「ケリー・ファミリー2.0」とでも
呼ぶべき現代のパワーカップル。
グレースの妹リザンヌの
一人息子クリス・レヴィーン

ケリー・ファミリー2.0とでも呼ぶべき現代のパワーカップルというものが存在するとすれば、それはクリストファーとヴィクトリア・リヴァイン夫妻でしょう。

グレースの妹リザンヌの一人息子クリスは、金融会社モナコ・アセット・マネジメントと、ワイエス夫妻の絵画で知られるフィラデルフィア郊外のブランディワイン・バレーの丘陵地帯にB&B(Bed & Breakfastの略で、簡素なタイプの宿泊施設)とワイナリーを持つスイートウォーター・ファームも営む実業家です(夫妻の生活拠点は、ペンシルベニア州モンゴメリー郡のブリンマーです)。

そして妻ヴィッキーは、フィラデルフィアの上流階級では知らぬ人のいない博愛主義者であり、フィラデルフィア美術館や他のインスティテューションの理事会メンバーにも名を連ねる存在です。彼女の父親ロバート・L・マクニール・ジュニアは医薬品業界の名家の一員であり、有名な慈善事業化として、そしてホワイトハウス以外では最大のプレジデンシャル・チャイナ(“ホワイトハウス・チャイナ”とも。ホワイトハウスで用いられる高級磁器の食器類)のコレクターとしても知られる人物です。

クリスは、角ばった顎(あご)とウェーブのかかったチェスナットブラウンの髪という、ケリー家の男性の典型とも言える特徴を備えています。飾り気のないスウィートウォーター・ファームに姿を現す彼は、あたかも育ちの良い牧場経営者といった雰囲気で、まるで寄宿学校出のレイ・クレッブス(米国人気テレビドラマ『ダラス』シリーズの登場人物)のようです。

スレンダーで可愛らしく、そしてアーティスティックなヴィッキーは、社交的でおどけたところもある夫とは好対照に、自分の世界をはっきりと守るタイプの女性です。2人の間には3人の子どもたちがおり、最も若い女性が20代のジーナです。彼女にとって大叔母にあたるグレースのように、ジーナもまた若くして芸術の虜(とりこ)になり、両親の意志などお構いなしに、俳優としてのキャリアを歩み始めています。

「本当に美しい夫婦です」とふたりをたたえるのは、フィラデルフィア中心部で不動産仲介を営むR・C・アトレー。彼女は、グレースの姉であるペギー・ケリー・コンランの親友です。

ケリー家は、例えばカサット家やビドル家、ドレクセル家、スコット家といったフィラデルフィアの名門である慈善活動家の脈には加わっていません。ジャックはその死に際して、自らが所有する不動産をチャリティーに寄付することはありませんでしたし、それがある種の遺言のような効果を生んでいるのかもしれません。彼は遺言状において、相続者たちに次のように語りかけています。

「私がこの書類をもって、あなたたちに与えることができるのは物質的な物でしかない。ですが、もし私が遺(のこ)し得るものが金品だけでないのなら、私はこの人間性をあなたたちに与えることを望むだろう」

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Monaco Prince Visits Late Mother's Philly Home
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グレース亡き後のケリー家ですが、一族の多くがフィラデルフィア近郊に暮らしています。そして、その多くは静かな暮らしを営んでいます。

J.B.という愛称を持つジョン・ブレンダン・ケリー3世は、自らの父親の名を冠したケリー・ドライブという大通り沿いにあるフェアマウント・パークの自然環境保護団体のメンバーであり、権威あるヴェスパー・ボート・クラブの前会長として、息子のニコラスをスクールキル川を拠点とするボート競技チームに通わせています。

「成功するための努力、
善き人間であるための努力を
惜しんだことはありません」

クリスとヴィッキーのレヴァイン夫妻は、街一番のアートのパトロンとして知られる存在です。ヴィッキーは美術館の要職にあるだけでなく、若手ミュージカル俳優たちを支援する国立の非営利団体、ブロードウェイ・ドリームスの理事も務めています。

クリスはと言えばグレース亡き後、その夫でありモナコ大公であるレーニエ3世が設立したプリンセス・グレース財団の評議員に名を連ねています。「成功するための努力、善き人間であるための努力を惜しんだことはありません」と、クリスは明言しています。

「自分を、何者かと比べることは避けるようにしています。たやすいことではないうえに、そこから得るものは少ないですからね」

ケリー家にとって
フィラデルフィアの持つ
意味とは何なのか?

ある疑問が浮かびます。フィラデルフィアという街にとってケリー家の存在は極めて大きなものですが、ケリー家にとってフィラデルフィアの持つ意味とは何なのでしょうか? 

