アメリカでリリースされた早い段階から私(筆者)は、この「Slack(スラック)」に非常に関心を持っていました。2017年に日本語版のサービスを開始したころには、日常的に使用する頻度は急速に増していきました。
そんなタイミングで、2019年4月から日本政府による「働き方改革関連法」が施行。アメリカ人と日本人を両親に持つ筆者である私は、このSlackというビジネスコラボレーションアプリが日本社会においてどのように機能し、改革をもたらすのか? 期待と諦念を抱いていたのでした…。チャットアプリである以上、やりとりは端的でスピード重視、相手側とは良い意味でフラットな関係性が基に求められる印象があります。
一方、日本のビジネスではいまだメールが主流。メール内容は、ひな型的に構成されており、言語的・文化的に(良くも悪くも)上下関係がある日本社会では、「“お疲れさまです”もなしに、端的な文章は失礼にあたるのでは?」という不安を覚えずにはいられませんでした。中には、(素晴らしい日本の文化ではありますが)天気の話から始める方もいらっしゃるぐらいですから…。
そんな日本市場で「このビジネスコラボレーションアプリには勝算はあるのか…?」とある種、懐疑的な気持ちを持ちながら、今回Slack社のCEOであるバターフィールド氏にインタビューをさせていただくことができました。
Slack社が大切にしているDNAから、バターフィールド氏の人物像、そして、私の保守的な考え方が覆された“いま”の日本社会の実態を紐解いていきましょう。
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エスクァイア編集部(以下編集部):最初に会社を設立するに至った経緯について教えてください。
スチュワート・バターフィールド氏(以下バターフィールド氏):Slack社を立ち上げる前は、ビデオゲーム会社として事業をスタートさせました。そのとき、社内で(現在のSlackのようなツールを)コミュニケーションツールとして使っていました。
製品化する予定はありませんでした。あくまで自社利用のツールとして開発し、何年もかけて少しずつ機能増加を行っていたんです。その中で社内から「このツールは便利だ」ということに気づき始め、社外にも展開していこうとなったのがきっかけでした。
編集部:世界150カ国以上で利用されていますが、ここまで成長するに至って「核」となっていたものは何でしょうか?
バターフィールド氏:「お客さまのため(カスタマー ファースト)」という姿勢…、このありふれた聞き慣れた言葉ですが、非常に意義のある言葉だと思っています。
珍しい経緯でスタートを切り、このコミュニケーションツールを製品化することを決めた後は、「お客さま(利用者)の満足度が何よりも重要である」というところを意識し、そこに対して特にコミットしてきました。
恐らくどの企業のエグゼクティブにインタビューをしても、同じように口を揃えて「お客さまのため」と言うことでしょう。ですが…ただ、我々が成していることが、我々の自己満足であってはいけないと思っています。
お客さま自身にとって、インパクトのあることを成し遂げることが、とても大事なんです。そのことを忘れずにいるために、自分に、そして社員に言い聞かせるためにも、私はこの「お客さまのため」という言葉をあえて繰り返しています。
編集部:他社が謳うこの“聞き慣れた言葉”と、Slack社が掲げるこの言葉は何か違うのでしょうか?
バターフィールド氏:Slack社が掲げる「お客さまのため」…この言葉には、強いコミットメント含まれていて、数多くいる従業員を束ねて同じ方向へと向くためにも、この言葉が非常に重要だと思っています。
従業員も人間ですからね、気持ちがあります。
彼らに信念を持って、情熱をもって仕事に取り組んでもらうためには、ビジョンやミッションを明確にして共有する、そして、そのゴールにあるのがこの「お客さまのため」という言葉です。そこに集約されいるのです。
編集部:そのゴールへ導くためのビジョンとは?
バターフィールド氏:6つのコアバリューと、4つのアトリビュートというものをつくっています。
6つのコアバリューというのは…、
- 匠の精神(Craftmanship)
- 遊び心(Playfulness)
- チームワーク(Solidarity)
- 共感(Empathy)
- 思いやり(Courtesy)
- 向上心(Thriving)
です。何を行うときも、これを念頭に置いて物事を考えるというものですね。
例えばオフィスをオープンするとき、デザインするとき、何かをやったり何か発言するときは、常にこのコアバリューに社員全員が照らし合わせてくれています。
そして、4つのアトリビュート(属性)。これは、『スマート』『ハンブル(謙虚な)』『ハードワーキング』『コラボレーティング』です。
「このすべてを意識して仕事を行おう」というものです。理念としてのコアバリュー、行動としてのアトリビュート。この2つの指針が『Slackらしさ』であり、それを社員全員が意識して行動してきたことによって、いまのSlackが形づくられています。
編集部:これまでの日本におけるSlackの展開は順調といえますか?
バターフィールド氏:2017年には日本にも拠点を置き、いまでは日本市場はアメリカに次ぐ世界第2位の市場となりました。非常に日本市場でのウケはいいです。とても速いペースで成長を遂げてます。
編集部:日本市場にとてもウケが良いとは、失礼ながら知りませんでした(笑)。なぜだと思いますか?
