本記事は、「エスクァイア」イタリア版のジャンルカ・ペッツィ(Gianluca Pezzi)による寄稿となります。

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 ここに、ドゥオーモ広場でミラノ大聖堂を背景に撮影した1枚の写真があります。

 前景には1台のクルマがありますが、これは正体不明のモデルであり、街中で見かけたことは一度もありません。一緒に写っている若い男女はカメラのほうに視線を向けながら、早朝の冷え切った空気を我慢するかのように女性は腕組みをし、男性のほうは両手をズボンのポケットに突っ込んでいます。

 撮影時期をさぐるヒントを得るためもう一度、ロケーションであるドゥオーモに目を戻してみましょう。

 正面を見ると、少なくとも一度は修復がなされていますが、現在のような輝きはありません。つまり、この写真が撮られたのは1970年代や1990年代ではなさそうです。

 それはそうと、このクルマは? これはイタリア車でしょうか? ボディラインのプロポーションやハーモニーから判断すると、そのようにも見えます。でも、窓の大きさやウエストラインの低さなど、どこか奇妙な感じがするのです。これは一体、どの国のどのメーカーの何というモデルなのでしょうか? そして、なぜここにあるのでしょうか?

 その謎を解く鍵は、埋もれたアーカイブに収められた写真の中にありました。もしそれを開かなかったら、自動車に関する最も美しい物語のひとつが永遠に忘れ去られていたかもしれません。実はこの写真、ローマにあるマツダ・イタリアのオフィスで見つかったもの。それがきっかけとなって、二度と起きないような幸運な出来事も続きました。

まず、このクルマの正体を明らかにしておきましょう。

 これはマツダ「MX-81 アリア」で、1981年にベルトーネがつくりだした未来派のコンセプトカーです。それにしても、なぜベルトーネが日本車の仕事を? そして、このコンセプトカーはいまも存在しているのでしょうか?

 最初の疑問について言うと、それはローマと広島のマツダ本社との間で交換された電話、メール、メッセージのやりとりから始まりました。2番目については、MX-5の“生みの親”である山本修弘(のぶひろ)氏が、オフィスからそれほど離れていない倉庫の中で発見しました。

 この発見は大きな驚きでした。というのも、コンセプトカーはその役割を終えると、大抵の場合は廃棄されてしまうものです。ところがこの「MX-81」は、劣化の兆しはあるものの、いまも完全な状態を保っていました。その後、また電話とメールとメッセージのやりとりがなされました。そして、日本とイタリアは数十年の時をさかのぼり、再び手を組んで、このコンセプトカーにもう一度輝きを取り戻させるべきだとの結論に達したのです。そのためには、1980年にこれが誕生したイタリアのトリノへ移送する必要があります。

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 かくして、前代未聞の作戦が幕を切って落としました。

 湿気によるダメージはありますが、車体の保存状態はおおむね良好で、大きな損傷はありません。クルマはまずマツダ本社に運ばれて、メカニカル部分の精密点検を受けました。エンジンの分解、および、ラジエーターからバッテリーに至るまで、ウォーターポンプとタンクの中を通っている各パーツの修復には細心の注意が払われ、ブレーキ、ステアリング、電気系統もオーバーホールがなされました。39年の時を経て、「MX-81」が再び動き出し、トラックで走行テストが行われました。

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 発見からわずか2週間あまりで「MX-81」は日本を離れ、ベルギーのアントワープを経由して、トリノに運ばれていったのです。

 作業を受け持ったのは、自動車産業の中心地であるピエモンテ州に2015年に設立され、世界中のスタイル・センター、デザイナー、自動車メーカーとのコラボレーションによって数多くのモデルやプロトタイプ、またショー・カーの製作や改造を手掛けるSuperstile S.r.l.の専門職人たちでした。

 「MX-81 アリア」にしてみれば、家族の元に戻ったようなものです。

 復元に腕を振るったフラヴィオ・ガッリツィオ氏は、ベルトーネのスタイル・センターでプラン作りに携わったアリゴ・ガッリツィオ氏の息子で、アリアが誕生するまでの作業を正確に再現していきました。

 オリジナル部品をできるだけそのまま残すべく、トリノにあるSuperstile S.r.l.では昔ながらの作業方法がとられましたが、見た目の劣化は取り除いていくことになりました。塗装の修復では、メタルシートをオリジナルの色と状態へと戻す努力をしました。それを行うために、ボディの色をスキャンしてさまざまな塗料と比較し、オリジナルの色を忠実に再現するよう試行錯誤しました。もちろんボディだけでなく、内装のレザーからも湿気による汚れを取り除き、ライトのガラス窓を完璧につくり直し、収納式ヘッドライトも正しく機能するよう復元しています。

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ところで、マツダ「MX-81 アリア」はなぜ生まれたのでしょうか?

