最新鋭EV(電気自動車)の、あの無駄を削ぎ落としたかのように流麗なるフォルムに見慣れてしまった現代人のわれわれの目には、小型でかなり野暮ったいクルマに映るかもしれません。ですが、そんな初代ホンダ「シビック」こそがその後のクルマ世界を一変させてしまったのです。少なくとも私(アメリカのカーメディア「Road & Track」のコントリビューティングエディターであり、この原稿の著者のジョン・パーリー・ハフマン氏)は、そう思えてならないのです…。

もちろんホンダが、「このシビックでアメリカのクルマ業界を制覇した…」などという話ではありません。あくまで個人的な見解ですが(とは言え予想を越え、多くの人から賛同を得られる可能性もありますが…)、「シビック登場以前のホンダ車は、アメリカではほぼクルマとしての扱いを受けてはいなかった」、そんな印象を持っています。言ってみれば、まるで岩石研磨機のような唸り声を上げて走る、わずか598cc36馬力の2気筒エンジンを載せたクルマでしかなかったのです。

「S600」という名前でしたが車長は318センチほどで、ホイールベースはたったの200センチという超ミニサイズの小型車だったのです。ホイールに関しては直径25.4センチほどで、そこに小さなタイヤを巻いて走っていました。今でこそ「懐古の情を呼び起こす1台」と言えるかも知れませんが、1969年当時のアメリカで、ホンダの初代「S600」が1970年式として発売されたときには、「何かの冗談か?」と誰もが目を疑ったほどでした。

 
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日本国内では1964年3月に発表された「S600」。先代モデルの「S500」から、排気量がアップされました。リッター当たりの馬力は94PSで、シリーズの中で最高を誇っていました。最高速度に関しては、時速約145キロを記録しています。

「S600」以外にも、ホンダが市場に発表したクルマは1963~64年に登場した軽トラックの「T360」、小型スポーツカー「S500ロードスター」などがあります。しかし、どのクルマも良く言えばかわいらしい、悪く言えばクルマと呼ぶにはどこか頼りない印象の乗り物に過ぎなかったような記憶があります。

「アメリカにとって隣人たる日本では、一体これをなんと呼ぶのだろうか? ビュイックやシボレー『ビスケーン』の足元をちょろちょろと動き回る『S600』のセダンやクーペをロサンゼルスのフリーウェイで目にすれば、クルマと呼ぶことなんて到底できやしないだろう」と、「Road & Track」の兄弟メディアである自動車雑誌『Car and Driver』は、当時容赦ない酷評を下しています。

全米から称賛された初代「シビック」

 
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ところが「シビック」に関しては、ガラクタ扱いなどされませんでした。

前出の『Car and Driver』誌でさえも、(日本では1972年7月発売)1973年にアメリカに登場した「シビック」を次のように評し、手放しで褒めたたえているのです。

「今やホンダは、真の自動車メーカーとして成長を遂げました。ディーラーに眠る『S600』を売り払った時点で、その成長は完成するでしょう。なぜならホンダは、この1973年式の新型『シビック』によって、2000ドル以下の自動車市場に対して真剣勝負を挑んできたからに他なりません。市場の低価格化が続くようなことがあれば、やがて(この『シビック』が)唯一のクルマとして勝ち残る日が訪れないとも限らないでしょう」

「シビック」の快挙は自動車市場全体に
大きな意味を持つものでした

そうして「シビック」は、疑いようのない大ヒットとなりました。(アメリカにとって)発売前年である1972年におけるアメリカ国内のホンダ販売台数は、「S600」のセダンとクーペを合わせて2万台がやっとでした。ですが、1973年に「シビック」がアメリカ市場に登場すると、販売台数は一気に3万6957台へと跳ね上がります。さらに1974年には4万3119台となり、それ以降うなぎ登りを続けることになります。

1976年には、「アコード」が販売されます。そして初代「シビック」がセダンやハッチバックに加えて、小型ワゴンをラインナップに加えた1979年には、なんと35万3291台にまで膨れ上がったのです。

 
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2012年、フランス・パリで開かれたモーターショーに出展された「シビック」。

この成功がホンダにとって、素晴らしいものであったことは疑いようもありません。そうして「シビック」によって成し遂げたこの快挙は、自動車市場全体にとってさらに大きな意味を持つものとなりました。なぜなら、北米で初めて商業的に成功した前輪駆動の日本車となったのです。例えばスバルもその数年前から、アメリカ市場で前輪駆動車を展開していましたが、芳しい成果を上げることはありませんでした。しかし「シビック」は、スマッシュヒットとなったのです。

1970年代前半にトヨタ、ダットサン(日産)、マツダの各社が展開したいたのは、いずれも後輪駆動のクルマだったのです。ダットサン「240Z(フェアレディZ )」やロータリーエンジン搭載のマツダなど、運転の楽しさを体現したクルマも確かに存在していましたが、アメリカ市場において日本車が進むべき道を示したのはあの小さな「シビック」だったのです。やがてトヨタ「カローラ」が前輪駆動車として1984年モデルを展開されると、それ以降アメリカで販売される日本車は前輪駆動が主流となっていくのでした。

 
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カナダで開かれたクラシックカーショーに出展された、1978年式の「シビック」。

初代「シビック」には、他にもいくつかの革新的な技術が採用されていたことも忘れるわけにはいきません。その代表的なものが、1975年モデルから導入された触媒を用いない複合渦流制御燃焼(CVCC)エンジンです。排気量1.5リッター60馬力の、実に地球に優しいエンジンでした。

そうして初代「シビック」は、1979年製造を最後に生産終了となります。ですが、1972年から7年間に及んだ初代の製造期間は、今や11世代にも及ぶ全シビックの中でも最長記録となるのです。また、さらに覚えてほしいことがあります。それは、2022年に製造される「シビック」は、記念すべきシビック製造50周年を飾るものだということを…です。

Source / ROAD & TRACK
Translation / Kazuki Kimura
※この翻訳は抄訳です。