バターフィールド氏:明確な理由は分かりません。いまの日本の企業文化がSlackと非常に相性がいいのか…、あるいは日本の働き方改革と相まって、Slack自体が日本人の働き方と相性がいいのかもしれません。ただ、非常に良く評価していただいています。
編集部:今後の日本市場での展望は?
バターフィールド氏:約一年半ほど前に日本に拠点を置いて以来、現時点で日本の従業員数は約50名。今後、大阪にも拠点をオープンする予定です。このペースでオフィスを開設していっているという現状が、日本市場を重要視しているということを表しています。
編集部:日本市場で展開をしている中で、日本特有の困難は感じましたか?
バターフィールド氏:うーん…強いて言えば、やはり言語ですね。日本語版がリリースされるまでは、やはり英語のまま使うユーザーだけだったので、日本でのユーザー層はかなり限定的でした。
他に、日本特有の困難を考えてみても、なかなか思い浮かびませんね。逆に、日本特有のアドバンテージ(利点)みたいなのがたくさんあります。
編集部:日本でのアドバンテージとは?
バターフィールド氏:一般的なステレオタイプのイメージとして、上下関係の強い日本の社会では、非常に保守的で封建的な会社が多いと非難の対象になっているニュースをよく目にします。
しかし、少なくとも私は、そんな閉塞感を日本に感じていません。いまの日本社会・日本人は革新的で、民主的な部分も包括しているように思っています。その1つの要因が「令和」の時代となって、働き方改革へ真摯に取り組んでいることではないでしょうか。
編集部:もしかすると、革新的で民主的な風通しのよい日本企業だからこそ、Slackを導入しやすい傾向にあるのかもしれませんね。
バターフィールド氏:「Slack を導入することで、効果的に働き方に変革をもたらす」と思っていただき、多くの企業に使っていただいてるのだと思います。そんな革新的な時代にいるからこそ、日本市場においてSlack導入に勢いがついている要因になっているのでしょう。
編集部:開かれたビジネスコラボレーションアプリにおける「無償と有償プラン」、ここのブリッジについては、どのビジネスコミュニケーションツールを提供する企業にとっても課題ですよね。
バターフィールド氏:特に気にしていませんね。決して急がず忍耐強く、長期にわたってお客さまとともに歩んでいきたいと考えています。
編集部:日本市場でも?
バターフィールド氏:日本も他の国も同様です。
ソーシャルの目的で使われる無償ユーザーというのは、何か終わりの決まっているプロジェクトのため、例えば結婚式の準備にSlackを使うことが流行ったりするのが一つ大きな特徴です。
他には、子どものサッカーリーグのイベントを調整するために、親たちが使っていたりするというケースも多くあるそうなんですよ。こういった無償ユーザーが多くいることは決して悪いことではありません。
そして、すべてのユーザーを有償に切り替える必要はないんです。
無償のユーザーが多ければ、よりSlackに触れる人が増えます。そして、Slackに触れた人が、「これを職場でも導入しよう」と考えてもらえるきっかけになれば良いんです。Slackというものは、1人で完結するものではありません。人と人とのつながりによって使われるものなのです。そのつながりの糸を紡いでいく…。それが無償ユーザーであり、必要不可欠な存在なんです。
編集部:日本企業におけるSlack導入は、どのように展開していこうと考えいますか?
バターフィールド氏:世界では有償で、Slack利用している企業は約10万社あります。
日本市場に限っていえば、この約1年半で、Slackのユーザーは首都圏エリアだけでも有償・無償を含め50万人を超えていると報告が出ています。このことから、いまから5年もあれば500万は到達できると思っています。
編集部:勢いのある市場なんですね。
バターフィールド氏:日本市場では特にメディア、テクノロジーの領域で導入の実績が非常に顕著です。中でも日本のゲーム業界や、大手インターネット関連サービスの企業などでの導入が積極的です。
ただこの先、どのようにユーザー数を伸ばしていくかで考えるのでならば、製造業、金融業、また小売業やエネルギー業界といったところに、ますます力を入れて取り組んでいこうと考えてますね。既にいくつかの成功事例として実績は上がっていますが、広がりがIT関連の企業と比べてまだまだ少ないです。ですので、国の中枢を担う業界へのアプローチは、手綱を緩めてはいけないと考えています。
編集部:では、ここからは少し気分を変えて、スチュワートさんの人物像やプライベートについて聞かせてください。…日本は好きですか(笑)?
バターフィールド氏:もちろん(笑)。食べ物も美味しいし安全だし綺麗だし…。日本に来るときは、いつもワクワクします。日本が持つエネルギーから、私もパワーを得ています。
編集部:日本文化からインスピレーションを受けることも?
バターフィールド氏:日本人は、品質をとことん追求する精神を持っています。その国民性と文化が凝縮されているのが、日本料理です。だから、私は日本の料理が好きなのです。料理ひとつで、その国が見えてくるものです。
この日本食は、私の日本好きということへの大きな要因になってますね。他にも電車に乗っていも、パン屋でクロワッサンを買っても、原宿の街を歩いていて若者のファッションを見ても、同じ感覚を抱きます。日本の誰しもが、とことん追求する姿勢をやめないんです。もちろん、その追求心を持つ姿勢は日本の社員にも感じられ、とても頼もしく感じていますよ。
編集部:あえて聞きます(笑)。日本で働いていて困ることは?