R・C・アトレーは、一族がその資産を維持することへの意欲について、次のように語っています。

「彼らにとってそれがどのような意味を持ちうるのか、私も自分なりに考えてみたことがあります。レヴァイン家や、一族の他のメンバーにとって、グレース・ケリーや、そもそも偉大なケリー家のレガシーとはどのような存在なのでしょうか? クリスは、それを必要としていると存じます。彼はその身分を大いに活用していると言えるでしょう。誇りにもしているはずです。それは彼の持つ、当然の権利でもあります」

グレースは自分がいかに神秘的存在であるか、ついに理解しないままこの世を去りました。

例えばベイブ・ペイリーやジャクリーン・ケネディ、ダイアナ妃など、20世紀後半を象徴する女神たちと同じように、グレース・ケリーもまたその華々しさと優雅な微笑みの裏側では、騒乱の中でやや混乱した人生をおくっています。

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To Catch A Thief - Trailer
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彼女の出演作であるアルフレッド・ヒッチコック監督の『泥棒成金(To Catch a Thief)』を見れば、彼女がいかに輝かしい女性たちの中に名前を連ねていたか、理解が及ぶことでしょう。

映画界の有名人の勢ぞろいするカンヌ・インターコンチネンタル・ホテルのロビーを、あたかも自分専用のランウェイかのように闊歩しする姿は、その将来を予感させるには十分でしたし、本作の衣装デザイナーであるイーディス・ヘッドには、アカデミー賞ノミネートの名誉をもたらしました。

グレースがケーリー・グラントに送られて帰宅する場面では、まるで柔らかなそよ風のような彼女を、青々と広がる矢車草の大地が包み込むようです。自宅に帰り着くや、グレースは振り返りざまに左腕をグラントの肩にまわし、それから二人は熱い口づけを交わします。そして、静かにドアを閉めるのです。

グレースに対する驚き、戸惑い、喜び、服従、恍惚(こうこつ)…。カメラはグラントの表情が移り変わるのを5秒間の映像に捉えています。

「1951年、純白の手袋をしたグレース・ケリーがフレッド・ジンネマン監督のオフィスに現れたその日から、フィラデルフィアの誇る彼女はハリウッドを虜(とりこ)にしてしまった」と書いたのは、1955年の『Time』誌です。

父ジャックはグレースが
自分にこのような驚きを
もたらす日が訪れるなどとは、
考えたことすらなかった…

虜になったのは、ハリウッドだけではありません。

ほっそりとした病気がちの恥ずかしがり屋のグレースは、美食家の姉ペギー、花形アスリートのケル、愛すべき幼き妹リザンヌという存在に囲まれて成長しました。自らの愛娘が一歩ずつ名声を高めてゆくに従い、父親のジャック・ケリーは当惑を覚えています。1955年にアカデミー賞を獲得するグレースの様子を眺めながら、ジャックは信じられない思いに包まれていました。グレースが自分にこのような驚きをもたらす日が訪れるなどとは、考えたことすらなかったのです。

グレースは父の愛を勝ち得るために、それまでの生涯を費やして闘い、そして、しばしば手痛い敗北を喫してきました。自身の名声が高まってもなお、ニュージャージー州オーシャンシティの両親の別荘で当時の恋人カッシーニとの交際を禁じられ、破局してもなおグレースは家族の呪縛から逃れようとはしませんでした。

その後、写真週刊誌『パリ・マッチ(Paris Match)』の撮影に訪れたモナコで出会ったレーニエ大公とのロマンスは、最終的にケリー家側の司祭によって祝福を授けられることになるのです。

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Courtesy of JEAN-FRANCOIS CAMPOS
グレース・ケリーの甥にあたるクリス・レヴァイン(左)と、彼の娘で女優であるジーナ・レヴァイン(右)。フィラデルフィア美術館のバルコニーにて。

グレースの没する2009年より遡(さかのぼ)ること数年前、妹のリザンヌ・レヴァインは私(筆者キャラハン氏)に対し、レーニエ大公の第一印象を語ってくれたことがあります。

リザンヌと夫ドナルドの暮らす自宅でのディナーのために、レーニエ大公がフィラデルフィアを訪ねて来た際の記憶です(夫のドナルド・レヴァインは証券ブローカーとして成功を収めた後、競走馬サラブレッドのトレーナーとしても名を成す人物です)。

「グレースは、私(妹リザンヌ)がレーニエ大公のことを気に入ったか? また、どのような印象を抱いたか? を知りたがりました。『彼にすっかり夢中なようね』、とからかい半分に応えると、自分は真剣だとグレースは言うのです。私がどのような印象を持ったか? また、母がどのように感じたか? 姉グレースは気にしていました」。

筆者はリザンヌに対し、どのような評決を下したのかたずねました。

「素敵な人だと思ったわ。お皿洗いを申し出てくれたの!」

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ロマンスを育んだ二人は、翌1956年に結婚します。

グレースの人生を通じて、フィラデルフィアがモナコの太陽に照らされることとなったのです。彼女が帰省すれば、その様子はフィラデルフィアのトップニュースを飾りましたし、1982年9月13日、モナコ郊外のラ・テュルビーでの交通事故による突然すぎる死が52歳のグレースを襲った際には、街中が喪に服しました。

輝く地中海を臨むあの曲がりくねった道が奪い去ってしまったのは、ひとりの公妃(プリンセス)の命だけではありません。グレース・ケリーという魔法そのものが、この世から失われてしまったのです。(つづく


From Town & Country
Translation / Kazuki Kimura
※この翻訳は抄訳です。