映画界の巨匠マイケル・マンが、ブロック・イェーツ原作の『エンツォ・フェラーリ:ザ・マン・アンド・ザ・マシーン(Enzo Ferrari: The Man and the Machine)』の映画化で、またヴェネツィアへと帰ってきました。

史上最も有名なイタリア人のひとりでもあるフェラーリの創業者のエンツォ・フェラーリ(1898-1988)の伝記映画ということで、俳優陣の豪華な顔ぶれに囲まれ、なんともスタイリッシュなカムバックです。

記念すべき80回目を迎えたヴェネツィア国際映画祭(2023年8月30日~9月9日)のプレミア上映の後の記者会見では、本作『フェラーリ(原題)』に込められた監督の思い、そして制作の舞台裏について数多くの質問が飛び交いました。

自らの信念を貫いたエンツォを描く

マイケル・マン監督 新作映画『フェラーリ』
Eros Hoagland
新作映画の劇中カット

しかしなぜマイケル・マンは、フェラーリという伝説を生み出した人物を描こうと考えたのでしょうか?

「エンツォ・フェラーリのようにダイナミックな人生を送った人物には、必ず普遍的なメッセージが伴っているものです。『波乱万丈なドラマに満ちた人生の深淵(しんえん)を描こう』というのが当初の私の胸にあったイメージでした。ですが、結局のところ私もエンツォ・フェラーリと同じように、自分の信念を貫こうとしていたのかもしれません」と、マイケル・マンはインタビューに応じています。

圧倒的な情熱の持ち主として知られ、同時にいくつもの謎に包まれたエンツォ・フェラーリという人物に魅了されたことは、マイケル・マン本人も認めているとおりです。

エンツォ・フェラーリについて回るミステリアスな影と際立つ個性については、その役を演じた俳優、アダム・ドライバーも強烈な印象を抱いたと言います。

アダム・ドライバーとマイケル・マン監督
Andreas Rentz///Getty Images
アダム・ドライバー(左)とマイケル・マン監督

「監督とは、もう何年も以前からの知り合いです。いつか彼の映画で役を演じたいと、ずっと願ってきました」と、ドライバーは言います。「本作は、まずエンツォという人物に対する印象が、人によって大きく異なることに衝撃を受けました。嘆きと悲しみに包まれながら、出会う人々との数奇な縁によって突き動かされた人物です。役を演じて初めて知ったことが多くありました。マイケル(・マン)のおかげで、信じられないような人物の、その人生について深く知れました」

1988年にこの世を去ったフェラーリのドライバー、ピエロ・タルッフィを演じた俳優パトリック・デンプシーは、本人も「ル・マン24時間」レースで好成績を残すなど実力派レーシングドライバーとしての顔も持つ俳優です。当然、本作に対する熱意を隠そうとはしません。

「脚本を読んですぐに、近年で最高の映画になると直感しました」と、デンプシーは言います。出演の機会は、デンプシー自らがつかみ取ったものです。「F1の世界には大きな憧れがありました。どうしてもタルッフィの役が欲しかったのです。イギリスGPの観戦の際に立ち寄ったロンドンでマイケル・マンのもとを直接尋ね、どうしても出演したいと頼み込みました」

1957年を舞台にした理由

それにしてもなぜ、エンツォ・フェラーリの人生を描く舞台として、1957年という年が選ばれたのでしょうか?

「その年、エンツォは人生の大きな分岐点を迎え、数々の葛藤に苦しんでいました。前年に息子のディーノ(1932~56年。24歳の若さで筋ジストロフィーにより逝去)を亡くしたばかりで、結婚生活も会社も、危機にひんしていたのです。1957年に起きたすべての物事が、その後のフェラーリの転機へとつながっていったのです」と、マイケル・マンは述べています。

エンツォ・フェラーリ
Edoardo Fornaciari//Getty Images
在りし日のエンツォ・フェラーリ。1977年撮影

喪失、愛、野心、すべてがエンツォ・フェラーリという人物の中に凝縮されています。その人生を表す最大の言葉は「強迫観念(オブセッション)」だと、マイケル・マンは言います。「ひとつの目標にどこまでもこだわり、それ以外のあらゆる物事が視界から消えてしまうのです。この映画を通じ、私が見せたかったのはその姿です」

フェラーリとマセラティのライバル関係と対立を通じ、エンツォが胸に抱いていたビジョンを明確に理解できたと、マイケル・マンは打ち明けています。「1920年代に華々しい時代を迎えていたフェラーリと対照的に、マセラティは苦難の時代を過ごしています。その後、第2次世界大戦などで情勢が悪化するなか、いくつもの企業が姿を消していきました。それから長く続くマセラティとフェラーリのライバル関係に、当時のイタリアの自動車業界の多くの人々がなんらかの形で巻き込まれていくことになるのです」

アダム・ドライバー
Mondadori Portfolio//Getty Images

米国における脚本家およびSAG-AFTRA(映画俳優組合・米国テレビ・ラジオ芸能人組合)のストライキを支持したアダム・ドライバーには、そのことに関する質問は避けられないものだったようです。「本作『フェラーリ』は、インディペンデント作品として制作された映画です。映画と組合が特に関係しているわけではありませんが、私自身は今も運動と連携しています。映画製作は残念なことに、ますます難しさを増しています。その中にあってこの作品の完成を見たことは、ひとつの成果と見てよいのではないでしょうか」

マイケル・マンもまた、本作が独自の真摯(しんし)な取り組みにより、リアリズムに支えられた映画となったことを強調しています。「徹底的なリサーチを行いました。モデナという町の当時の風景を再現することに全力を傾けたことに関して、それは決して無意味な取り組みではなかったのです。当時の社会構造、人々の生活や話法など、あらゆることを調べ上げました」

アダム・ドライバーもまた、演技の側面からその点について述べています。

「当時のイタリア語の再現に心血を注ぎました。アメリカ訛(なま)りでは興覚(きょうざ)めもいいところですから」

本作によってエンツォ・フェラーリの在りし日の姿がよみがえったのか否かは、観る人々の判断に委ねられているのではないでしょうか。

Source / Esquire Italy
Translation / Kazuki Kimura
Edit / Ryutaro Hayashi
※この翻訳は抄訳です