バターフィールド氏:…そうですね。一つだけ挙げるとするならば、ある企業に訪問したときのことです。敬意を払ってくれているからだと思うのですが、『CEOは“偉い人”』という考えが先行するのでしょうか、先に道を通されるんですよね。「どうぞ、どうぞ」って…。でも、初めて訪問した場所だから、どうぞと道を譲られても、どこに行けば分からないんですよ(笑)。
そんなときは、困ってしまいますね。
編集部:Slack社では、そんなある種の上下関係がないんですね。
バターフィールド氏:チームでともに進んでいますからね。それぞれが仕事のプロフェッショナルで、私はCEOという仕事をしているだけですから…。
だからオフィスのデスクは、一般社員もカントリーマネージャーも私もみんな同じスペースにある席ですし、日本のオフィスでも眺めのいい西側は、社員全員がいつでも集える共有スペースにしています。
アメリカだけでなくどの国でも、眺めの良い部屋はいわゆる“偉い人”が独占していますからね(笑)。
Slackの社員には垣根を越えて、常に「コラボレーションしよう」という意識を感じ取ってもらいたいので、そうしています。
編集部:スチュワートさん自身が、普段からモットーとして心がけていることはありますか?
バターフィールド氏:そうですね…。人に思いやりを持つということ、そして優しさを持つこと…です。
うまくいかないときもあるんですけど、それが大事であり常に心がけてきました。様々な圧力が混在しているビジネスの中で、自分の目の前にはお客さまがいたり、従業員がいたり、投資家、同僚、取締役など、色々な人と接し、色々なものを抱えている中でうっかり忘れちゃうときもあるんです。自分にとって何が大事なのかということを…。
私だけではないと思いますが、おそらく人間は相対している他人が自分にとっての阻害要因(そがいよういん)ではないかと考えたり、あるいは『この人は使える、便利な人だ』と考えたりするような傾向があるのではないでしょうか? でも、そういった考え方は止めなければいけないと考えています。
『損益勘定で合理的に考える』…、数字的なビジネスにのみフォーカスすればそれは大事かも知れません。しかしビジネスにおいて、人間という存在は不可欠なものなのです。ビジネス以外でもなんでもですが、必ずそこには人間がいますよね。そして彼らには当然、心があります。そこを推し量り、そこへの『思いやり』を持つ…これこそが大事だと思っています。
編集部:『思いやりを持つ』、当たり前なことですが最も大切なことですね。
バターフィールド氏:『人への気遣い』、人間としてそれができた上で、ビジネスを継続していくことで大切にするべきことは、『成功させたいと思う強い情熱』です。
自分自身の出し得るエネルギーを常に投じ、その目標を達成に向けて邁進する必要があるのです。その成功が多くの人の協力に基づいているものであれば、特にですね。
編集部:最後に読者の皆さんへ、また、これから起業しようと考えている方へメッセージをお願いします。
バターフィールド氏:何かを達成しようと思っているのであれば、きちんと成功するための自分が信じる“裏づけ・確かな証拠”が必要です。そして、何よりそれを達成するための忍耐と強い気持ちが必要だと思います。
編集部:ビジネスに関することだけでなく、物事をどのようにスチュワートさんがとらえているかの思考についても率直にお話いただき、大変勉強になりました。ありがとうございました。
◇取材を終えて
Slack JapanのPRマネジャー寒田さんに、皇居が一望できる素晴らしい眺めのオフィス内を案内していただいていたとき、たまたまランチルームでインタビューを終えたスチュワートさんが社員の皆さんと楽しそうに雑談する姿を見ることができました。これこそ、Slackが掲げる理念そのものなんだ…と痛感することができました。
また、「フリーデスク環境ですか?」という私の問いに、寒田さんから「固定席で仕事をしています」という答えが返ってきたのは意外でした。
「フリーデスクでやっていると思われがちですが、Slackでは固定席です。もちろん、フリーデスクにもメリットはありますが、Slackは“コラボレーションツール”なので、チームと毎日顔を合わせることを大切にしています。そこでSlackを使う…誰とも会わなくても仕事ができるという仕事の進め方はしていないので、リアルで会うことを重要視していて、チームごとに固定席で座っています」とのこと。
そう、Slackはあくまで効率性・透明性を向上させるためのツールなのです。コミュニケーションは実際に顔と顔を合わせて、時代の先端でありながら、ある意味で非常にアナログ的な基本を大切にしている企業だからこそ、エネルギッシュで魅力的なのでしょう。
グローバルスタンダードの中で日本は、日本的な働き方は世界に通じるのか? 日本企業には、Slackを使いこなせる企業文化を持っているのか? いま現在、その是非が試されているとも言えるでしょう。メールからビジネスコラボレーションハブであるSlackへ移行が完了すると、本当の意味でのSlackの利便性に気づくことになるのでしょう。そして改めて、人と人とのコミュニケーション…心と心でつながることの大切さを再確認することができるでしょう。