かつての壮大な建造物は風雨にさらされ、その姿が無残にも失われています。
4年に1度、世界のトップアスリートが金メダルのチャンスを求めて集まるオリンピック。わずか数週間の短い期間ですが、これらのオリンピック・コミュニティは大勢のアスリートを受け入れ、彼ら彼女らが競技に取り組むための基地となり、そして食事を出し、さらに安心して眠れるよう万全の構造で提供されます。
そうして大会期間は、歓喜と悲哀に満ちた賑わいを見せ、活気に満ちあふれていたに違いありません。こうした建設物の最大の目標は、全選手ひとり一人が公平にベストコンディションになることです。それをサポートするためにも、各オリンピックでは競技場・体育館およびプールなどのパフォーマンスを展開する現場ばかりでなく、居住施設などの建設にも細心の心配りを注ぎながら建設します。そんなわけで、どの大会も数百万ドルにおよぶ建設費が必要となるのです。
しかしながら大会が終了した後、これら巨額のコストを費やしてでき上がった建造物はどうなるのでしょうか?
オリンピック村の中には、大学の集合住宅や個人の住宅・ショッピング施設に転用されたものもあります。ですがその一方で、廃墟と化し、永遠に時の止まった状態になっているものもあるのも事実です。
そこで、今から過去数十年の間に廃墟となったオリンピック会場の数々を写真で確認していきましょう。
水泳競技の会場となった「エスタジオ・アクアティコ・オリンピコ」 の内部
アスリートハウス
廃墟と化したオリンピックパーク内の建物の窓から望む、メインとなった「フィシュト・オリンピック・スタジアム」
スキージャンプ台に飾られたオリンピックシンボル
BMXレーストラック
選手村
エリニコ・オリンピック・コンプレックス(ギリシャ・アテネの西部の東海岸に位置するアテネオリンピックの第2会場)
オリンピックの5人組マスコット「福娃(フーワー)」の一人、「貝貝(ベイベイ)」
ボブスレー(“そり”の名称そのものが「ボブスレー」になる)
カヌー / カヤック競技を行った「スキニアス・オリンピック・ローイング・アンド・カヌー・センター」
ビーチバレーボールの会場となった「ピース・アンド・フレンドシップ・スタジアム」
1936年のベルリンオリンピックのために建てられた集合住宅。後にナチス時代のドイツ国防軍の歩兵学校と第二次世界大戦中の軍病院として機能。戦後は軍事基地としたのち、独自のオリンピック選手のための訓練施設として引き継ぎましたが、現在は廃墟と化しています。
選手村の一部
ホッケー会場となった「エリニコ・オリンピック・ホッケー・センター」
水泳競技の会場となった「エスタジオ・アクアティコ・オリンピコ」の外観
100周年を記念した「センテニアル・オリンピック公園」
ゴルフ場となった「カンポ・オリンピコ・ジ・ゴウフィ」
選手村内の水泳プールがあった建物
サラエヴォ近郊のトレベヴィチ山にある「ボブスレー・リュージュ競技場」
水泳競技が行われた「アテネ・オリンピック・アクアティック・センター」
阿部一二三・詩。柔道界を背負う金メダリスト兄妹のヴィジョン
【連載】大使館の扉がひらく。第10回フランス
次のオリンピックはいつどこで?2022~2028年までの開催地をチェック
東京2020オリンピックから生まれた、アスリートたちの珠玉の名言集
ブルース・スプリングスティーンの娘が五輪代表に
東京2020オリンピック、選手たちの喜怒哀楽シーン【写真集】
英トーマス・デーリー選手の気になる話題|選手村ツアー動画や、手編みの金メダル袋など
東京五輪、日本人選手たちの偉業|メダル獲得の瞬間すべて【写真集】
アメリカ代表選手がオリンピックで得る収入は、一体どのくらいなのか?
東京五輪で気になった、スタイリッシュなユニフォーム7選
われらが英雄アレックス・ザナルディの苦しい闘いは、まだ続いてる
ボート競技の元パラリンピック選手、ジョー・バード氏のトレーニングを紹介