私(この記事の筆者であるマック・ホーガン氏)の家には、かなり年季の入ったトラックが1台あります。底部はすっかり錆(さ)びつき、バンパーは所々ひび割れ、ボディのあちこちに刻まれた傷跡が、誕生から18年という歳月を年輪のように物語っています。

しかし、そのユーカリ色のマイカ塗装(編集注:光が複雑に反射して独特の深みのある真珠のような光沢が得られる塗装)は20万キロを走破してもなお、その輝きを失っていません。それは「たまたま劣化しなかった」という話ではありません。この背景には何十年にも及ぶ研究開発によってもたらされた、塗料の進化の歴史があるのです。

そして、私の家にあるトラックが塗装されてから20年近くを経た現在においてもなお、カーペイントの職人たちはより良い塗料を生み出そうと、日夜惜しみない努力を続けているのです。

ホンダ・オブ・アメリカで活躍する2人のエンジニア

 
PAUL VERNON/HONDA
左/サマンサ・トーベ(Samantha Thobe)さん、右/イブラヒム・アルザリ(Ibrahim Alsalhi)さん

例えばその最前線には、サマンサ・トーべさんやイブラヒム・アルザリさんといった技術者たちの存在があります。二人はオハイオ州メアリーズビルを拠点とするホンダ・オブ・アメリカのエンジニアとして、日々新たな塗料の開発に打ち込んでいます。

彼らが妥協ない仕事をしさえすれば――二人の話に耳を傾ければ、そこに疑念を差し挟む余地などありませんが――今から20年後のホンダやアキュラのオーナーたちも、まさに今の私が味わっているのと同じような感動を経験することになるでしょう。

「私の仕事は色彩のコンセプトそのままに、自動車生産に使用できる工業用塗料として完成させることです」と、メアリーズビル工場の色彩開発部門のリーダーであるトーベさんは、カーメディア「Road & Track」の取材に述べています。

「デザイン部門は全世界に目を向け、新たな色彩にたどり着きます。デザイン部門が提案してきた夢の新色を、そのまま“実用性ある塗料として”再現するのが私たち色彩開発部の仕事です。素材、設備、工程など、あらゆる要素が関わってきます。どうすればそれを、年間23万台分という膨大な量の塗料として生産することが可能となるか。その点を担っています」

少量生産の超高級車用の塗料の開発と比べ、桁違いの困難を乗り越えなければならない仕事です。専用工場の塗装部門で、何時間もじっくりと費やした手作業によって仕上げられるロールス・ロイスの塗装とはわけが違うのです。

例えばホンダ「アコード」であれば、生産ラインで過ごす時間などごくわずか。待ったなしで出荷された先のディーラーでは、ときに何週間もそのまま屋外の駐車場で放置されることだって珍しくありません。工業地帯に運ばれ、そこで何十年もの間、酷使されてもなお劣化せずに生き延びねばならないのです。塗料はそのような可能性も念頭に置いた上で開発する必要があります。

 
PAUL VERNON/HONDA

ホンダはそのことをよく理解しています。

1990年代初頭からホンダ車は、その信頼性の高さから「永久に乗れる車」というイメージを勝ち得てきました。ルーフやボンネットのクリアコートが剝げ落ちるようなことがあれば、その評判は簡単に失われてしまうでしょう。トーベさんの果たすべき役割とは、何年経っても光沢を失わない、確かな粘着力と厚みを持った量産可能な塗料を生み出すことです。

分子や原子レベルで制御して、車の新色を生み出す

クリエイティブな視点を備えた、エンジニアの存在が欠かせない仕事です。オハイオ州セントヘンリー出身のトーベさんは、故郷のオハイオ州立大学(OSU)の化学工業学部を卒業した25歳のエンジニアです。

OSUのキャンパスから車ですぐの広大な敷地に生産拠点を構えるホンダから、その学位を活かす機会を与えられた彼女は入社後、すぐに生まれ持った芸術的資質を発揮します。タイガーアイ・パールのような素晴らしい色彩を、コンセプトイメージ通りの塗料として完成させるために貢献しました。

