70年代半ばにホンダがCVCC(Compound Vortex Controlled Combustion)エンジンを完成させたことは、文句なしに歴史的な大成功であり、自動車メーカーとしてホンダの名を世界へとどろかせることとなりました。厳しい排出ガス規制をクリアするために開発されたこの副室付き成層吸気燃焼方式は、大きな勝利を収めたのです。

 しかし、革新的な70年代のホンダによるCVCCの成功は、「自動車産業に大きな転機をもたらしたエレクトロニクス分野」における同社の立ち遅れたポジションを浮き彫りにするものでもありました。残念ながら電子制御燃料噴射装置が開発された時点で、それはCVCCエンジンのが持つ役目の終焉を意味していたのです。

 そのような時代背景の中、自動操縦が可能になる未来を想定し、ホンダが研究開発に着手したのは1976年のこと。自動運転を実現するためにまず必要なことは、走行中の自動車の位置を自ら正確に把握することです。そして、その実現は想像よりもはるかに困難なものだったのです。なぜなら、当時のアメリカ政府は、衛星を用いた全地球測位システムの利用は軍事目的のみに制限していたからです。

image
Transcendental Graphics//Getty Images
1977年当時の、北米市場向けのホンダ「アコード」の広告。

 当時のホンダにとっての課題は、推測航法(本来なら、船や飛行機でコンパスなどを用いて現在地点や針路及び速度を推測しながら割り出していく航法を指しますが、クルマにおいてはカーナビゲーションシステム内の一部のシステムを指します)を利用したナビゲーションシステムの開発となりました。つまり、自動車の移動方向と移動量に基づき、クルマの位置を検出するシステムを発明する必要に迫られたのです。

 そこで目指したのが、ボーイング747やアポロ宇宙船に搭載されていた慣性航法装置の技術を単純化し、低コストで応用することでした。クルマの走行距離を測るのは難しいことではありませんし、スピードメーターのケーブルと一緒に、回転数を計測するためのユニットを追加すれば解決する…と考えられていたのです。

 しかし、位置や方向の変化を検出するシステムには複雑な技術が必要でした。宇宙空間においては、宇宙船の方向変化を検出するためにジャイロスコープが用いられていましたが、そのアイデアに着目したのが本田技研工業の開発責任者だった久米是志氏でした。

 ある日、自衛隊の戦車によるデモンストレーションを眺めていた久米氏は、あることに気がつきます。戦車が火砲を水平に保ったまま不整地を走ることを可能にしていたのは、ジャイロスコープの技術でした。それをきっかけに久米氏は、ジャイロスコープの自動車への応用に興味を持ったのです。

image
HONDA
1981年当時、エレクトロジャイロケータは初期のパソコン同様に、未来のナビゲーションへのほんの第一歩に過ぎませんでした。改善の余地は、大いに残されていました。

 宇宙船用の大型で精密なジャイロスコープは、機械化されたジンバル(編集注:軸を中心として物体を回転させる装置のこと)を備えていました。これはクルマにとっては過剰な代物で、ホンダの考えるナビゲーションシステムに実用的とは言えませんでした。なぜなら、クルマは宇宙船とは異なり、前後左右の二軸の動きを測定するだけで位置を把握することができるからです。

 そこでホンダが採用に踏み切ったのが、よりシンプルなガスレート・ジャイロでした。これは、密閉されたカプセルの中を通る2本の過熱ワイヤーにヘリウムガスを噴射する装置です。クルマが方向転換すれば慣性によってガスの流れが変化し、どちらかのワイヤーにより多く当たることになります。これら2本のワイヤーの温度差が方向の変化として認識されるのです。そして、トランクに装備した16ビットのコンピューターによってそのデータを解析し、ダッシュボードに設置した6インチのCRTディプレイに結果を表示するシステムでした。

 これが「ホンダ・エレクトロ・ジャイロケータ」と名づけられたシステムであり、おすすめのルートを示してくれたり、最寄りのケンタッキーフライドチキンの店舗を教えてくれるような機能を備えてはいません。しかし、小さなモニタに線を描くことはできました。ユーザーはモニタ上の透明な地図をスライドさせながら、地図の切れ目では次の(地図)シートへと交換する必要があったのです。

 1981年当時、日本市場向けに販売された「アコード」と「ビガー」にこの高価なシステムが搭載され、購入者には日本全国を網羅した地図一式がプレゼントされました。この「エレクトロ・ジャイロケータ」ですが、限定的な機能しか備えておらず、また高額であったため、商業的な成功を収めるには至っていません。しかし、その後のGPSシステムの基礎となる技術がここに誕生することになります。そしてなによりも、カーエレクトロニクスの最先端へとホンダを押し上げる原動力となったのです。

Source / Road & Track
Translate / Kazuki Kimura
この翻訳は抄訳です。