preview for The Life of King Charles III

エリザベス2世女王がしたことの中で私がこれまで見た最もクールなことは、2012年のロンドンオリンピックのオープニングで、ジェームズ・ボンド役のダニエル・クレイグと披露した寸劇です。このとき、ふたりはバッキンガム宮殿で会った後、コーギーを振り切ってヘリに乗り込みました。その数分後、ウェンブリー・スタジアムで行われた開会式の真上にヘリコプターからパラシュートで降り立ち(※)、2人はロイヤルボックスに平然と姿を現しました。女王はこの役に飛びつき、セリフが欲しいと言い出したといいます。開会式全体の演出を担当したダニー・ボイル監督が考えたこの演出は、チャーミングで面白いものでした。また、女王が実際に何を意味しているのか、これ以上ないほど明確に表現されていました。ジェームズ・ボンドのように、このときの王室の象徴としての女王陛下のアピールは、ほぼ完ぺきなものです。

※もちろんスタントマン。女王はヘリには乗らないことが知られています

これはyouTubeの内容です。詳細はそちらでご確認いただけます。
James Bond and The Queen London 2012 Performance
James Bond and The Queen London 2012 Performance thumnail
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これは、私たちイギリス人(とにかく私たちの大部分)が喜んで共にする構成概念ですが、私たちは、彼女が人間であり、他の多くの子孫と同様に過去に大きな失敗をしたことを知っています。しかし、私たちは、過去70年間、年中無休で働き続けてきた女王のキャリアが、彼女が予期していなかった仕事であり、先代の父親ですら選んだわけでも、望んだわけでもない仕事であることも知っています。私たちの多くも、別に望んでいたわけではありません。

ところが、そんな彼女の訃報は、全米に衝撃を与えました。英国人の私が20年近く住んでいる遠く離れたニューヨークにおいてさえ、英国全土に波紋が広がっているのを感じることができています。訃報は、この数週間を取り返すかのように、華麗に更新されています。黒い喪章がすでに入荷待ちになっていても不思議はありません。そして、ショックと悲しみで団結している国民を元気づけるために、濃いめの甘い紅茶が必要とされることでしょう。そのときに備えて、ハレの日用のとっておきのティーポットの埃をいま払っているのです。

失敗に終わることになる結婚の豪華なお式とは別に、英国王室がとてもうまくやることがあるとすれば、それは死去です。国王ジョージ6世の最後の旅路の厳粛なストイックさ。ダイアナ妃の葬儀でエルトン・ジョンが演奏した「キャンドル・イン・ザ・ウィンド」(別名「グッバイ・イングランド・ローズ」)のアップデート版のサウンド。フィリップ王子の葬儀で、エリザベス2世が一人でいる姿は忘れがたいものです。

the funeral of prince philip, duke of edinburgh is held in windsor
WPA Pool//Getty Images
2021年夫フィリップ殿下の葬儀でひとり座すエリザベス女王の姿

世界中のバカみたいな政治の台頭からすれば国家元首を持つことは悪いことではない

私は熱烈な君主主義者ではありませんが、特にアメリカやイギリスにおけるおバカ民主政治(the idiocracy※)の台頭以来、世界中の政治で繰り広げられている、まったくもって低俗でク●みたいな政治ショーを見れば、少なくとも99%政治から離れている国家元首を持つことは、長い目で見れば悪いことではないだろうと思うのです。私が言っているのは、権力を掌握し、あるいは権力を手放すことを拒否し、自らを王と宣言する専制君主のことではありません。王族のことです。

立憲君主制とは、今の時代、理論上はほとんど意味をなさないかもしれませんが、頭でも心でも、長い目で見れば、イギリス君主制に他ならないのです。それに、観光客にとってもいいことです。もちろん、このような主張は、この国で育たなかった人にとっては、ほとんど意味をなしません。外国人が国旗を振り回し、マーチングバンドを演奏するのを見ればと、それが象徴などではなく、むしろ現実的な権力の表れであるかのように見えてしまいますから。

少なくとも今のところ、王政は、それほど関心のない私たちに、不可解で説明しがたく、むしろ不思議なプライドと継続性の感覚を与えてくれます。王政は、過去から未来へのゆっくりとした流れを支配しているに過ぎません。ほとんどの人にとって、それは混乱する社会で自分たちをなんとなく守ってくれるかのような存在。だからこそ、その反響の大きさに驚くのかもしれません。

※あまり賢くない人間が政治を担うことになる未来を描いた2006年のブラックコメディ『26世紀青年』の原題。ドナルド・トランプが大統領に当選した際に予言的映画だと話題に。

From: Esquire US