車好きは機械好き。これはかなりのケースで当てはまるのではないでしょうか? ディファレンシャルギアやピストンなどに限らず、ヴィンテージのステレオセットやレーサーレプリカのオートバイ、レバー式エスプレッソマシーンなど、機械という機械に目がない人は多く存在します。もちろん腕時計に対するこだわりも人一倍ということで、ときにスノッブな印象を与えてしまうこともあるかもしれません。

ロレックスとの出合い

やや前置きが長くなりましたが、あれは2022年の夏のことです。

筆者(※編集注:アメリカのカーメディア「Road & Track」編集部カイル・キナード氏)は元F1チャンピオンのジェンソン・バトンさんと対談する機会に恵まれました。ジェンソンさんと言えば、ロレックスの新たなテスティモニー(ブランドアンバサダー)のひとりです。対談の場を用意してくれたのは、まさにそのロレックスでした。私の席は、時計ジャーナリストとは別のラウンドテーブルに用意されていました。

 
TOM O'NEAL

車談義で盛り上がった頃、そこに時計ライター氏が現われました。ジェンソンさんの腕に巻かれたロレックス(ソリッドゴールドの「デイトナ・クロノグラフ」です)も確かに魅力的でしたが、何より興味を惹いたのは、彼の父親の時計にまつわるエピードでした。

「時計について言えば、私はずっと愛好家を自負してきました。テスティモニーに就任したのはつい最近のことですが、それ以前からロレックスとは浅からぬ縁がありました。忘れもしないF1デビューを果たした20歳の私は、『自分へのご褒美に』と、何か特別なものを買おうと思い立ちました。すぐに思い浮かんだのが腕時計です。それこそが、ロレックスの『デイトナ』との出合いでした」と、ジェンソンさんは懐かしそうに話を切り出したのでした。

 
Clive Mason
若き日のジェンソン選手(右端)。腕元にはロレックス「デイトナ」。

そのとき彼が購入した時計は、1本だけではありませんでした。2本目の「デイトナ」を…それは父ジョン・バトンさんに贈ったのです。おそろいのステンレススチール製のモデルでした。ジョンさんは元ラリークロスのドライバーでした。息子に大きな才能としっかりとした規律を授け、それからF1タイトルの獲得に向けて惜しみないサポートを行いました。まさに偉大な父親です。

今世紀に入ってからの10年間、テレビでF1中継を観ていた人なら誰でも、スターになった息子をハグするジョンさんの姿をどこかで目にしているはずです。ジェンソンさんのF1初レースでは、ジョンさんが不安げな眼差しを送っていました。初の表彰台のシーンにもその姿がありました。2006年のハンガリーGPで表彰台の中央に立つ息子の姿を、その目にしっかり焼きつけていたのです。

 
Clive Mason
父親のジョンさん(右端)。腕元に巻かれた「デイトナ」のSSブレスも、どこか誇らしげに見えます。

レース当日になると、F1のパドックがジョンさんの定位置でした。息子のレースを見逃したのは1度きりです(本人に直接聞いたのですから、間違いはありません)。父子の揉め事があったのも確かな事実かもしれませんが、それでもなお、ジョンさんという父親の存在がジェンソンさんの進むべき道を確実に導いていったのです。

「父親という存在がなければ、子どもは然るべき姿でいることができません」と、ジェンソンさんは2011年の「インディペンデント(Independent)」紙の取材に応じて語っています。「父は私にとって最高の理解者でした。もちろん、父親がいなくても子どもは育つものです。しかし導く者の存在というのは、決して小さくないのです」

父子のおそろいのロレックス「デイトナ」こそがバトン親子の成功の証であり、家宝と呼ぶに相応しいものでした。当時の写真を見れば、同じ時計を腕に巻いた二人の姿があります。

ローズゴールドの「デイトナ」 が父親との記憶をつなぐ

世界中を慌ただしく飛び回る”F1サーカス”のスケジュールに翻弄される二人の生活は、まさに目が回るような毎日でした。数週間おきに大陸から大陸へと旅するのです。ときに、大切な家宝のこともうっかり忘れてしまうほどの忙しさでした。大事な時計と何週間も離れていなければならない羽目に陥るようなこともあったそうで、そのときはとても辛い時間を過ごさなければならなったそうです。

 
Mark Thompson

「父はその頃南フランスに住んでいて、よく泥棒に入られていました…。そこで父は泥棒に見つけられないようにと、時計を洗濯機の中に隠すようにしていたのです。ところがそれが間違いでした。洗濯機の中に隠したことを、つい忘れてしまったのです」と、ジェンソンさんは父・ジョンさんとの思い出を振り返ります。