 それを探るため、1980年から時代をさらに20年さかのぼることにしましょう。

 このキーマンとなったのが宮川秀之氏です。宮川氏は1937年生まれの群馬県前橋市出身。1960年、早大在学中にオートバイによる世界一周を友人と企画し、インドから中近東を経てヨーロッパへ渡ります。その際に立ち寄ったトリノ自動車ショーで、後にカーデザイナーの巨匠と呼ばれることになるジウジアーロ氏と知り合い、生涯のパートナーと知り合います。当時、ジウジアーロ氏はまだ20代前半でしたが、すでにベルトーネでチーフデザインを務めていました。そしてこの出会いが長い物語の始まりになろうとは、このときのふたりには知る由もなかったでしょう。

 1962年には創刊間もないCGの本誌特派員として、フェラーリ、ランチア、マセラーティなどのイタリア車の試乗記事や、トリノ、パリ、フランクフルトなどの自動車ショーのレポートをイタリアから寄稿します。そして1967年には、ジョルジェット・ジウジアーロと共にイタル・デザインの前身であるイタル・スタイリングを設立するのです。

 そんな宮川氏は現在、日本においてイタリアン・デザインを成功へと導いた立役者のひとりとされ、「イタリアのカロッツェリアを日本に紹介し、自動車デザインを飛躍させた功労者」として日本自動車殿堂に「殿堂入り」も果たしています。そんな彼が1960年、その後の人生のパートナーとなるマリア・ルイザ・“マリーザ”・バッサーノさんに出会ったのも決して偶然ではないでしょう。通訳として働いていた彼女と恋に落ちた宮川氏はバッサーノ家の“養子同然”の存在となり、彼女が留学した後も家に出入りするほどだったのです。

 彼女の日本留学における諸々を手配をしたのは宮川氏であり、留学先は広島でした。1961年、宮川氏は広島にいる彼女を訪ね、彼女のホストファミリーを通じてマツダの創業者である松田重次郎氏の息子であり、当時マツダの社長をしていた松田恒次氏からの知己(ちき)を得ます。そうして松田氏と共に、日本の自動車産業におけるデザインの重要性について語り合うようになったことが、宮川氏がマツダへ影響を及ぼすきっかけとなったわけです。

 そうこうするうちにも宮川氏はマリーザさんと婚約し、翌年に結婚しました。彼がほどなくトリノに戻ったのは、その土地への愛着だけではありませんでした。ベルトーネ、ギア、ピニンファリーナという、当時のイタリアの“ボディショップ”トップスリーから招き入れられたのです。さらに夫妻は、それらのデザイン・スタジオと日本の自動車メーカーとの仲介役を務めるようになります。そしてそれこそが、これからいかに魅力的なクルマをつくっていくかを模索していたマツダが求めていたものだったのです。

 マツダは社内デザイナーをイタリアへ派遣し、1963年には同社とベルトーネの初のコラボレーションとなるコンパクト・ファミリー・カー、マツダ・ファミリアが誕生。翌1964年のセダン・バージョンと1965年のクーペで、このシリーズは完結しました。これは最先端のスポーツカーとは程遠いものでしたが、そのデザインはベルトーネのスタイルを日本に紹介する大きな役割を果たしたのです。

 そして、これをデザインしたジョルジェット・ジウジアーロ氏という若者は、自動車デザイン全般にとっても、またイタリアと日本の関係にとっても、きわめて重要な存在へと成長していったのです。また、日本のテクノロジーとイタリアの美的センスという強力な組み合わせが、大きな成功をもたらすことも証明しました。

 1963年から1968年の間に製造された第一世代のマツダ「ファミリア」は約40万台で、同シリーズはこのクラスのマーケットでおよそ44%のシェアを獲得しました。ですが、これはパートナーシップの始まりに過ぎません。「ファミリア」の仕事をしている間に、ジウジアーロ氏はセダン用のエレガントで未来的なデザインを考案しました。仮名称は「SP8」で、のちにマツダ「ルーチェ」として1966年に製造が開始されます。そして、マツダのクルマとして初めてヨーロッパに輸出され、デザイン重視の自動車メーカーというマツダのブランドイメージに大きく貢献したのです。

