ファッション業界は、この個性に夢中です。
 
 もちろん、風変わりで突出したようなもの…いわゆるアヴァンギャルドなものつくり上げるデザイナーもいます。例えるなら、(英国の)ジョージ王朝時代のダイヤモンドディーラーのようなカール・ラガーフェルドのスタイルや、メアンドロス(ギリシア雷文)のプリントや革で着飾るのが得意なドナテラ・ヴェルサーチェまで。これらのファッションアイコンは魅力を通り越し、偶像化しています。これらを否定しているわけではありません。ファッションは楽しく、着飾ることはとても豊かなことなのですから…。

miuccia pradapinterest
Getty Images
1998年10月、ニューヨークにて行われたVH1 ファッション・アワードのバックステージにいるミウッチャ・プラダ

 ファッション業界に求められるものは、日々増えています。それは、ミウッチャ・プラダをよりいっそう異常にさせる要因でもあります。

 彼女は滅多にインタビューには登場しません。彼女は、同時代の他の人と同じように振舞うことを避けていますし、彼女は自身の生活をとても大切にしているからです。しかしそれは、驚くべき人生とも言えるのです。
 
 1949年にマリア・ビアンキとしてミラノで誕生し、叔母に養子として迎えられた後に彼女は、ミウッチャ・プラダという愛称を与えられました。若きミウッチャが高級革の家業に目を向ける前のこと、アトリエでトレーニングする代わりにミラノ大学で政治学の博士号を取得しています。その後、彼女は、ミラノでとても有名なピッコロ・テアトロ(劇場)に立ち、5年間パントマイマーの職に捧げていました。そこで彼女が興味を持ったものは、イタリアの共産党と女性の権利運動でした。これは、新進気鋭なファッションデザイナーによくあるキャリアコースとはまったく別ものと言えるのではないでしょうか。
 
 彼女のひと味違う境遇はプラダのルーツとして、彼女の作品へとしばしば変換されています。彼女は、その着こなし手にフィットする服をつくるのです。その服は知的とも言えるのです。体にフィットするばかりではなく、心にもフィットするのですから…。
 
 そしてプラダは、トレンドに左右されることを拒みます。2018年秋冬メンズ&レディースコレクションで発表した炎のプリントとバナナ・シューズは、登場時こそ人々は眉をひそめるような存在でしたが、「同じ懐疑主義者たちなら、喜んで私の列車に乗り込んでくれるだろう」ということを彼女は見据えていたのです。その人々は、時代に流される者たちではありません。スローガンのTシャツや「ゴス」の復活など、もうすでに世に出ているものへの固執などない人々に愛されたのです。
 
 さらにプラダは、彼女は依然としてその型にはまらない見習い期間を、隠すことなく事実として認めています。

 「当時、頭のいい人はみんな政治を学び、働いていました」と、英ビデオチャンネル「サンデー・タイムズ・スタイル」の観衆の前で話しています。

 彼女は、自身のことを語っているようでもありました。1978年に彼女は、祖父の高級革メーカーへ進路を決めたわけですが、この選択はどちらでもありません。当時その家業は、いたって普通の事業だったのです。

 しかし彼女は、その家業に「なにか真新しいものが必要だ」と考えたわけです。そののち、夫でありビジネスパートナーであるパトリッツィオ・ベルテッリの助けを借りて、彼女は自分のデザインで仕事を始めるようになったわけです。

miuccia pradapinterest
Getty Images
Prada Fall/Winter 2018

 すぐにプラダは、小さなファミリービジネスから本格的な営利団体へと突出することができました。

 そうして1998年にプラダは、初のメンズウエアコレクションを誕生させました。

 プラダに携わるようになって20年の月日を経て誕生した、その一つ一つのルックはすべて廃れることなく現代でもまだ着こなすことのできる普遍的デザインなのです。それは人々を振り向かせるほどスタイリッシュな存在でありながら、常にプラダのテーマの中にある、クラフトマンとクリエイティブディレクターの人格を併せ持ったような人物がつくり上げたようなウエアたちなのです。この美学は、時代を超えて紳士服の定義にもなっています。
 
 プラダのシンプリスティックな目は、クリエイティブな現場に立ったときの彼女が持つ情熱に匹敵するほど熱く研ぎ澄まされています。

 そして彼女がつくる紳士服は、ジッパーや実用的なタッチが最大限活用されています。それらは、単にショーのキャットウォーク上での演出的なディテールであるためでなく、機能的な役割を担っているのです。男性は長いこと、現実的なスタイルを望んでいます。そしてプラダは、それを常に彼女流の手法で届けていたわけです。

これはyouTubeの内容です。詳細はそちらでご確認いただけます。
PRADA Spring Summer 1998 Menswear Milan - Fashion Channel
PRADA Spring Summer 1998 Menswear Milan - Fashion Channel thumnail
Watch onWatch on YouTube

 もちろん「プラダ」といえどもブランドであるゆえの定め、その時代時代によってブランドのコンセプトや見え方は盛衰します。生真面目さほど、浮き沈みはあるものですから…。これはごく当たり前なことなのです。
 
 美しい曲線、活字のプリント、箱形、足首の周りに浮くパンツ。それらはみな、クラシックとは何かを認識したうえで創造されたアイテムたちです。

 このようにプラダなしで私たちは、ファッションに対して共通の定義を持ち合わせることはなかったかもしれません。だからこそ彼女は、2018年ファッションワードの優秀業績を受賞することとなったのです。そして彼女が、わたしたちのワードローブに多大なる影響を与えたのだということを再確認できたのです…。
 
 コレクション終了後に、記者に「なぜランウェイに出てこなかったのですか?」と尋ねられたとき、彼女はこう答えています。

 「よくある風潮みたいなものをすることは、私は好きではありません。それに、私はバカじゃない―いま出演したばかりのゴージャスなモデルたちと競うような行為もしたくありませんから」とのこと。
 
 プラダがイメージする理想の顧客は、彼女自身なのです。つまり、知的で抜け目のない人が着る服をデザインしているのです。それは、トレンドやひとときの美しさを超える存在なのです。


from Esquire
Translation / Mirei Uchihori, Kaz Ogawa
※この翻訳は抄訳です。


Related Video


preview for Prada Fall/Winter 2019/20