ブラッド・ピットは30年にわたってスポットライトを浴びてきましたが、広く報じられてきた彼のロマンスの数々を除けば、この男性について詳しく知らない人も多いのではないでしょうか。
ブラッド・ピットと言えば、疑う余地のない最高のルックスと才能によって、ゼロから自らの手(顔)でスターへの地位を築いてきた俳優と言えるでしょう。今回は、そんなブラッド・ピットが残してきた写真の中でも、希少な数々を紹介し、彼の人生やキャリアについてさらに知ってもらいたいと思います。
1986年:米国西海岸に移住
有名になる前に、ロサンゼルスで撮影されたブラッド・ピット。ピットはミズーリ州スピリングフィールドで生まれ、保守的なバプテスト派の両親に育てられました。
1986年に大学を中退したピットは、俳優として名を成すため米国西海岸に移住しました。
1988年:初めての役を得る
ブラッド・ピットは、映画『ザ・パーフェクト・ガイ/ハンク』で初めて役を得ています。
そのときの彼は、クレジット表記されないちょい役。まさにゼロから1となり、映画業界でのキャリアをスタートしました。その後、シットコム(シチュエーション・コメディ)にゲスト出演するようになったのです。
1988年:撮影現場でのロマンス
ブラッド・ピットはロサンゼルスに移住して間もなく、女優シャレーン・マッコールと付き合い始めました。2人はドラマ『ダラス』の撮影現場で出会ったと伝えられています。
このドラマは、ピットがクレジットされた2つ目の作品。彼はマッコール演じるキャラクターのボーイフレンド、ランディ役で4話に出演しています。
1988年:ちょっとした悪ふざけ
1988年2月、末期症状の子どもたちのための慈善興行に出演したブラッド・ピットと、当時のガールフレンドであったシャレーン・マッコール、そして特別ゲストのグーフィーです。
当時のピットは24歳で、マッコールはわずか15歳でした。
1988年:新たな恋
1988年6月、ブラッド・ピットは新恋人のジル・ショーレンとともに、ロサンゼルスで開催された映画『レッドブル』のプレミアに参加しました。
2人は映画『処刑教室-最終章-』の撮影現場で出会ったとのこと。ピットが共演者と恋に落ちたのは、これで2度目となります。
1988年:セレブたちとの交流
アムネスティ・インターナショナルのイベントにて、ブラッド・ピットとクリスティナ・アップルゲイト。
2人が一緒に出かけたのは、この日の夜が最後ではなかったでしょう…。
1988年
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1989年:初めての失恋
1989年、ブラッド・ピットとジル・ショーレンは婚約しました。が、この関係はわずか3カ月しか続きませんでした。2011年に行われたインタビューの中で、ピットはブタペストでの思い出を語っていました。
ショーレンがブダペストで映画を撮影していたときのこと。ピットは彼女のもとへ訪れると、彼女はその映画の監督に恋してしまったことを告白します。そして2人は、ここで別れることになったようというわけです。
ピットはその後、「ショーレンとの関係が彼にとって初めての手痛い失恋であった」ということも告白しています。
1989年:ゲスト出演者時代
1989年1月、ブラッド・ピットはTVドラマ『Head of the Class(原題)』に出演しました。
それによって、共演者のロビン・ギヴンズとプライベートでも仲良くなり、マイク・タイソンと公に離婚した後の彼女を支えたと伝えられています(タイソンは後に、2人の不倫現場を目撃してしまったことを明かしています)。
1989年:『愉快なシーバー家』
1989年2月、ブラッド・ピットはドラマ『愉快なシーバー家』のシーズン4に登場キャラクターである、ベンのお気に入りのロックスター役で出演しました。
ちなみにこの1シーズン前、ピットは登場キャラクターであるキャロラインの憧れの男性としても、ゲスト出演していたのですから驚きです。
1989年:授賞式デート
ブラッド・ピットが、女優クリスティナ・アップルゲイトの隣で不機嫌そうにしている理由が気になりますか?
アップルゲイトの話によれば、2人はMTVビデオ・ミュージック・アワードの会場に連れ立って登場したものの、彼女は他の男性と授賞式を後にし、ピットを置き去りにした…と明かしています。
1989年:新恋人
1989年9月、エリザベス・デイリーのアルバムリリースパーティーで撮影されたブラッド・ピットとデイリー。ちなみにデイリーは、アニメ『ラグラッツ』のトミー・ピクルスや『パワーパフガールズ』のバターカップの声を演じています。
デイリーとピットは、別れた後も親しい友人関係を続けていました。
1989年:さらなるゲスト出演
1989年10月、ブラッド・ピットはドラマ『ナイスサーティーズ』のあるエピソードに出演しました。ピットの優れたルックスはハリウッドで役立ちましたが、彼の初期のキャリアにおいては、このルックスがオファーされる役に偏りをもたらしたと言います。
ピットは2007年の「インタビュー」誌の中で、「ハリウッドで売り出し初めたころは、シットコム(シチュエーション・コメディ)ばかりすすめられたけど、個人的にはほとんど興味はありませんでした。映画がやりたかったし、少しずつ、その道を見出し始めていたので…。それがあるとき、『主演男優じゃなきゃダメだ』っていう風にとられたようで…」と、ピットは語りました。
1989年
1990年:臨時の仕事
俳優として有名になる前、ブラッド・ピットは生計を立てるためにモデルやその他いくつかの臨時の仕事をしていました。
「エンターテイメント・トゥナイト」誌によれば、当時の彼がした仕事は、レストランチェーンのプロモーションのための着ぐるみスタッフから、ストリッパーの運転手まで、さまざまだったと言います。
1990年
1990年
1991年:大ブレイク
ブラッド・ピットは映画『テルマ&ルイーズ』で、テルマ(ジーナ・デイビス)を誘惑する泥棒のヒッチハイカーを演じてブレイクを果します。
デイビスは2014年の『ハリウッド・リポーター』誌の中で、「彼は私が最初に読み合わせをした候補者だったのです。この役には5人の候補者がいました」とし、「彼が部屋に入ってくると、本当に恥ずかしいけど思わずうっとりしちゃって、セリフを忘れてしまいました。『この子のオーディションをすっかり台なしにしちゃったわ』って感じでしたよ」と、当時を振り返っています。