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 ジウジアーロ氏がCarrozzeria Ghia SpA(カロッツェリア・ギア)に移った後も、マツダとベルトーネのコラボレーションは続きました。それが1981年の「MX-81」プロジェクトへとつながっていったのです。

 頭文字を取った名称が新たに設定されました。その有名なMX(Mazda eXperimental、マツダの実験)は、クルマのタイプに関係なく、因習にとらわれない新しい価値を創造・提供していくチャレンジ精神を体現したクルマを意図したものです。この名称を与えられた最初のクルマは、ベルトーネの当時のチーフデザイナー、マルク・デュシャン氏がデザインしたコンセプトカーでした。トリノの車体メーカーがつくるクルマの典型である、くさび形のフォルムを擁した小型クーペです。しかし人々を驚かせたのは、ボルボのコンセプトカー「ツンドラ」––1979年にベルトーネのマルチェロ・ガンディーニ氏がデザイン––にヒントを得たクルマのカタチではなく、外観と内装のスタイリングと技術的な解決策でした。

 まず第一に、車内全体に光が満ちあふれるよう、ボディには大きなガラスがふんだんに使用されています。そして収納式ヘッドライトと同じように、フロントガラスのワイパーも収納式です。もうひとつボディで目を引くのが縦長のリアライトで、実質的にリア・ピラー全体がライトになっています。

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 しかし、マツダ「MX-81 アリア」の最大の特徴は、ボディのカタチでもふんだんに使われたガラスでもありません。それは、この日本のコンセプトカーのハンドルが非常に奇妙なものになっていることでした。

 円形リム、スポーク、コラムからなる旧来のハンドルではなく、プラスチックの小さなブロックの周囲に、陸上トラックの形状をした一種のベルトがフレキシブルに動かせるようにして取り付けられ、そのベルトがパワーアシストのステアリング・システムとの組み合わせで、各種情報をカラースクリーンに表示する長方形の計器パネルの周りを回転するようになっているのです。もちろん、そのスクリーンはTFT液晶なんかではなく、古きよき時代のブラウン管製ミニテレビになっています。また、モニターの周辺にはワイパー、インジケーター、ライト、クラクションなどの、各種コントロールスイッチも付いています。

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 ほかにも、後部のベンチシートとのやりとりが楽になる回転するフロントシートなど、細かな工夫がいくつか見られます。マツダ「MX-81 アリア」は最初からコンセプトカーとしてつくられたので、生産不可能なところがたくさんあるものの、平らになった先端部分や収納式ヘッドライドのように、細部のいくつかはマツダ「323 F(ファミリアアスティナ)」に生かされました。

 その一方でベルト式のハンドルはやはり、シリーズ生産に持ち込むことはできませんでした。しかし、歴史は繰り返すとはよくいったもので、現在、レベル4およびレベル5の自動運転車のプロトタイプでは、ハンドルが再検討の対象になっています。使用していないときはパネルの中に収納できる長方形のハンドルは、デジタル計器と同じように、ひとつのトレンドになりつつあるのです。

 「MX-81」は東京モーターショーで人気を博し、同年、冒頭の写真のようにミラノのドウォーモで撮影が行われました。そして2021年に再び、この地へ戻ってきたのです。マツダが創業100周年記念車として発表した電気自動車「MX-30」と共に…。

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 イタリアと日本をつないだデザインの物語は、語り継がれるだけの価値があります。こうして誕生したのが短編ドキュメンタリー『時間の形』で、登場する主人公たちが一人称で、日本とイタリアの関係において大きな節目となったこのコンセプトカーのことや、全然ちがうけれどとてもよく似た二人の人間の絆について語っています。

これはyouTubeの内容です。詳細はそちらでご確認いただけます。
The Shape of Time: Der italienische Einfluss auf das Design von Mazda
The Shape of Time: Der italienische Einfluss auf das Design von Mazda thumnail
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 ほかにもYoutubeに、いろんな動画がありました。ぜひとも、この感動を味わってください。

これはyouTubeの内容です。詳細はそちらでご確認いただけます。
Mazda Restores Bertone MX-81 Aria Concept
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Source / Esquire IT
※この翻訳は抄訳です。