ロレックスの時計と言えば、数百メートルという深海の圧力にも耐えることのできるものです。とは言うものの、そこは機械式時計。過度に激しい洗濯機の渦には、打ちかつことができなかったようです。つまり、洗濯機の中で無残に壊れてしまったのです。目まぐるしい日々に追われる中、時計の在りかを振り返る余裕もなかったのかもしれません。ジョンさんは壊れた時計を捨て、次のステップへと進みました。

それから数年後、ジェンソンさんは見事ワールドチャンピオンシップを勝ち取ります。その歓喜の中にあってもなお、ジェンソンさんのほうは洗濯機で壊れてしまった父親の「デイトナ」を忘れることはなかったのです。

「それで70歳の誕生日に、『お父さん、特別な時計をプレゼントしたいんだけど』と伝えました。どんなスタイルで、どんな色の時計が欲しいか? を尋ねたんです。すると父は、ローズゴールドのロレックス『デイトナ』でした。茶色の文字盤に黒のベゼル、そして革のストラップの時計の写真を彼は指さしました。最初は、僕自身も『同じ時計でもいろいろ種類があるもんだな』と驚いていました。

とにかく私はその1本を手に入れて、彼に贈りました。手渡した瞬間、父の顔がパッと明るく輝いた様子が忘れられません。実際に見てみると、写真で見るのとは全然違いました。父は早速その時計を腕に巻いてくれたので、『ワオ、喜んでくれた』と安心しました。それがこのエピソードのクライマックスです」と、ジェンソンさんは笑っていました。

私たちが時計に込める思い

ところが、その直後に悲劇が襲います。その年、ジョンさんは頭部の外傷が原因となり、亡くなってしまったのです。怪我の詳細は今なお判明していません。70年の生涯でした。悲しみに暮れるジェンソンさんが、その時計を受け継ぎました。その日以来ずっと、父の70歳の誕生祝の時計を肌身離さず身につけてきたのです。

 
Bryn Lennon
父ジョンさんの時計を身につけたジェンソンさん。隣は、マクラーレン時代の元チームメイトで7度のチャンピオンに輝いたF1レーサーのルイス・ハミルトン選手です。

「ところが今週、初めてあの時計をつけずに過ごしているんです」と、ジェンソンさんは打ち明けてくれました。「父とのつながりを感じられるから、普段はずっと手元にあるんですけどね。ストラップをオイスターフレックスのブレスレットに替えはしましたが、それはそれでとても素敵です。どこに行っても褒められます。特別な思い出が詰まった時計ですから…」

簡潔だが奥深く、具体的でありつつ普遍的。そんなジェンソンさんの話しぶりに、思わず唸らされました。亡き父を思い起こさせる時計とともに勝利のときを祝い、それがまた新たな一生の思い出となるのです。その時計こそ、まさに記憶の具現化ということでしょう。

間違いのない物を選び、それを丁寧に手入れすることを怠らなければ、時計も車もいつまでもずっと使い続けることができる――。車と時計は、そんな稀有な性質を持っています。実用性によって生み出され、明確な目的のためにつくり込まれた時計であれば、スマートフォンなどよりも遥かに長く私たちの旅に寄り添い、身近な存在となっていくものではないでしょうか。

私の持っているのはヴィンテージのセイコー ダイバーズウォッチですが、その傷痕に目をやれば、ユタ州の吹雪の中での洞窟探検の記憶や(ユタ州東部の町)モアブの真っ赤な渓谷で転落した記憶、そして、あちこちへ旅した飛行機で薄暗い光に照らされながらダイヤルを見つめた100万時間の思い出までもが、たちまちよみがえってくるのです。

私が生涯を終えるとき、そこに宿る思い出の数々とともにこのセイコーがわが子に引き継がれることを願ってやみません。おそらく、その傷だらけのケースを目にした彼らは、この時計が歩んだいくつもの冒険について思いを馳せてくれることでしょう。もしかしたら家賃に困って、オークションサイトに出品してしまうかもしれません。そうなったら落札者となった誰かが、やはりこれらの傷について考えることになるのでしょう。古時計がそのような記憶を自ら話すことはありませんが、そのような謎もまた時計の魅力と言えるのです。

私たちは、あらゆるものに意味を見出そうとする生き物です。時計にもまた、意味を求めたくなるのです。いいえ、時計だからかもしれません。時計は私たちの人生という物語の担い手となり、記憶を呼び戻すための装置となるのですから。ときには、F1ドライバーとその父子の伝説のように、思わぬ物語の主役となってリズムを打つこともあるのです。わかる人には、これ以上詳しく説明する必要はありませんね…。

Source / Road & Track
Translation / Kazuki Kimura
※この翻訳は抄訳です