『glee/グリー』などのヒット作を手掛けたことで知られる脚本家・演出家・プロデューサーのライアン・マーフィーがおくる最新作、Netflixの新シリーズ『HALSTON/ホルストン』は、ファッション界の大物である故ロイ・ホルストン・フローウィックに焦点を当てた伝記ドラマです。アメリカ人デザイナーとして、70年代に活躍したファッションアイコンの栄光と転落が描かれているだけでなく、時を同じくして一大旋風を巻きおこしたニューヨークの伝説的クラブ「スタジオ54」についても細かく描写されています。

 ドラマの中では、ホルストンとその一族のセレブリティや友人たちが、毎晩、列をなして待つクラブ「Studio 54」への参加者たちの間をすり抜けて入っていく様子が描かれています。伝説のニューヨークにあるクラブの高級で煌びやかな壁の中では、セックス、ドラッグ、酒、そして生きた馬の上での写真撮影など、何でもありでした。

 このシリーズでは、「スタジオ54」にあるベルベットで覆われたドアの向こう側に入ることはとても難しく、そして危険であることが伝えられています。第4話では、1人の女性が裏口のドアからビル内へと入り、内部の通気口からクラブのメインルームに這い上がろうとします。しかし彼女は、動けなくなってしまい、後に彼女の死体が通気口の中で発見される描写があります。

 これは、「スタジオ54」がいかに厳格なクラブであったか、また、一般のニューヨーク市民がクラブに入るチャンスを得るために、どれほどの努力をしたかも的確に表現した衝撃的な内容と言えます。さらに悲劇的なことに、これは実際に起こった話なのです。

crowd standing in front of studio 54
Bettmann//Getty Images
1978年、スターたちが毎晩のように集結する、伝説的ナイトクラブの外に集まった人々。

 2018年に公開された同クラブの共同設立者イアン・シュレーガー氏を特集したドキュメンタリー映画『Studio 54』では、不法にクラブに入ろうとして通気口にはまり、窒息死した人が実際に発見されたことが明かされていますが、今回のドラマとは異なり、それはブラックタイの服装をした男性でした。シュレーガー氏によると、このようなショッキングな状況は日常茶飯事で、「クラブではフェンスを乗り越えたり、ドアマンに銃を突きつけたりする者も頻繁にいた」と言われています。

 ドキュメンタリー映画によると、ゲストリストは4つのカテゴリーに分けられていました。

 ①「No Goods」は絶対に入れてはいけない者、②お金を払わないと入れない者、③無料で入れる者、④「No Fuck Ups」と言う、すぐに簡単に入れてもらえるVIPたち…という具合です。例えばローリング・ストーンズは、ミック・ジャガーとキース・リチャーズは無料ですが、それ以外のメンバーは有料だったのです。クラブの常連だったアンディ・ウォーホルは、「スタジオ54」を「ドアの前では独裁だが、ダンスフロアでは民主主義だった」と言っています。

 「スタジオ54」のもう1人の共同設立者であるスティーブ・ルーベル氏が、自分の好みに合わないシャツや帽子を着用していることを理由に入場を拒否していたという『ホルストン』での描写は、ドキュメンタリーの映像でも確認できるので、これは正確なものと言えるでしょう。

 このファッショナブルなクラブでは、ダイアナ・ロスやビアンカ・ジャガー、それにグレース・ジョーンズ、マイケル・ジャクソン、ブルック・シールズ、リズ・テイラーなどなど、多くの著名人が常連だったのです。そしてもちろん、ファッション界の王侯貴族であるホルストン氏も、親友でありミューズであるライザ・ミネリと共にこのクラブの常連だったのです。

 この新シリーズ『HALSTON/ホルストン』内でミネリは、ドラッグに溺れながら毎夜パーティーに参加。そんなある晩、「スタジオ54」内でドラッグを過剰摂取した後、リハビリ施設に行くことを決意した様子が描かれています。実際にここで描かれているような「スタジオ54」内での過剰摂取の記録はありませんが、ミネリは1984年に初めてカリフォルニアのベティ・フォード・クリニックに入院し、治療を受けたという記録は残っています。

