば、誰もが考えることだとは思いますが…」と、彼女は切り出しました。「いまの社会において名声を得ることの代償とは何か、考えるだけでも恐ろしいことのように思えます。もちろん、ナーバスにならざるを得ない問題です。でも、私はこのように両親に育てられたのだと、そう思い返すのではないでしょうか。自分に嘘をつくことはできないのですから」と。

「かつて母親のヴィッキーからも聞かされた、グレースとレーニエ大公の話などを思い出せばプライバシーが侵されてゆくことへの恐怖を覚える」とジーナは言います。

「それでも(グレースとレーニエ大公)二人の頃は、いまのようなデジタルの時代ではなったのですから、まだ幸運だったのかもしれませんね」、そう言いつつも彼女自身については割り切った覚悟もあるようです。「でも、それはそれ。現実から逃れることなどできません。どのようにでも対処する心積もりはできています」と言います。

ゴシップ誌に、色恋沙汰をすっぱ抜かれたとしたら?

ジーナ・レヴィーンは、どうしようもないと言った表情で笑います。

「そうですね。考えるだけでも恐ろしいことです。誰かに何かを言われるわけでもなく、カフェにすら行けないのでしょうから…。『見ろよ、あの二人婚約してるんじゃないか? 妊娠してるみたいだぞ』とかね。想像もつきませんよ。みんな一体どうやって、ハリウッドでデートしてるんでしょうね。私について言えば、そんなことを心配するのは時期尚早ですけど…」とジーナは語ると、ダイエットコークをまた少し口に含みながらこう語ります。「でも、話に聞く限りとても大変そうですね」と。(つづく


From Town & Country
Translation / Kazuki Kimura
※この翻訳は抄訳です。