「化学工業に従事する人間として、ものが生み出される過程そのものに強い関心を持っています。分子や原子といったレベルにまで物事を掘り下げ、物事がどう作用し合うのかを追求していくのです」と、彼女は目を輝かせます。

分子や原子を正しく制御することが密着性が高く、結晶の安定した、深みある色調の塗料を生み出すためのカギとなります。購入者は、そこに品質の高さを感じ取るのです。

 
PAUL VERNON/HONDA

どんなに素敵な車の色合いも、耐久性があってこそ

製造の容易さと耐久性の高さは、必ずしも両立する要素ではありません。

そこでアルザリさんの出番となります。パレスチナ出身の24歳。彼は塗料の耐久性を担うエンジニアです。色彩を生み出すトーベさんとの関係は、まさに綱引き。トーベさんのチームにより開発された塗料が塩害や太陽光による劣化、また物理的損傷といったダメージに対し、どれだけの耐久性を持ち得るか…。それを追求するのが、彼に課された使命です。

「新色ができる度に、サム(トーベさん)がそれを持って私の部署へやってきます」とアルザリさんは言います。「私の役目はお客さんの満足を保証すること。そして、その品質に問題が起きないようにすることです」

素地となる金属やその他の支持体を使い、サンプルの塗装テストを行います。耐候性、耐剥離性、耐欠損性などを調べ上げていくのです。10年以上を想定した実環境における摩耗をシミュレートしますが実際、「どの程度の期間その耐性が維持されるかを見極めるのは困難だ」と言います。塗装の厚さや、塗料を硬化させる際に用いるオーブンの適切な温度、光沢を損なわないための工夫などが繰り返されます。色調や成分によって特性が異なり、ただ厚く塗れば良いという単純な話ではありません。

「全てはバランスの問題です。塗装が厚ければ、そこには塗りムラやピンホールなどの品質上の問題が生じます」と、アルザリさん。例えば厚みのある塗装を硬化させようと思えば、加える熱量を高くしなければなりません。ところが塗料は熱に弱く、厚く塗装すれば表面を安定させるのが困難になります。さらに小さなピンホールも生じやすく、そのようなことが先々の大問題へと直結してしまいます。

この仕事こそ、アルザリさんが生涯を懸けて注いできた情熱の集大成と呼べるものです。

「私は大の車好きです。車に関することなら何でも知りたい。いつもそう思ってきました。車がどんな構造によって機能し、その内部で何が起きているのか? 興味は尽きません」とアルザリさんは微笑みます。

 
PAUL VERNON/HONDA

その仕事は、時を経ることで輝きを増す

オハイオ州のライト州立大学で機械工学の修士号を取得した後、複数の自動車メーカーと提携関係にある自動車部品メーカーで、アルザリさんは職を得ました。取引先の中で最も基準に厳格だったのがホンダでした。そのホンダに、なんとしても入社したいと思ったと言います。

「実際にこの目で見て、ホンダで働きたいと思いました。最高水準、最高品質の自動車メーカーの一員として、その水準を担う仕事がしたかったのです」と、彼は打ち明けます。塗装部門に配属されることは、入社するまで知りませんでした。が、それでも考えは変わりませんでした。

「思いもよらない仕事でしたが、挑戦に値する仕事だと思いました。当時の私は日々挑戦できる環境を求めていました。確かに複雑な仕事ですが、そこが気に入っています。困難な問題に毎日のように直面します。それを解決に導きながら、ついに製品としての車を目にするときの充足感は計りしれません」

「製品を長持ちさせることこそが、エンジニアリングの重要な役割だ」と、アルザリさんは力強く言います。18年の間、走り続けたホンダ車が今なお光り輝いているのですから、彼の仕事は信じるに値するものだということです。

Source / Road & Track
Translation / Kazuki Kimura
※この翻訳は抄訳です