 ここでミネリ役に扮するクリスタ・ロドリゲスは、この生ける伝説を見事に演じています。そして当のミネリ自身も、今もなおファッション界の指導者であった故ホルストンのことをリスペクトしています。彼女は2011年の『Harper's Bazaar』誌で、「私は彼の言うとおりにしました。彼は本当に私の面倒を見てくれました」と感謝の意を示していました。

halston l to r ewan mcgregor as halston in episode 104 of halston cr atsushi nishijimanetflix © 2021
ATSUSHI NISHIJIMA/NETFLIX
「スタジオ54」に入るホルストン役のユアン・マクレガー。

 しかし、このようなパーティーの日々は、永遠に続くものではありません。

 1978年、スティーブ・ルーベル氏が『ニューヨーク・タイムズ』誌に「財政面でわれわれより優れているのは、マフィアだけだ」と自慢したところ、ほどなくして国税庁がやってきました。するとルーベル氏とシュレーガー氏は翌1979年に脱税の罪を認め、20カ月の服役となりました。こうしてルーベル氏とシュレーガー氏の神秘的なクラブ「スタジオ54」は、開店から3年も経たない1980年1月に閉鎖されたのでした。ちなみに共同経営者らが刑務所に入る前夜、最後のパーティーで歌ったのはライザ・ミネリでした…。

 このように実に排他的ではあった「スタジオ54」ですが、そこにはジェンダー、セクシュアリティ、人種といった差別などなく、オーナーたちの個人的嗜好以外のところではすべて人が歓迎され、そして祝福される場所だったのです。つまり、過剰で不穏な雰囲気の中にも、このクラブは「自由」「自己表現」そして70年代における「性革命」の象徴…ひとときのラブ&ピースがそこには確実に存在していたのです。

 やがてクラブが閉店・売却された1980年の翌1981年5月には、これに追い打ちをかけるかのようにNew York Nativeという男性同性愛者向けの新聞が同性愛者の肺炎について触れ、さらに同年6月には「ロサンゼルス・タイムズ」紙が「ゲイ男性に肺炎」の見出しで、1980年10月から1981年5月にかけて、ロサンゼルスやニューヨークの男性同性愛者に原因不明の重い肺炎が発生していることを伝えます。この肺炎は、のちにエイズ患者の多くの死因になったカリニ肺炎(現在はニューモシティス肺炎)のことになります。当時エイズについては、何も解明されていない状態であり、そんな中で多くの人々によってエイズの発症元としてゲイやトランスジェンダーの集まる「ディスコ」が後ろ指を指されることになります。この記事の公開後、「実は1979年から、カリニ肺炎の特効薬であるペンタミジンの販売額が伸びている」ということも明らかとなり、この時代の悲劇的な終焉がきっぱりと告げられることとなったのです。

これはyouTubeの内容です。詳細はそちらでご確認いただけます。
 thumnail
Watch onWatch on YouTube

 このようにNetflixの新シリーズ『HALSTON/ホルストン』では、「スタジオ54」の熱気あふれる伝説(セレブリティ、グラマラス、そして悲劇)がつぶさによみがえっています。そこで確認できるは、ドラッグとセックスそしてダンスに明け暮れ、享楽的に一瞬を生きた人々の悦びの姿だけではありません。フロア全体が、現代における大切なキーワードであるD&I(Diversity and Inclusiveness=ダイバーシティ<多様性>とインクルーシブネス<包括性>)に包まれていたことを、必ずや目の当りにすることでしょう。われわれが目指すべき「差別」から解き放たれた世界の片鱗が、そこには存在していました。これは一見する価値はありそうです。

Netflixで観る

Source / ESQUIRE US
※この翻訳は抄訳です。

esquire japan instaram

Esquire Japan Instaram